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漆黒の鷹  作者: 桐原草
第三章 大友
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14 十市(上)

十市の目線から見た物語になっています。

 泣きたい気持ちを堪えきれなくなると、十市はいつもしだれ桜に訴えに来る。桜は、「まあお座りなさい」というように、根元のごつごつ痛そうじゃない場所を教えてくれる。そして「春だと花びらがあるからよかったのにね」などと言いたそうに、そうっと十市を包み込むような形に枝をゆする。


ーーたかがひどいの、たかがあそびにいっちゃだめって言うの。とおち、もうひとりきりはいやなの。

 そう言って泣いていたときより少しは大人になれたと思っていたのに。

 十市は唇を噛む。あまりきつく噛んだものだから口の中は少し血の味がしている。「十市は泣き虫だね」鷹の声が聞こえた気がした。けれど、ここにいるのは十市だけ。

 しだれ桜がもう一度その腕をゆらせて、包み込もうとしてくれた。



 十市は物心ついたときからいつも一人だった。かすかに覚えている。この間、大巫女様のいらしたようなお部屋で、ひとりぼっちだったような気がする。

 食事や着替えなどは他の巫女様方がしてくれたけれど、お忙しいようで、用事が終わるとそそくさと立ち去ってしまわれる。「また来ますからね」と言い残して。

「またじゃなく、いま、あそんでほしいの」

 そう言って泣いたことも一度や二度ではなかったと思う。巫女様の中には「しょうがないわね、ほんのすこしだけですよ」と遊んでくださる方もいらしたけれど、「ご用があるのでまた後でね」と言われる方も多かった。

 その中でいつも必ず十市と遊んでくださる巫女様がいらっしゃった。十市が大好きだった巫女様だ。その方はいつもぎゅうっと十市を抱き締めてから、「今日は十市の好きないちじくがあるのですよ」などと籠を差し出される。十市がのぞき込むと、果物やおまんじゅうなどと一緒に、お人形の着物が入っていたりして、十市はいつもそれが楽しみだった。

 眠る前にはお母様が帰ってこられるので、短い時間だけど一緒に笑いながらお人形を作ったり、その巫女様の作ってくださった着物を着せ替えたりして遊んだものだった。

 お母様と同じお布団で眠るときには、十市の肩をぽんぽんと軽く叩きながら、「十市は優しい、いい子ね。母様は、十市のことが大好きですよ」と優しい声で子守歌を歌ってくださった。

   ねんねん ねんねの杜には

   かわいい狐のかあさまが

   いとしい いとしい いとしいと

   コーンコーンとなくのよ

   会いたい 会いたい 会いたいと

   コーンコーンとなくのよ

 そんなときお母様はいつもどこか遠くを見ているようになる。向こう側の岸辺から寄せてくるようなお母様の歌は、胸が痛いような甘いような不思議な気持ちになる。

「おかあさま、どこにもいかないで」

 十市がささやくと

「どこにも行きませんよ。母さまはずっと、十市と一緒にいますからね」

 そう言って、「狐さんがお迎えに来てくれましたよ。ねんねの杜にいきましょうね」と上掛けを掛け直してくださるのだった。


 あの日もそんなふうに寝付いたのに、なんだか胸騒ぎがして目が覚めた。お母様も寝床に起き上がって辺りを見回している。その不安そうな顔に、十市が「どうしたの?」と声をかけると、お母様はにっこり笑って「なんだか変ですね。確かめてきますからね、ここで待っていなさいね」と扉を開けて外に出ようとした。

 そのとたん、真っ黒な煙が洪水になって押し寄せてきた。お母様はむせながら、慌てて扉を閉めたけれど、たちまちのうちに煙は部屋中に充満し始めた。

「十市。起きて、こちらへいらっしゃい」

 慌てて飛び起きて、お母様の元に走り寄る。お母様は寝床の敷布を引きはがし、十市の体に巻き付け始めた。十市は、何とか目だけは出して見えるようにしたが、体中ぐるぐる巻きにされて、身動きが取れない。

