2 鷹
この世界には魔獣や幻獣と呼ばれる存在がいる。それは単に陸上の獣のみにあらず、海獣や鳥獣にも存在し、それこそ何百年も前にはかなりの脅威として人々を恐れさせたらしい。
とはいえ、それらは駆逐され続けた訳でもなく、其の気性を探ってみると、人懐っこい物なども居るためその種族別に危険度の等級分けがなされたりもして、危険度の高い物が人里の側で発見されたときにはそれに賞金を掛けて討伐依頼が出されたりもする。
単身での討伐には危険も伴うが、それ分の見返りも大きい。
その為、対象の取り合いによる流血沙汰の諍いもそれなりに発生し、それによって更に腕に覚えのあるものの淘汰が繰り返されても来た。
現在、単身での討伐を行える者は極少数で、其の腕は対魔獣、対人間と分けることなく無類の強さを誇るとされ、敬意や畏怖を込めて、或いは其の逆、本名を口に出すのを躊躇い、憚り、二つ名を持って呼ばれるようになった。
そして、それら討伐を持って生業とし、世界を巡る人を、旅人と区分けするように、彼らのことを人々は冒険者と呼ぶようになった。
そのうちの一人。その二つ名を持つ冒険者の中でも、其の知名度の高さでは群を抜いて高い一人の男。
『鷹』と呼ばれる彼は、自分を取り巻く状況を改めて確認し、緩く溜息を吐く。
十日後に王都アーリの衛星都市の一つ、ヒルサーリオにて落ち合う約束を取り決めてしまっている。
途中宿をと立ち寄った村で、魔獣の討伐を依頼され、そこで思いの外足止めを食らい、いざ終わって旅立とうとした時には、ぎりぎり間に合うかどうかという所まで旅程に掛けられる日数に余裕がなくなっていた。
そして、今である。
「ここに何をしにきた、『鷹』よ」
ずらり、と行き先を塞ぐように立ち並ぶ人の群れ。そこには友好的な気配などなく、敵意を隠す素振りすらなく、足止めに時間をとられるのが目に見えているだけに、溜息が出るのを止めることが出来なかった。
「取るに足りないとでも思って馬鹿にしているのか?」
その溜息ですらも小馬鹿にされた、と捕らえられるらしく、穏便に話し合いなどできそうもない。
見たところ十人は居る。先頭にて自分と相対し、言葉を投げてきているこの男がこの集団の取りまとめをしているのだろう。一人だけその装いにも周りのそれよりも一段階良いものを着けている。
この先の展開は一つきりだろう。そう思うと、またしても溜息が出そうになるが、それもまた邪推をされて、要らぬ怒りを呼び起こすだろう、いっそ避けられないのならばと息を飲み込み思考を切り替える。
「お前さえ、お前さえ!! ・・・・・・この背国者が!」
其の言葉を叩き付けるように吐き出すと、其の男は剣を引き抜くと同時、背後に控える男達へと指示を飛ばす。それに呼応し、背後に立つ男達もまた鞘を払い、剣を抜き放つと、統制の取れた動きを持って囲みこむように動き出す。
何度聞いても、やはり其の言葉は心に痛みを齎す。
あの時、自分にもっと力があれば、と。
あの時、自分が引き止めていれば、と。
背に負う荷物を放り、手に持つ槍を構える。それを合図に走り出す人影を捕らえ、槍を振るう。
冒険者で槍を使う者は少ない。冒険者の内、大多数の基本武装は剣である。其のほかとなると、少数の魔法士が居る程度で、槍を使う者など十人も見たことが無い。
その理由も、現実的なもので、魔獣や幻獣の過半数が巣として寝起きし、活動の拠点としている場所が、森の中や岩肌に開く横穴であり、それらの場所にて自分の生死を預ける武器として、長物である槍は扱い辛い。それ故、鍛冶屋での製造も剣が主流であるため、手入れの面でも限りが出てくる。
そんな槍ではあるが、対人を考えると明らかに優位性が高い。特に今回のような多対一の場合。
その射程の広さ、それは旋回範囲の広さをも意味し、更に前述の理由から槍と相対したことの無い者も珍しくない。
よく見受けられるのが、槍の形状から突きを回避し、懐に潜り込んでしまえば、という考えの下、多方面から同時に接近し、誰か一人でも辿り着ければ、という特攻。
ジャリ、という足音が複数聞こえ、人影が迫り来る。剣を手に、押し寄せる人波に槍の柄の中程を持ち、距離感を確かめつつ身構える。
その人波の先頭が、槍の射程に脚を踏み入れたと同時、旋回させるように槍を振るう。風切り音の唸りを上げて穂先の銀光が走る。それは吸い込まれるように相手の持ち手を捕らえ、返すように逆旋回させた柄を振るい、激痛に蹲る男の横顔に叩きつける。その後ろの男が突撃の勢いをそがれ、もたつくように態勢を崩しているのを見て取ると喉に突きを放つ。
前進の勢いを削がれた相手に突きを繰り、その隣を抜けるように走り迫る男に、引き抜いた槍を縦に旋回させ、柄を振り上げるように振るい、その男の顎を砕く。
薙ぎ、払い、突き、引くと同時振り上げ、振り下ろし、切り上げてはまた突く。それと同時に蹲り、態勢を崩され、風穴を開け、武器を取り落とし、一人、また一人と其の命を絶っていく。
