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「そうか、それがあんたの理由か。確かにそれは、辛い、ことだよな」
「知った風な口を聞くな!あんたに何が解る!」
「そう、だな。俺にはそんな明確な敵意を向ける相手が解らなかったことが救いだったのかもしれない」
未だ睨み据える先に立つ少年は、此方から視線を外すと、何かを思い出すように呟き始める。
「最初は、俺がまだ十にもなってない、本当に何にも知らないガキの頃だった。それまで魔獣の被害はちょくちょく在ったけど、それでも村の大人達が頑張って平和に暮らしてた、特に何があるわけでもないのどかで辺鄙な、それこそ何処にでもあるような村でさ。
夕暮れに差し掛かろうかっていう晴れた日のことだったかな。不意に、本当に不意に『それ』が現われたんだ。この屋敷位の大きさもある四足で勇壮に佇む巨躯の魔獣が。誰しもそれが魔獣であろうというのは解っただろうけど、それ以上の考えができなかったんだと思う。その前脚が動き、それによって起こされた破壊の成り果てを見るまで、誰一人声も出せず、動くことも出来なかった、んだと思う。
そして、それが始まった。
本当に酷い蹂躙劇だった。その見た光景はたぶん、似たような物だと思う。悲鳴、燃える家、飛び散る血、討ち捨てられた死体。そして目の前で姉ちゃんを殺されて・・・・・・俺はそこで意識を失った」
吸い込まれるように、引き込まれるように身動ぎもせず聞き入る私に、其の少年の話す内容が何故か容易に想像出来そうであった。いや細部はさすがに浮かび上がらないが、その紅い世界と耳に残る物はきっと同じ物なのだろうから。
そして、それに意識を奪われながらも、一つの言葉が思考の片隅で鳴動している。それの意味を考えるのだと、その考えはあってはならないだろうと思いつつ。
この少年は、語り始めの言葉に何と言っていた?
『最初は』?
それはあの惨劇としか言えないあれを、この少年が経験したのは一度では無い、ということなのか?
もしくはそれに近い酷い経験を他にも経験しているということなのか?
師との出会いを語っていたとき、この少年は何といっていた?
見たことも無い巨躯の鳥獣に襲われ死を覚悟して居た時助けられたと言っていたきがする。
それがもしかしたらこれに近い状態だったのだろうか?だとしても、何故その名が出てこない?
「意識が戻ったとき、俺が居たのは其の村と交易のある旅商人の荷馬車の上だった。あの倒壊した村に俺の魘されたような声を聞いて拾ってくれたんだ。気を使って色々話しかけてくれたんだけど、その時の俺はなんつーか、ガキだったから。塞ぎ込んじまって何も言わない俺に、それでも次に行く漁村で知り合いが居るからそこで預かって貰えるか聞いてくれるって言って。
その人が教えてくれた人がまたいい人でさ。そんな暗く塞ぎこんでる俺にいつも明るく声掛けてくれて。今日からお前は俺の弟だって。あの時は本当に嬉しかったんだけど、碌に返事も出来なくて。
それでも一年も過ぎた頃にはそれなりに其の村での生活に慣れ初めて来たんだ。とはいっても、ここに来る前の村がそうなった時、只一人生き残った俺を、その村の子供達の中では受け入れてくれない奴もそれなりにいたけどね。このままこの村で過ごして行ければ、きっと昔のことは忘れられるかもしれない、と。
でも、そうはならなかった。それが起きたのは、曇り空のやや雨がパラついていた空模様の時。
その日、大人達が船の様子を見に海へと行った後、俺に不幸の子とかそういう言葉を投げてくる奴らに、まるで逃げるように少し離れた山にある洞窟、まぁ隠れ場所みたいなとこに居た時。
そこから見下ろせる海上に『それ』が姿を現した。
それが一度啼いた時、海の水が急激に退き始めて。波が高くなる前に船を陸に上げて攫われないように固定をしに出ていたように見える村の大人達は大声で警告を叫び、それに逃げ惑う女子供の悲鳴、それを追うように響く地鳴りのような轟音。まるで壁が迫ってくるかのような大きな波に、其の村は呆気なく飲み込まれた。
その光景が飲み込めず、ふらふらと今までの村の様子を思い浮かべながら確かめに歩いて辿り付いた時、俺が最初に眼にしたのは、まるで何かに押し潰されたような、兄ちゃんと思われる背格好をした男性の、それが元々は人間だったのだと漸く分かる程に変わり果てた姿だった。
そして―――」
何故言葉が続くのだ!ここまで聞いただけでも、こんな過去を持つ私ですらこれ以上生きたいと思えなくなるほどの出来事であるのに。
痛みを覚え表情に苦悶が浮かぶ。。まるで締め付けられるように、ギリギリと、止むことなく胸を締め付ける鋭い痛みに、押さえつけるように、それに耐えるように右手で胸の辺りを強く握り締める。
この少年は、どれほどの過去を背負っているのだろう。
この少年は、どれほどの業を背負っているのだろう。
この少年は、どれほどの死を背負っているのだろう。
「その村に起きたことを調べる為にと赴いた難しい研究?だったかな、それをしている人が来たとき、俺はまた拾って貰って、また違う村へと連れて行ってもらった。
ここでは、その漁村の時より、更に自閉的なガキになっちゃってたんだ。何故俺は生きているのか、俺こそが死ぬべきだったのではないのか、俺がここにいると、また同じことが起きるのではないか、って。ずっとそんなことばっかり考えて誰も相手にせず、それでも、そんな俺に優しくしてくれる人は、ここにも居て。
でも、やっぱり心をひらけないままに、三年が経った頃。
日が傾き、そろそろ暮れるという頃、急に視界が暗くなった。何がと空を見上げたとき、沸きあがってきた感情は恐怖や困惑とかじゃなく、あぁ、またか。とむしろ納得といった感じで俺はそれを見ていた。
その両翼を一杯に開き羽ばたかせ、それから降り立つその姿に、俺は逃げることも、警告の声を出すことも、何も出来ずに只突っ立っていた。そんな俺に震えながらも何処かへ隠れてとか、早く逃げてと声を掛け続ける姉ちゃんに、それでも動く気が起きずに居ると、また、俺は目の前で姉ちゃんを引き裂かれた。その悲鳴を目の前で聞きながら。
その悲鳴で、俺の中で何かが千切れたように意識を失い始めていたんだけど、その時駆けてきている一人の男の姿が見えたんだ。まぁ後から聞いたら、それは師匠だったんだけど」
自分の過去を話し、それに何か言葉を掛けてくるものは何人か居た。それは取ってつけたような哀惜や悲哀、憐れみや憤り。しかしそれを聞くたびに沸き起こる憤懣とした気持ちを私は持て余していたけれど、そんな私でも、この少年にどう言葉を掛ければいいのか解らない。
何か言うのが筋なのだろうが、それは何といえばいいのか、言うべきなのか。
こんな展開になるとは思って居なかった。あの能天気な表情を見せるこの少年に、そんな物を私に向けられなくしてやりたいという思いで語ったような気がするのに。
何故この少年はそんな顔を出来るのだろう。
何故私はこんな風になってしまったのだろう。
出会わなければよかった。
知らなければよかった。
私の不幸を薄っぺらにされた気がした。
私の怒りを安っぽくされた気がした。
私の中に澱む黒が、塗り替えられるように染められていく。