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漆黒の鷹  作者: 桐原草
第三章 大友
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13 波乱

 結局、鷹は次の日の朝になっても部屋から出てこなかった。


 十市はそわそわと何も手につかないようだ。

 一〇分とたたないうちに「ちょっと様子見てきます」と鷹の部屋の前まで出掛けて行き、「ダメでした」がっかりした顔で帰ってくる。ほんの少しでも物音が聞こえないか、閉ざされた取っ手がガチャリと音をたてて回ったりはしないか、何度も何度も鷹の部屋をうかがっている。

 見ているこちらの方がイライラする。

 高市は今朝何度めかのため息を落とした。

「鷹なんてほおっておけよ。腹が減れば出てくるさ」

 十市はその言葉に一応うなずいて見せた。

「そうですよね、先に朝御飯を食べてしまいましょうね」

 けれども、一睡もしていないような真っ赤な眼でこちらを見られて、先に食べられるものじゃない。高市は立ち上がった。

「いくぞ」


 そういえば、雨の日に見つけた子犬もこんな目をしていたな。

 クスッとこぼした白い歯に、十市が驚いたように目を丸くした。

 

「おい。鷹、入るぞ」

 問答無用で返事を待たずに取っ手に手を掛ける。鍵がかかっているかと思ったが扉はすんなり開いた。

 そういえばこの部屋に入るのは初めてだな、チラッとそんな言葉が頭の隅で点滅した。

 

 何の飾り気もない部屋の窓際に鷹は立っていた。腕組みをしたまま、顔だけこちらに向けている。

「不躾だな。返事くらい待つものだぞ」

 いつもと全く同じ口調に、ほんの少し笑っているようにも見える口元。

 何ともないじゃねえか、おいらだって少しは心配していたんだぞ。

 恨み言の一つも言おうと思ったとき使った気配のない寝台が目に入った。

 鷹も眠れなかったのか――

 

 鷹がこちらに向かって一歩踏み出した。

「丁度よかった、お前たちに話がある」

 隣で十市が静かに息をのむ気配がした。

 

 鷹に促されて食卓に戻ってきた。いつものそれぞれの席に座ると鷹はおもむろに口を開いた。

「お前達にはここを出て行ってもらう」

 普段と変わらない調子で切り出された言葉に、高市はわかったと頷きそうになったが、それを遮ったのは十市のいつもと全く違う切羽詰まった声であった。

「どういうことですか! 鷹はどうするんですか!」

 問いかけですらない、悲鳴のような十市の叫びに、鷹は動じた様子も見せなかった。

「以前から考えていたことだ。高市はまだ私を負かしてはいないがな。まあ、あの村で戦う機会がそんなにあるとも思えんし」

 鷹は高市にからかうような目を向けてくる。

「じいちゃんの所に帰ってもいいのか?」

「私はここにいます!」

 高市の口から飛び出した問いかけは、十市の悲痛な叫び声にかき消されて聞こえなかった。

 

「いやです。私はどこにも行きません!」

 だだっ子のように繰り返す十市を見ながら、高市は、そんなに頭を振ったらせっかく結った髪紐がほどけてしまう、と場違いなことをぼんやり考えていた。

 いつもほんわり笑っている十市しか見たことがなかった。

 こんな顔も出来るんだな。

 高市にはそれが驚きであった。

 

 鷹はそんな十市を黙ったままじっと眺めていた。相変わらず何を考えているのかわからない顔であったが、高市には鷹が何かをじっと耐えているような気がした。

 

「大友がお前を妻にしたいと言っている」

 はじかれたように十市が顔を上げて鷹を見た。

 鷹はその視線を外すように窓に目をやった。窓枠に切り取られたその一画は、昨日鷹と大友が言い争っていた場所であった。

「お前も聞いていただろう、次は村の長として正式にお前を迎えに来るそうだ」

「そんな……私は大友様と結婚なんて出来ません」

 十市の唇が細かく震えている。声も弱々しくほとんど聞き取れない。

 鷹は追い打ちを掛けるように冷えた声で続ける。

「来年、お前の成人の儀式が済んだら婚儀を挙げたいそうだ。それまでは大友の館で見習い修行になるそうだが」

 椅子が倒れる音が響いた。十市が立ち上がったのだ。高市の隣で、固く握りしめられた拳が小刻みに震えている。

「鷹は……鷹は、それでいいんですか」

 鷹はゆっくりと視線を十市に移した。この部屋に入って初めて鷹と十市は目を合わせた。

 しばらくは誰も何も言わなかった。しかし、鷹が何かを断ち切るように口を開いた。

「だから高市と一緒に行け、と言っている。高市ならお前を守ってくれるだろう。それに高市のおじいさんだっているはずだ。彼の頼みなら、村人もきっと悪いようにはしないだろう」


「わたしは……」

 十市の大きな瞳から一粒涙が溢れて、こぼれ落ちた。

「私は、鷹と一緒にいたい……鷹と一緒がいいんです」

 一度堰を切ってしまえば、涙も言葉も止まらなかった。嫌々をしている赤ん坊のように、十市は首を左右に振っていた。

「鷹が、お母様のことを、思って……らしたのは知ってます。それでも、いい。……鷹の側に、いたい。離れて、なんて……暮らせません」

 喉の奥から言葉を絞り出している十市を、鷹はじっと見ていた。鷹は何も言わなかった。そして、誰ももう何も言えなかった。

高市は深い水の底に潜っているような気がした。真っ暗で冷たく前も後ろも何も見えなかった。


どれ程の時が流れただろう。鷹が不意にガタンと音を立てて立ち上がった。

「高市と行きなさい。それがお前のためだ」

 もう高市は黙っていられなかった。

 そのままきびすを返して食堂を出て行こうとする鷹の腕をつかんで「おい、待てよ」と声をかけたのと、十市が涙にぐちゃぐちゃの顔のまま走り出ていったのは、ほとんど同時だった。


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