焼却者
『やー、参った参った。彼ったらなかなか余裕がないんだもの。会話が楽しめなかったよ』
いつものように気安い言葉が壁に残響する。だが、その言葉にはほんの少し、恐怖を味わった跡が見える。
「……人員二名を失ってほざく言葉はそれだけか?」
肉屋が壁越しにいる存在へ声をかける。腕を組み、静かに椅子に座る姿は節制業を行う修行僧にも見えた。 吊し切りケリーの帰還。報告を聞いてみれば、ミキシン グとの接触と人員二名の損失。唯一の救いはターゲットの 抹殺に成功した程度だ。もっともその程度、出来ていなければ論外だが。
『そんなに怒らないでよブッチャー? 彼をまともに仕留めようとするなら、派手な戦闘は避けられないよ。その時点で僕らには致命的だよ。隠密性が僕らの売りなんだからさ』
「そもそもはまともに仕留めようと考える事自体が我らの役目として間違っている。……だが出来るなら身柄を回収しておきたいな。それが駄目なら腕の一本でもサンプルに持ち帰りたい」
『おーおー、仕事熱心だね。でさ、あのミキシングの彼、 正体ナニモノ? 本国から色々情報来てるんじゃないの?』
気楽な調子を崩さず、声が問う。ミキシングについての前情報は、コードネーム名とノル国で何らかの事件を起こしたとしか 吊し切りケリーは知らされていない。
「共同調査団の報告がやっとこちらにも渡ってきてな。――結論から言えば、ノル国はすでに消滅している。そして あのミキシングがそれを一人で成し遂げた可能性が高い 、という内容だ」
『――へぇ、それはそれは』
下手をすれば、報告書の真偽は疎か、発言したブッチャ ーの正気さえも疑いかねない内容。だがいとも簡単に二人はそれを受け入れる。
『ミキシングならば、あるいは』それがあの怪物を目撃し、対峙し続ける二人の共通の見解。
『ぜひ報告書を生で読ませて貰いたいね。ベストショットな光学映像でも付いてればさらにキュートだ――あの捜査官殿は、そんな怪物を血眼で追いかけてるというわけかい 。頭が下がるねぇ。ねぇ、所でいくら何でもヤク中に鉈持たせて襲わせるとかセンスが古すぎない?』
昼間、ウェイルーを襲った鉈男の一件。差し金を引いたのはブッチャー。目的はウェイルーへの牽制。 だが、今の所は裏目にしか出ていない。
「思ったよりヤる女だったな。警戒して多少動きが防御重視になれば動き易くなると踏んだのだが、まさか余計に過激になるとは……」
カゲイ・ソウジと並ぶ計算外、ウェイルーの存在が更に事態をかき回す。
『あのさあ、あの鉈男、最後始末したの誰? いきなり死んでるからちょっとびっくりしたんだけど』
「……あれは、あの手口は『 焼却』だ。すでにヤツはこの街に潜入している。始末に手を貸したのはヤツなりのお節介と俺達にプレッシャーを与えて撤退を速まらせるためだろう」
男の顔が歪む。自分達が追い込まれているという現実が あの鉈男の抉られた頸椎の傷跡によって告げられている 。
『――もうこの街にいるのか。聞いてないよ、全く』
声に再び走る戦慄。この忌まわしき飽食者を萎縮させるほどに、焼却は恐ろしい。
「――とかく、もう一つやることが出来た。ウェイルーと接触しようとする人間がいる。ゼントリー・ダナ、刑事だ。恐らくウェイルーへの情報提供が目的だろう」
『ふぅん、あのゼントリーが? あれ、監視役からはそんな盗聴記録あったっけ?』
興味深そうに殺人鬼が問う。
「盗聴記録は無い。ウェイルーとのコンタクト自体に盗聴対策がされていたからな。だが、思わぬ所から報告が来た。全く、持つべきものは人脈だな」
薄暗闇で禿頭が嗤う。軋みを上げるような笑み。そっと 、煙草に火を灯す。
「――すでに手遅れなのさ、この街は。どうあがこうと、 修正は出来ない。腐毒にまみれて崩れ去るか、炎に焼かれて残骸となるか」
後少しで夜が明ける。登る朝日が、闇を払う。 されど、この増殖する策謀と混沌を消すことは出来ない 。 肺を満たす紫煙。床に落下する灰。滲む鬼火は、男の暗い愉悦を僅かに照らす。
「あるいは、毒も炎も抱えたまま、なお蠢く街となるか」