「まだ続けるか?」
怒りのままに表情を歪め、視線だけで射殺そうとでも言うように睨みをきかせる男に問う。
その場に立つ只一人の男に対して。
勝敗は既に決した。倒れる者も、過半が息絶え、まだ息をしている者であっても碌に動くことすらできないという様相。それを只一人の武力を持ってなしえたのを目の当たりにして、それでも挑むには、この男では結果が解りきっているだろう。
―――ピィイイイ
左後方から聞こえた、その鳴き声と思われる音を耳にしたと同時、『鷹』は体を右へと投げ出す。転がるようにして其の勢いを殺し、視線を上げると、目の前の男の喉に何かが生えていた。
振り向き、鳴き声の聞こえた方を探ると、弓を手に青ざめた男が居た。
立ち上がり、駆け出すもその男は大した反応もしないままに、一突きの元絶命する。其の視線は、槍を突きつけられたその時でさえ、此方を捕らえることはなく、ただ先程放った矢の行く先を捉えたまま。
再び戻ると、先頭に立っていたあの男は既に事切れていた。
「俺を恨むなとは言わない。あいつが死んだのは俺のせいだ。だが、それでもやはい・・・・・・」
首を振り、其の言葉を最後まで吐き出すことはなく、『鷹』は地に投げ出していた自分の荷物を背に負うと、その血臭の立ち上る場所を背に歩き始めた。
日が傾き始めたのを見て、夜営の準備を始めるべく、道を外れ夜を越すのに適当な場所は無いかと周囲を探る。火を起こそうにも周囲に林等もなく、無骨な大岩がごろりとあるだけで、あとは見渡す限りに草の生い茂る平原。もう少し歩いてみようかとも思うものの、先の方へ眼を凝らしたところで見えるのはポツンと一本だけ存在感を主張している、細長く、枝も少ない痩せた木が見えるだけ。
先刻に面倒ごとに巻き込まれたばかりであるだけに、できるならばあまり目立ちたくもなく、この先身を隠す場所があるかどうか、日が隠れ闇が深まる前にそこまでたどり着けるかどうか、そんなことを考えつつ、目の前にある大岩を見、溜息をひとつ零すと今日はここまで、と考えたのである。
そんな少し早い夜営の準備を終えた頃。特に何をするでもなく、明日は早めに起きて今日の遅れを取り戻すべきかと、今すぐ寝るべきか考えていたとき。
微かな音の変化を捉え、眼を細め、槍に手を伸ばし、周囲の気配を探るように耳を澄ます。
「やあ、久しぶり。息災で何より。さて、私は今空腹でね」
岩の上、何時そこへ移動したのか解からない程、音もなく、気配もなく、唐突に現れたと思うと、その男は以前出会った時と同じように、緩く口元に笑みを浮かべ、時折吹く風にマントを靡かせ、何を考えているのか悟ることの出来ない表情のままに、口を開くとそう切り出した。
そんな男に、溜息を零しつつも警戒を解き、何かあったかなと荷物を手繰り寄せると中身を確認するべくゴソゴソと漁り始める。
「にしても。何処に居たんだ? こっちはお前を探してここ半年ほど、各地を旅して回ったんだがな。それらしい男を見たと聞いては訪ね、外れたかとまた探してはまた外れ。其のたび探しておいてくれと頼んでみたが、帰ってくる返事はみな同じ物。だと思うと、いきなり現れる。今までの半年は何だったんだ」
唐突に現れ、かと思うと空腹を訴え食料の要求を切り出す。いままでそれこそ血眼となって探していたが、ついぞ見つけることも、その所在を示す情報にかすりもしなかったそんな相手に、ついつい愚痴が零れる。
「ほう、それはまたすまなかった。何分こちらに居なかったのでね。探しても見つからなかっただろう。それより、私は空腹でね」
そんな愚痴に、返答こそ在りはしたものの、そこに含まれた謝罪の言葉すらも生返事のように、まともに応える気が感じられない。其の上でまたもや飯をと言う。
眉根を顰め、憮然としつつも、見つかった干し肉と果実を二つ手に取ると、その男向け、感情のままに投げつける。取り落としてしまっても、それを見たものが咎めることなど出来ない程の速度で放たれたそれらを、其の男は気にすることもなく、「ありがとう」という言葉と共に平然と捕らえ、そのまま口に詰め始める。
「馳走になった。さて、私を探していたと言ってたが、理由は?」
それほど量があったわけでもないその食料を、空腹を訴えていた男が口にした為、然して時間が掛かることもなく食事を終えると、満足気な表情を浮かべながら口を開いた。
そんな男を見て、面白くない気持ちを引き摺りつつも、今まで聞くことの出来なかった問いを、先ずは何から聞くべきかと考える。
「お前に言われた通り・・・・・・あの時生き残っていた少年は、もう一人でも旅をできる位には育った。訳だが、あいつには、何かあるのか?」
言葉を上手く纏める事が出来ず、思いつくことを、思いついたままに話始める。
この男を捜す旅に出る、半年前まで傍らに在り、驚きと感動、そして数多の苦難を呈してくれた、未だ少年の域を出ない、こんな自分を師と慕う、少し変わった少年のことを。