エクセル・ドーハ 第二話「殺人鬼《ぼく》とワルツを」完
やはり涙では何も変えられない。変えられるのは強い自分だ。
出典 ストーム・ブリング・ワールド 冲方 丁 作
カナギナ大河で起こった戦闘とおぼしき連続した爆発。金属の大海蛇が出たという報告のその検分のために、怪我を引きずりアシュリー市東側可動鉄橋へ急行したウェイルーは、何かが落ちてくる姿を目撃する。
「あれは……!」
轟音を上げて、赤の光と黒の混じった何かが鉄橋の真ん中に激突する。軋み、やや傾く鉄橋。浅いクレーターとなった鉄橋の道に、煙を巻き上げてしゃがむ人影。
「よぉ、あんたは……」
男の声。何かを両手で抱え、人影がゆっくりと立ち上がった。
揺らめく陽炎=全身から発生する熱の証。黒い装甲に、血管の如く煌々と赤のラインが走る。
輝く奔流は、腰にある宝玉のついた無骨なデザインのバックルから始まっていた。
人体の形を取りながら、その姿は歪。胸から別れて左右半身は装甲がそれぞれ左右非対称の歪んだ形状となっている。
首元にはまるでマントのような長大な純白のマフラー。風も無い夜を、生きているかのようにはためく。
そして、顔は凶相。赤い光が燃える両眼と、額に生えた禍々しき双角。幽鬼の如き骸骨の仮面。
「あなたは……」
知っている。かつて軍隊の式典でこの姿を見た。荘厳たる騎士の群。中央にいる英雄、五人。その中央に立つ、このイドス国の国防、その中心そのもの。
そして、魔族との戦場にいた、化け物と互角以上の戦いを繰り広げる世界最強の超人。
「あなたが、ガランド……」
ウェイルーの声に緊張があった。無理もない、今対面している男は、単純な軍のトップではない。人類を守り続ける伝説の魔術戦闘者。生ける神話。
「……これは、出迎えもなく失礼しました――ガランド・ロクロォ将軍」
「気にするなよ、出迎えはいらんといったはずだ。えぇ、と、ウェイルー・ガルズ特別捜査官、だったよな? 敬礼もいらん。大体のことはロベック団長の報告書を読んだ」
黒の赤の幽鬼。凶相の骸骨は、気安い中年の男の声で答える
「あ、の、その少女は……」
「ああ、これは」
両腕に抱えられた喪服の少女は、目を開いたまま、動かない。すでに事切れていた。
「人工大海蛇、見たか?」
「は、はい、かなり大型のものが出現し、大河で戦闘をしていると報告をきいてこちらに急行したのですが」
「それはすでに俺が倒した」
あっさりと、告げる。報告では全幅五メートル、全長百メートルを超える艦船クラスだったらしいが、この男の前では敵ではなかったのか。
見渡すと、大河の川岸には様々な機械部品の破片が散乱していた。完膚無きまでに叩き潰したらしい。
「所属は恐らく無名機関。そして見ろ、この少女がその大海蛇のコントロールユニットだよ」
「これは……!」
破れた喪服、その隙間や長いスカートからは赤や青、人工頸椎の骨格部分が垂れ下がっていた。
恐らく、少女の脚は存在しない。
「腰から下が切除されて、あの大海蛇と直接接続されていたんだよ。最悪無理にでも切り離せばなんとかなるとも思ったんだが、生命維持装置の大半は大海蛇側につけられていた……」
男の声に、わずかに悔やむものがあった。
「この、少女は、体を改造されて……」
人間ではない、何かにされていた。こんなものが、少女の意志で行われたはずがない。
「神経系が若いほうが、こういう大きく体を作り替える改造の親和性が高い。――人間をなんだと思ってやがるんだろうな、やつらは……」
「助けようと、したのですか、あなたは」
ガランドの表情はわからない。骸骨の仮面は赤の炎を眼にたたえ、人の愚かさと残酷さを見つめている。
「説得に失敗、街を破壊しようとしたのを止めようとしてこの様だがな。――別に初めてでもないさ、戦場で子供を殺す程度のことは。無駄に長く生きているからな、俺は」
ガランド・ロクロォは、正式な記録に現れるのは二百五十八年前に記述された王宮歴史書からだ。最低でもそれだけの年月を、第一線の戦場の中に居続けている。
