表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漆黒の鷹  作者: 桐原草
第一章 高市(たけち)
5/15

5 しだれ桜の精

 どうやらここは小高い丘のてっぺんに位置するらしい。高市は、ふらふらといつのまにかしだれ桜の根元に座り込んでいた。

 ここから見た景色はのどかだ。この桜の木から道がずっと続いた先にどうやら集落があるらしい。遠目に煙が何本か上がり、握り拳ほどの大きさの家がいくつも見える。もちろん声は聞こえないが、人々のざわめきや息づかいが聞こえるような気がする。

 眼下に見える村からこちらを眺めれば、黒い森の手前にぽつんとしだれ桜が一本と、小さな家ともっと小さな小屋が見えることだろう。あそこがあの男の言っていた、我らの村ってやつかもしれない。

 あの村とこの丘の周りを、ぐるっと黒い森が取り囲んでいる。ここも高市のいた村と同じように、世間から隔絶された集落なのだろう。高市の村は崖に阻まれ、ここは森に遮られている。



 村はどうなっているだろう。高市は祖父のいる村に思いをはせる。

 ――じいちゃんは今頃岩魚釣りかな。雪がやっと溶けたから二日おきに釣りに行く。まだ暗いうちにたたき起こされ、ごつごつした川底を滑らないように気をつけながら上っていくんだ。いくつかあるじいちゃんの漁場を順繰りに巡って、びくが一杯になったら帰り支度。家の前にある朴の葉で包んだ特大握り飯を、二人でものも言わずに食べる。川で手を洗い、水を飲む。

 ――岩魚はきれいな澄んだ水じゃないと棲まないんだ。じいちゃんはもっと上流まで何度も行ったことがある。ごつごつした岩ばっかりになって、歩きにくいところを乗り越えて行くと、お化けのようなでっかい岩魚が釣れるそうだ。何度かじいちゃんの釣ってきたのを食べさせてもらったことがある。うまかったなあ。おいらも十三歳になったら連れて行ってもらう約束だったんだ。



「ああ、じいちゃんの岩魚が食いてえ」

 そう言って高市は腕を頭の後ろで組み、寝っ転がった。五分咲きのしだれ桜から気の早い花びらがはらはらと落ちてきた。

 その瞬間、頭の上から声がして、にこにこと笑う少女の顔がひょこっと覆い被さってきた。

「高市様、おやすみですか?」

 

 高市の顔に少女の髪の毛がかかりそうなほど近く。それも上下逆さまに見つめ合うなど、高市は経験したことがない。慌てて飛び起き、どきどきしている胸を押さえるのが精一杯だった。

「十市と申します。高市様のお世話を、申しつかりました。どうぞよろしく、お願い申し上げます」

 細いけれども弱々しくはない、ゆっくりだけれどもはっきりとした口調で、十市は話した。村の幼なじみの宝物だという小さな小さな鈴を、高市は思い出していた。まるであの鈴がしゃべってるみたいだった。

「あんたいつからそこにいたんだ?」

 ようやく動悸が収まってきた高市が問いかける。十市はまたにっこり笑うと、ころころと転がすようにしゃべった。

「高市様が、そこにお座りになられてから、ここにおりました」

 ――ここに座ってからずっとって、もう日が傾き始めているから、結構長いことここに座っていたんじゃないか。そんなに長い間、後ろに人がいたのに気づかなかったなんて。 高市は頭を抱えたくなっていた。


「高市様?」

「その高市様っての、やめてくれねえか。高市でいいんだよ、高市で」

 まったく、どこのお嬢様だ。そんなしゃべり方するヤツは村にはいなかった。よその村では女の子はみんなこういうしゃべり方をするんだろうか。

「では、たけち、でよろしいのですか?」

 少女は困った顔で首をかしげた。丸い顔に沿うように、丸く肩に届かないくらいの長さの髪をした、人形みたいににっこり笑った顔が、高市に問いかける。

 なぜだか高市はウワーッと叫び出したくなったが、そんなこと出来るはずもない。「それでいい」とぶっきらぼうに返答するのが関の山であった。

 桃色の着物には桜の花が所狭しとちりばめられ、髪も同じ柄の布で結われている。しだれ桜の精かもしれん、と高市は半ば本気で思ったのであった。



 次の日の早朝、高市は寝台の上に座って考えていた。

 ――どうやらこの家にはあの鷹と呼ばれている男と、桜色の女の子しか住んでいないようだ。村からぽつんと離れて住んでいるのは何か訳があるのかも知れない。我らの村といっていたから、鷹もあの村の一員なのだろう。とすれば、あの村に助けを求めることは出来ない。やはりここが高市の村のどのあたりに位置するのか、それを探らないと逃げ出すことも出来ない。

 高市は森の中を探ることに決めて、まだ夜明けにならない薄暗がりの中を歩き出した。


 まだいくらも歩いていないというのに背後から声がかかった。

「早起きだな」

 驚いて振り向くと、黒い男がその翼をたたもうとしているところだった。

「せっかくお出かけの所を邪魔して悪いが、仕事だ。畑の畝を作ってもらおうか」

「なんでおいらが! いったいどうして出て行くのがわかったんだ。あんたの部屋とは離れていただろう」

 高市はふてくされて座り込む。

「私は聞こうと思えばどんなに離れたところの物音でも聞くことが出来る。見ようと思えばどんなものでも見ることが出来るのだ」

「なんだそりゃあ。じゃあ、じいちゃんの声も聞こえるのかよ?」

 呆れて高市は軽口をたたいた。

「ああ、聞こえる。おまえの声もこの力で聞いた。だからさらってきた」

 鷹の真剣さに、こりゃ本当のことかも知れん、と高市は思い始めていた。

「……じゃあ、じいちゃんは今何をしてる?」

 鷹は少し言いよどんだが、やがて冷ややかに言った。

「寝付いておられる。おまえを探し回ったようだ」

「……この野郎!」

 高市は鷹の澄ました顔をめがけて殴りかかっていったが、あっけなくかわされて尻餅をついた。一瞬、鷹の髪が乱れて火傷の跡が覗いたが、鷹は隠そうともしなかった。

「まだまだだな。私は戦いの訓練を受けている。平和な村の少年に勝てるわけがない」

 その冷酷な物言いに高市は逆上した。

「……殺してやる! おまえを殺して、おいらは村に帰るんだ!」

 悲鳴にも近いその絶叫に、鷹は鼻先の冷笑で答えた。

「そうだな。私を倒すことが出来たら、そうすればいい。それまでは私の言うとおりにしてもらうぞ。まず、畝を耕すんだ。こっちに来い」

 そう言うと鷹は家の裏手目指して、すたすたと歩いて行った。一人取り残された高市は、唇をかみしめて何かを堪えているようであった。

 桜の花びらがはらはらと落ちてきた。高市の胸には一瞬、しだれ桜の精の姿がよぎった。なぜだか彼女が慰めてくれているように思えた。



***

第一章 高市たけち 了

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