「おかあさま」

 悲鳴のように十市が叫ぶと、お母様はにっこりと十市を抱き上げて、いきなり水差しの水をバシャッと頭から浴びせた。

「必ず助けてあげますからね」

 そう言ってお母様は十市をぎゅうっと抱き締めた。


 そのとき、ドーンという凄い音がして、扉が打ち破られた。二人が慌ててそっちを見ると、真っ黒な人影がおびただしい煙とともに入ってきた。

「額田っ!」

 大きな水瓶を抱えたまま、その人は背中の翼で飛んできた。十市は白い翼なら見慣れていたけれど、真っ黒な翼の人を見るのは初めてだった。びっくりして声も出ないでいると、お母様が、

「黒人っ! 来てくれたのね」

 と叫んで駆け寄った。

 黒人と呼ばれたその人は、お母様と、お母様に抱きかかえられたままの十市を、しっかり抱き締めた。

「もう大丈夫だ」

 その人に言われると、なんだかとても安心出来た。


「黒人、ひどい怪我よ」

 悲鳴のようなお母様の声に見上げてみると、その人の顔の左半分が焼けただれて、まだじゅうじゅうと煙が上がっていた。目は痛そうに片目をつぶっている。髪が焦げるくさい匂いがしていた。

 十市はおびえて、お腹の辺りがきゅうとして、泣き出しそうになった。

 けれどその人は「時間がない」とだけ言って、お母様の綺麗な桜柄の飾り布を、水瓶の中に突っ込んで、濡れたまま十市の顔にあてがったのだった。

 十市はいきなり何も見えなくなったのでびっくりしたが、お母様が「大丈夫ですよ」と声をかけてくれたので、怖くなくなった。濡れた布に邪魔されて息が出来ないので、口を半分開けて大きく息をする。


「いくぞ」

 その人が声をかけたとき、十市は何か固いものにぎゅうっと押し当てられる感じがした。

「黒人、十市をお願いします」

 お母様のりんとした声がする。

「馬鹿なことを言うな! どうするつもりだ!」

 慌てたようにその人の怒鳴り声がした。

 十市は何も見えない中で、お母様に一瞬きゅっと抱き締められて、すぐに離されるのがわかった。硬い手が十市を抱き留めた。

「おかあさまっ」

 叫んだつもりだったが、十市の声はびしょ濡れの布に阻まれてお母様には届かないようだった。

「このまま大切な薬草を焼いてしまうわけにはいきません。あれがなくなれば、この村は滅びてしまいます。心配しないで。あの高窓から十市を連れて、先に逃げてください。薬草を取ってすぐに追いかけます」

 走り去っていく音が聞こえる。

「額田ー!」

 切羽詰まったその人の声に、お母様の「十市を、お願い、しますー」と言う声が遠くからかすかに、十市の耳にも聞こえた。


「おかあさま、おかあさまー」

 身動き出来ない十市がもがいていると、男の人の低い声が聞こえた。

「安心しろ、必ず助けてやる」

 こんなときなのに、その声を聞くと十市は妙に安心した。この人に任せておけば大丈夫、そんな気がした。十市が抗うのを止めると、次には固く抱き締められたままふわりと浮き上がるのがわかった。


 それから後はおぼろげにしか覚えていない。十市は外に出て、柔らかな腕の中で敷布を取り除かれた。月明かりの中、いつもの優しい巫女様の顔が見えた。

「十市、無事だったのですね。良かった、本当に良かった」

 涙をぽろぽろこぼしながら巫女様はいつものように抱き締めてくださった。あの黒人という男の人は、もう一度、お母様を探しに神殿の中に入っていった後だった。


 どれほどの時が流れたのだろう。じりじりと焦げ付くような思いで待っていると、あの男の人の、黒い翼のある影が現れた。

 影はゆっくりと近づいて来て、十市を包み込んだ。その人が持っていた瓶のようなものがごろんと落ちる鈍い音が響いた。

「すまない」

 十市はその一言ですべてを、理解した。


「うわああああ」

「おかあさまー」

 暴れる十市をきつく、きつく抱きすくめるその腕が、ぶるぶるとこらえきれず震えているのが伝わってきて、十市はその腕にすがりつきながら、もっともっと大きな悲しみの渦に、一緒に飲み込まれていったのだった。


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