イドス国が世界最強の存在、ガランド・ロクロォを戦力とすることで他の国と比べ軍備費予算を抑え、それを投資するために商業主義に舵を切り、その商業主義の活発化のために半民主化へ移行していく。イドスの近代史は、この男によって決定づけられたといっても過言ではない。
その男がただ、たったひとりの子供を救えなかったことに、傷ついていた。悪鬼の鎧に包まれていても、人を超えた経歴と戦績を知っていても、その姿は、当たり前の人間にしかウェイルーには見えなかった。
「この子は、まあ、後から来た解析班あたりが体を調べるだろう。あまり粗末にしてやるなと、ガランドが言ってたと伝えておいてくれ」
「――はい」
鉄橋の道に英雄は少女の亡骸を静かに横たわらせる。手甲に包まれた、幾度も怪物を打ち砕いてきた無骨な手で、少女の瞳を閉じる。
「さて、とりあえず街の中と、それと希望街の方の被害の確認をした」
突然、爆音が鳴り響く。甲高い爆発音。街の向こう側から上がる、一筋の白煙。一直線に天へ飛ぶ炎の軌跡。
「あれは!」
「ほう、あれは……」
離れた所から、上昇する光を観察。点となりかけた人の姿。
「ミキシングか!」
イレイザーはもう死んだ。あの街であんなことができる者はやつしかいない。
「あれが、勇者か……」
みるみる小さくなっていくその姿を見上げながら、骸骨の魔人は左腕をゆっくりと掲げる。
「くそ、周辺に連絡を取って追跡を」
「――ガンセット」
声と共に、ガランドの左腕装甲が変形。いくつかのバーツへと別れ、再結合。手の中へ。
「そ、それは……」
ウェイルーにはそれは見覚えがある形だった。かつて、王宮博物館にあった展示物。密閉した筒状金属管に、火薬による炸薬と金属弾頭を詰め、発射する武装。
魔術の使えない貴族の子供用の護身具だったそうだが、魔術のほうがはるかに効率的なために貴族のお遊びで作られたものとしてすぐに廃れたという。
手ほどの長さの加速用バレル、発射のための引き金。パーツの構成と大まかな形は似ているが、ウェイルーが見たものよりも小さく、そして滑らかな金属のフォルム。
その器具の名は。
「……銃」
「高度は二千メートル近くいってるなぁ。長距離狙撃は苦手なんだよ。GPS補正なんて無いしなあ」
「じー、ぴー、……?」
聞き慣れない言葉、専門的な魔術用語か?
「気にするな、こっちの話だ。さて、」
ガランドの魔術が展開。手に持つ「銃」の銃身から、歪む空間が一直線に伸びる。天を目指す勇者、それを刺すように長大に形成された重力による延長バレル、長さ六十メートル。
「――こいつは先輩からの歓迎だ、受け取れよ後輩」
魔人の眼が、勇者を捉える。巨大な魔力が空間を広がり、渦巻く圧力にウェイルーの表情が強張る。そして一瞬で収縮。ガランドの左手へ集う。
引き金が、引かれる。
「この世界に、ようこそ」
発射の瞬間、大きく空間が歪んだ。音よりも速い超衝撃波が、吹き荒れる。しかし、ウェイルーや少女の遺体に衝撃は無い。ガランドが事前に強力な重力障壁を付近に展開していた。
遥か彼方にいる、点となった勇者。小さな爆発が見える。その軌道が大きく曲がった。直角以上の角度。曲がったのではない、落ちている。撃ち落とされた。
「命中した!?」
声を上げるウェイルー。しかしガランドは右手で顔を抑え、下を向く。
「――あ、あー、うわーかっこわりぃな……少し外しちまった」
点となった人影、そこから光の点が分離する。落下しながら、どんどんと拡大していく。
「腕か脚ぐらいが吹き飛んだだけかあ。おぅおぅ、奴さん怒ってるみたいだ。……反撃してきやがった
よ」
光の点の正体は特大のプラズマの火球。ウェイルー達めがけ落下してくる。
「退避を!」
「いらねぇよ」
突き上げられる右腕。拳に宿る高密度魔術紋様が空間を走る。解き放たれる超衝撃波、重波撃術式。
拳から放たれる重力のハンマーが、迫る火球を粉砕。花火のように散乱して街に落ちて消えていくプラズマ。
「あの状態から反撃か。なかなか、面白い小僧じゃないか」
