俺が殺した
「……なぜここに来た?」
「前々からこの人達には、アイネさんたちのほうに近寄らないように注意していたのですが、無駄だったようですね」
「た、助けてくれぇ、ソウジさん!!」
黒髪、長身の青年が歩く。カゲイ・ソウジは無表情なまま、手を伸ばし、必死に「勝手に歩き出す自らの脚」に抗う男三人に向かう。男達に安堵の表情が浮かんだ。
「だからやめなさいといったのに……おっと」
1人の首を掴み、もう1人の胴を抱える。残り1人を体で押さえ込み動きを止める。
「さすがに1人では厳しい。ハザルさん、これはどのような魔術なのかよくわからないのですが、止めていただけませんか?」
「無理だ。そいつらには崖から落ちてもらう」
「いやだぁぁ!!」
男の叫びが強まる。安心からやはりダメらしいと分かって絶望が揺り戻してきた。
「これは困りましたね」
「助けてくれよぉ! なぁ! ソウジさん!」
「僕もそうしたいのですが」
「役立たずが!」
口々に勝手なことをいう男達。自分たちが撒いた種だという自覚などない。
「なんでだよ!!」
少年の叫びが響く。アイネを抱きながら、キースは憎悪の目でソウジたちを見ていた。
「助けなくていい、そんなやつ死んでくれよ! 死ねよ!! 殺してくれよ!!」
あの全てを諦めていた顔ではない。全力の怒りと殺意を込めて叫んでいる。
「……カゲイ・ソウジ、そいつらがアイネになにをしたのか、知ってるのか?」
「ええ、全て知ってますよ」
ハザルの問いかけに頷く。すり抜けてドアへ向かう1人を押さえつけ、なんとか引き戻す。
「その上で、そのゴミ共を助けるわけか」
「ええ、助けますよ。ハザルさん」
「……そいつらに救う価値があるのか?」
「僕は価値があるから救うのでなく、僕が救わなければいけないから救うんです」
「ソウジ! 頼むよ、そんなやつ助けないでくれよ!」
キースの悲鳴にも似た懇願にも、ソウジは動かない。
そして、ハザルもまた演奏を止めない。
「助けますよ。君も、アイネさんも、この人たちも、助けなければいけないんです」
不意に鈍い音が鳴った。ソウジが抑えていた1人が、もんどり打って倒れる。
「が、ぎゃああああ!!!」
男の左足は、脛の半ばから直角に曲がっていた。皮膚を突き破り折れた骨が見える。
「ひ、い」
「なに、をした?」
ハザルの問いに、ソウジは答えない。青年の脚が動く。鈍い音がもう一つ。
「が、あああああ!!!!! な、なんで、なん!!」
更にもう一つ。
「があっあああ!!!」
「……そうか、無理やり歩かされるなら、脚を折ればいいと思ったわけか」
「ええ、魔術原理も今ひとつわからないし、気絶させても無理そうだし、それが手早く合理的かと。怪我は後でいくらでも治せますから」
ハザルの額に冷や汗が流れる。人を救うと口ではいいながら、迷いなくこういうことをやるとは。やはりこの男は油断ならない。
「だがまだ這いずることも出来るぞ」
ハザルの曲調が微妙に変わる。今度は泣き叫ぶ男達の腕が動く。
「おやそれはいけませんね」
「やめてええええ!!!」
男の叫びを無視してソウジが脚を振り下ろす。鈍い音。今度は腕が反対側に曲がる。
「ぎいいいい!!!!」
「なにをしておられるのですか!!?」
ドアから長身の修道服が見えた。デンスクリーが血相を変えて飛び込んでくる。
「こんな、やめてくださいソウジ様、暴力を振るうなんて! 主が嘆きますよ!」
「僕もしたくないのですが、動けなくするにはこうするか……ハザルさんに協力を願うしかないのですよ」
ソウジがハザルに視線を送る。男は今なお害虫を見る目で演奏を止めない。
「ハザル様、どうかこんなことは……」
「こいつらが過去にアイネへなにをしたのか、知っているのかシスターデンスクリー?」
