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漆黒の鷹  作者: 桐原草
第三章 大友
12/15

11 雨の日

「ひどい雨ですね」

 繕いかけていた着物を膝に置いて、十市が窓を眺めている。芽がでたばかりのきんせんかを気にして、家の中からじゃ見えないのにさっきから何度も何度も、花壇のある方を見ている。

 今日は一日外に出られなかったので、たまっている手仕事を分担していた。十市は兎を追いかけているうちにびりっと破ってしまった高市の袖を繕っている。鷹は、高市がむしゃくしゃして鷹に足払いを掛け、反対に投げ飛ばされたときに折れた椅子の修理。そして高市は罰として部屋の掃除。にっこり笑う十市に言い渡されてしまっては鷹も高市もいつもの調子が出ない。お互いに顔を見合わせ無言で作業に取りかかったのだった。


「鷹がこの花を好きなのです」と言いながら熱心に種を蒔いていた十市を思い出した。指先を真っ黒に汚しながら、一粒一粒に思いを込めるように土をかけ、トントンと願っていた十市。

「この雨じゃもうダメになってるんじゃないか」

 少しからかいがちに高市が言えば、

「高市は意地悪です」と涙目で睨んでいる十市と、

「お前の撒いたばかりの小松菜はどうかな」と面白そうな口ぶりで返す鷹がいた。


 これは一体何なのだろう、近頃高市はよくそう思う。

 村で遊び仲間と転げ回っていたずらをしていたのとは違う。釣りの網を修理するじいちゃんのそばで手持ち無沙汰に手習いをしたり、昼間に作ったかぎ裂きを繕っていたときともまた違うような気がする。

 高市と、十市と、鷹と。気がつくと穏やかな日を暮らしていた。血のつながりのない三人が反目したり支え合ったりしながら一つの屋根の下で住むのは、実は高市の思っていた以上に気持ちのいいものだった、ということだろうか。


 鉄砲水で流されてしまったという父と母のことは幼かったので全く覚えていない。こんな激しい雨の日だったということくらいしか。

「こんな雨の夜にはオマエの父ちゃんと母ちゃんを捜し回ったことを思い出すのお」時々、祖父はそんなことを呟いたかと思うと黙ってしまう。

 頭に浮かぶのは雨で増水した真っ暗闇の濁流の中を、お互いの名前を叫びながら流されていく男女の姿。高市の中にいつしか棲み着いてしまった父親は最期まで母親の名を呼び続けていた。

 仲がよかったと聞いたことがある。覚えてもいない父と母だからこそ、父のたくましい腕で抱き上げられたらどんな気持ちだろう、柔らかい母の頬にすりすりされるのはくすぐったいだろうか、そんな詮ないことを考えてしまう。

 だから高市は一生懸命喋ることにしていた。その日あったことをいつまでも祖父に話し続ける。夜になれば夕食の支度中、後片付けも、その日の仕事を終えて布団に入ってからも。

 いらないことを考える隙間などないように。じいちゃんが黙り込むことのないように。

 こんな雨の日は特にそうだった。


 しかし鷹と十市と三人で暮らすようになってから、高市はどこかおかしいと自分で思う。

 最初の頃は反抗もあってあまりしゃべらずにいたが、それでも特に居心地が悪いということはなかった。その後も、それほど必死に話さなくても、なぜか二人の気持ちがわかるような気がしていた。

 十市はいつも機嫌良く話しかけてくれる。祖父を思い出して気が立っているときも、気分を和らげるお茶だといって花の香りのするお茶と甘いものをおいていってくれる。

 慣れない戦いの訓練でへとへとになっているときは、怪我の手当てを嫌な顔ひとつせずにやってくれる。にこにこしながら。

 高市はいつも思う。十市の手にはなにか不思議な力があるんじゃないか。十市に撫でてもらうと、昼間、鷹に滅多うちにされた痛みがなんだかすうっと和らいでくる。


 それよりも不思議なのは鷹だ。無愛想でほとんど話さない。訓練は涙が出るほど厳しいし、その後に畑仕事をしろなんて言われたら背後からでも殴ってやりたくなる。いつも何を考えているのかわからない仏頂面で、あれこれ命令してくる。

 でも時々優しいとしかいえないような目で十市を見ていることがある。十市のふとした失敗に微笑んでいたり、今だってそうだ、十市のかわいい命令に苦笑しながら黙って椅子の脚を修理している。十市に向ける目はいつも柔らかだ。

 父ちゃんがいたらこんな感じなんだろうか。父ちゃんは母ちゃんをあんな目で見ていたのかもしれない。

 覚えてもいない父親が微笑みかけてくるような気がして、高市は軽く頭を振ってその考えを追い払う。

 雨の日はこれだから困る。


「高市、夕飯までに終えるぞ」

 声をかけられてビクッと顔を上げると穏やかに鷹が笑っていた。意味もなく胸の奥がざわついた。

「アンタこそ終わんのかよ」

 言われっぱなしは性に合わない。挑戦的に鷹を見返す。そこにはほとんど修理の進んでいない椅子があった。

「アンタ、修理苦手なんだな」

 勝ち誇った気持ちで鷹にそう告げると、どこ吹く風といったふうに、

「それじゃあ仕事を交代するか」

 と立ち上がろうとする。

 ねらってやがったな。罠にはまったのは悔しいけれども、おいらだって掃除は苦手だ。

 不承不承従う振りをしようとした。

 けれども十市が耳ざとく聞きつけ、

「だめですよ。ふざけて椅子の脚を折ったのはどなたですか? 二人とも今のお仕事、頑張ってくださいね」

 と、にっこり微笑んだ。

 チラリと鷹をうかがうと、鷹は、唇の端をキュッと片方上げてにやりと笑っっている。

 仕方ない。


 そして夕食までの間、黙々とお互いの作業にいそしんだのだった。

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