落下軌道から持ち直し、西の空へ消えていく勇者を見上げながら、英雄は嗤う。
「また、遊ぼうか」
△ △ △
警察病院内で、アニッシュ・バイラは驚愕していた。蜂蜜色の肌には傷。目元の泣き黒子の下には絆創膏。左腕は包帯に巻かれている。怪我人で満杯の警察病院内で、ウェイルーがいない間の指揮を執っているのは彼女だ。
本来冷静なはずの彼女が、疲労に憔悴しながらも取り乱すことは余り無い、はずだったが、その後ろ姿を見てはさすがに驚く。
低い背丈。煤に汚れたシャツ。ひとまとめにされた金髪。
「生きていた……!」
エクセル・ドーハ。この事件の中心にいた、なんの戦闘技能も持たないはずの彼女が、無傷のまま病院を歩いていた。
「ケガ一つ無い……なんて幸運、いや悪運なの……あの娘?」
イレイザーとの戦闘で避難させるも行方不明とのことだったが、死んでいないどころかケガもしていないとは。
「いるのね……ああいう運命の人間って」
△ △ △
病室には怪我人が溢れていた。ベッドが足りず、床に寝かされているものもいる。
その中で、昏睡状態のプルーフが奴隷であってもベッドから下ろされずにいられたのは、ウェイルーのはからいだろう。
赤髪の美女の、眠る顔を見ながら、エクセルはその紋章が入れられた手を握っていた。
「ねぇ、プルーフ。あたしね、ソウジのやつにふられたみたい」
寂しげに笑いながら、エクセルは語りかける。
「『待って』って、そう止めても行ってしまったわ。ほんと、薄情で恩知らずなやつだった」
彼女では、勇者を留めおく理由にはなれなかった。
「ほんとはわかってた、あたしの限界なんて。記者なんてただ親のつてを利用してごっこをしてるのが精一杯で、ほとぼりが冷めれば田舎に帰って、縁談でも受ける、いつかそうなるって、思ってて」
「そうなるって、わかってた」
「でも、ね。プルーフ。もう一つだけ、やりたいと思うことができたんだ。憧れを叶えることはもうできないかもしれないけれど、もう一度やりたいと思えることができたんだ。こんな、あたしでも」
強く、強く手を握る。自らの思いを、彼女は誓う。神にではなく、運命にではなく、彼女と半生を共にしてきた、姉のような、親友に。
「――それで、一体、お嬢様は何を思ったんですか?」
「……!」
プルーフの眼が、薄く開く。消え入りそうな声。それでも、はっきりと聞こえる。
「プルーフ! プルーフ、プルーフ、あ、あぁ、あ……」
「泣か、ないで下さいよ、子供に返ったみたいじゃないですか、お嬢様……」
「あ、たし、あたし、プルーフがこのまま、ずっとこのままなんじゃないかって……怖くて」
「くたばって無いってことは、あのソウジのやつ、なかなか治療がうまかったみたいですね……早く出ていけなんて、言わなくても良かったかしら」
自らの言葉を思い出し、薄く笑う美女。
「……それで、うちのわがままお嬢様は、今度はどんなことをしたいと?」
「あの、ね、ソウジのやつは、『二度と会わないほうがいい』って、そういっていなくなった……正直ね、それ聞いて、なんか、後から」
「ああ、それは最悪ですねぇ、あの恩知らず野郎」
「すごく……すごくムカついた」
「それで、お嬢様はどうしたいと?」
「もう一度、会いにいこうと思う。もう一度会って、言ってやりたいことが山ほどあるから」
決意と共に言い切る主人に、メイドは呆れながらも、答えた。
「やぁれやれ、うちのお嬢様は恐れ知らずですね。じゃあ仕方ないから……」
朝日が窓から登る。壊れた街と、焼けた瓦礫と、それでもなお立とうとする彼女に光を降り注ぐ。
「また、お供いたしますか」
第二話 三流記者と殺人鬼のワルツ 終
次回予告
ワルツの終わりは、いつも悲しい。
それでも、また人々は踊り出す。明日という舞台に、己の人生を賭けて。
勇者は、一体何を賭して踊るのか。
勇者は落ちる。雪山の中へ。
そこでカゲイ・ソウジはとある存在との奇妙な邂逅を果たすこととなる。
とある存在とは、ひとりの男。名はギィド・ウォーカー。
魔族と呼ばれる、兵士である男。
第三話 いつか、殺し合う日まで