「他の奴隷の方や、キースさんからは聞いております、たしかに、許し難いことと思いますが……あなたはそれに対して怒っておられるのですか?」
奴隷の女に同情し怒る。そんな男だとはハザルは見えなかったのに。なにがこの男を動かしているのか、デンスクリーの疑問が膨らむ。
「……私がなにを思うかはどうでもいい。こういう輩でも救いたもうが神の教えか? 大したものだな。そこの青年も救うと言っていたが、私には理解しかねる。ゴミはゴミとして始末するだけだ」
「あなたが慈悲と正しさをもって、アイネさんの苦痛に相応しい報いを与えようとしているのはわかります。しかし、過ちを許すこともまた神の教えと」
「その神とやらはこの姉弟をいつ救った!?」
「ひ」
初めて、ハザルが怒鳴る。デンスクリーは短い悲鳴を上げた。周囲に吹き荒れる魔力。むき出しになる、神に救われなかった者の怒り。
「説法がしたいなら……他でやれ、デンスクリー。ソウジ、お前もそこのシスターと同じく神がどうとかのたまうのか?」
「いいえ、それを今語らうつもりはありません。ハザルさん。彼らを助けてくれませんか。二度と彼らがここにこないことを約束させます」
それでも静かに、カゲイ・ソウジは語りかける。
「僕は、弱者を救わねばなりません。そして過ちを犯したとしても弱者は弱者なのです。彼らもまた、アイネさんやキースさんと同じ救わないといけない相手であることは変わりません」
自らより劣る弱者を踏みにじり、嘲笑ったとしても、彼らはなお弱者であるとカゲイ・ソウジはいう。
「神の代わりにお前がそいつらを許すとでもいうのか」
「僕にそんな権利はありません。許すことも裁く資格もない。僕もまた彼らと同じく間違い続けた人間だからです。しかし、それでも僕は弱者を救わねばならない。そう約束したからです」
言葉に魂は無く、表情に感情は無く、声に熱は無い。しかし青年は──勇者は淡々と、迷い無く人を救おうとする。
「そ、ソウジ様、あなたは……」
デンスクリーは、カゲイ・ソウジの中にある決意を思う。なにが、この神に祈ることさえもしない青年を強く突き動かすのか。神にすがる生き方をする彼女にはわからなかった。それでも、この青年に「自らが求める」ものがあると思った。
「……カゲイ・ソウジ、お前にどういう理由があろうと、そいつらを生かす意味が私には」
「もう、やめてぇ!! こわい、こわいよぉ!!」
アイネが泣き叫ぶ。無理もない。彼女の幼く傷を抱えた精神では、この暴力と怒りが支配する空間に耐え切れるはずもない。
「姉ちゃん!」
アイネを抑え込むキース。ハザルは演奏を止め、アイネへと近づく。彼女の混乱を沈めなければまた自傷するかもしれない。
「ソウジ、……やつらを治療してここから出せ。そしてもう二度とアイネとキースに近づくなと約束させろ。次に見かけたら躊躇無く殺す」
「はい、約束しましょう。ありがとうございます、ハザルさん」
△ △ △
外はすっかり暗くなっていった。ベットではハザルの演奏により鎮静化されたアイネが静かに寝息を立てる。
男三人はソウジの治療で脚を治され──しかし罰として腕などそれ以外の負傷はそのままに──ほうほうのていでシスターと共に小屋から連れられていった。
テーブルを挟み、キースとハザルは座る。そのまま、一時間は互いに黙り込んでいた。
少年と男は、暗い室内の中で向き合う。顔も背の高さも年齢も立場も違う。それでもハザルは、
──まるで鏡を見ているようだ。
そう思った。少年を見ることは、己で己を見るような苦々しさを感じた。
初めに口を開いたのは、キースだった。
「なぁ、なんでさっきやつらを殺してくれなかった……?」
「殺しても良かったが、邪魔が入って機を逃した。それだけだ」
「次見つけたら、殺してくれるのか?」
「次に顔を出したら殺すと言っただろ。記憶力がないのか?」
「殺してくれよ。絶対に!」
「奴隷風情が私に指図するな。そんなに殺したいならお前がやればいいだろ」
「やれればやってる!!」
「無理だな。お前などに人が殺せるか」
「俺は……!」
キースが言葉に詰まる。それでも、絞り出す。
「俺は殺せる……殺せる!」
ハザルは呆れたようにため息をついた。子供の強がりにつきあっていられるかと。
「そうかそうか。で、話を変わるが、アイネは妊娠していたのか。で、降ろすなり死産で胎から出たものをお前があの墓に葬ったと?」
「……」
「アイネはそれを知っていたのか? だからあの墓で泣いていた。そうだな?」
「……言ってなかった。知らないと思ってたんだ。でも、姉ちゃんはそれを知ってた」
「恐らくな。アイネは私やお前が思うよりは、物事を理解できるらしい」
「姉ちゃんの腹が段々デカくなって、産婆や他の奴隷にどうすればいいか聞いたんだ。そしたら、やつら、わ、笑って」
少年の拳が、固く握られていた。
「あれならそうなっても仕方ないなって、言ってた。助けてもくれなかった。あいつら!」
これがこの姉弟の現実だ。弱者の中で更に踏みつけられる最下層の弱者の姿だった。
「それでお前がそれを降ろしたのか? または出産に失敗して死産で……あるいはお前は」
ハザルはやっと気づく。少年のさっきの言葉の意味を。「俺は殺せる」という宣言の意味。
「姉ちゃんはその時、気絶してた。赤ん坊は泣いてた。男だった。それを、俺は」
少年の拳が、震えている。怒りと憎しみで固められたその小さな拳が、自らの罪の重さに、震えている。
「首を捻って、殺した。育てられるはずもなかったし、育てたいとも思わなかった。俺たちが生きるのにただの重しにしかならないと思った。あんなものは俺たちの家族じゃない。家族なわけがない」
そう自らに言い聞かせてるだけだと、ハザルは思う。でなければその赤ん坊を家族が眠る場に埋めるわけがない。
「姉ちゃんには、赤ん坊は他の人に貰われていったって言った。そうすれば姉ちゃんも安心すると思った。でも姉ちゃんは、知ってた。知ってたんだ」
アイネはキースの嘘を知っていた。なにがあったのかを知っていた。
「姉ちゃんは、きっと全部知ってたんだ、俺が何をしたか、全部知ってた。それでも俺を責めなかった……姉ちゃんを助けられなかったときも、震えて見てるしかできなかったときも、俺を責めなかった」
少年の眼に、涙があった。全てを諦めていた少年の中に、まだ捨てられないものがあった。どれほどの許されない罪を犯そうとも、忘れてはいけないことがあった。
「だから俺が、姉ちゃんを守らないといけないんだ」
キースの独白を聞いたまま、ハザルは無言で眠るアイネをみつめていた。もはや男には、彼女を見ることにより生ずる郷愁や悲しさはなかった。
やるべきことを、見つけたからだ。
「キース」
少年に眼前に笛を突き出す。男が作り出した、少年のための笛だ。
「ならば吹け。姉のために死ぬ気で覚えろ。そのために生きろ」
「……吹き方、ホントに教えてくれんのか?」
「教えるといっただろう。私は言ったことは守る」
「俺がアンタみたく上手くやれるのかよ?」
「無理だ。その未熟な技術と未熟な道具で私のような段階に達せるはずがない」
にべもなく切り捨てる。夢を見せてやるように言葉を飾り立てることなどハザルは知らない。
「だがな、技術と道具で作れるものは所詮はただの音に止まるだけだ。奏でるものの魂が、ただの音を本当の音楽に変える」
だからそれは、ハザルの知る真実だ。
「魂の傷が、本当の音楽を作り出す。傷と痛みの無いものに、人を揺さぶる音楽は作れない」
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