10
私達が屋敷の門を出、それから数歩も歩いたかという所で、背後から聞こえた足音に振り返ると、そこに居たのは『鷹』と呼ばれる男がこちらに近づいてくる姿が見えた。
数歩離れた位置で立ち止まり、その手に持つ剣に視線を据えると口を開く。其の意識は、私の隣に向けたままに。
「『夜の王』とは、コレと同種なのか?」
という言葉と共に、其の手に持つ一振りの変わった形状の剣を此方に見せていた。
「その認識で間違っては居ません、『鷹』の担い手」
何を言っているのかは解らなかった。しかしそれに対して初対面であろう『鷹』の言葉に私の隣から反応が有った。それに軽く驚きぱちくりと瞬きしつつそちらを向くと、そこには楽しそうな笑みを浮かべる彼女の姿が見られた。。
「さっきの話だが、俺も手伝おう。 報酬は、この話の延長でいい」
その申し出が行き成りであることもそうだが、あまりの突飛な会話の流れにどう返事を返すべきなのか、それ以前に何故このような話になったのかが思いつかず、ただぼんやりと其の言葉の内容を吟味するはめになった。
鷹は、其の手にもつ奇妙な形状の剣をして、彼女のことを『同種』なのか?と言った。
それはつまり、あの剣もまた彼女同様、”この世界とは別の存在”と言うことなのか?
そしてそれを口にし、また認識しているということは鷹もまたそれが”視えて”いるということなのか?
どこまで識っているのだろう?どこまで視えているのだろう?何を聞きたいのだろう?
改めてこの『鷹』と呼ばれる歴戦の冒険者のことを見る。噂に聞くのはその強さだけであり、どのような人間であるかという話は聞かなかっただけに、何故そのことを知りたがるのか、少しだけ興味も沸き始めていた。
「だそうですが、どうします?姉上」
「私には何がなにやら……」
困り果てつつもその強さを見てみたいという気持ちも沸き、しかしその報酬について私では答えようが無いのでは?ということに煩悶とした思いも沸く。そんな私の迷いを察してか、鷹は言葉を足す。
「出来れば知らないほうがいい名前だが。『幻影』を知ってるか?知ってたら教えて欲しい」
聞いたことのある名前に、それが先程の会話の流れとどう繋がるのだろうと考え、それを確認するべく彼女を見ると、ピクリと動く肩に上、先程までとはうって変わって表情を消したその顔は、何か警告を示すかの如く冷たい気配を発していた。
「あなたは、『ゲンエイ』にあの少年を会わせようとしているのですか?」
「……それが狙いということではない。ただ『リガイ』と名乗る男から、あいつのことを知りたければ『幻影』を追えば多少知れるだろう、と」
「リガイ?……それは、いや、そこまで全てを知る男など一人しか居ないか」
「あんたは『幻影』を知って居そうだが、教えて貰えるか?」
「私が知るのはその名前だけです」
「……それに付随する噂も、なにも知らないということか?」
「えぇ、名前、だけです」
その言葉に会話を止め、考え込むように動きを見せなくなる鷹に、鷹の思考が向かう先が少しだけ読めた気がした。
『幻影』の名前を聞くと、必ずと言っていいほど一つの噂も付随する。それは其の名を追う者をして自殺志願者と呼ばれるほどに徹底した詮索者へ対する制裁。
彼女はそれすらも知らないといい、其の上で名前だけは知っているといった。
そして、鷹は彼女がどのような存在か確認した上で、その彼女が何故『幻影』の名前”だけ”しか知らないのかと考えているのだろう。
そこから考えられるのは、『幻影』もまたそのような存在であるという示唆。
鷹は深く息を吐くと、「やはりそうか」と呟き、それから少し思案顔を浮かべる。
「先程の……あいつと会わせるのか?という、あれはどういうことだ?」
それに対する彼女の反応は、沈黙。
鷹はそれに軽く首を振り、それ以上の追求はする素振りを見せず、話を戻そうとでも言うように視線を此方へと向ける。
今聞いた話が気になった訳でもないと思うのだが、その時何故かあの少年のことが少し気がかりになった。
確かに側に鷹が居れば『幻影』のあの噂は気にはなるが大丈夫な気がする。しかし今の会話での彼女の言葉も気になる。出来れば追うのはやめたほうがいいんじゃないか?等、色々浮かび上がっては来るが、しかしそれに何で私はこんなことを考えて居るのかという疑問がもたげ、それを追い払うべく頭を振り、それでも何故か振り払いきれずに
「その申し出はありがたいですが、あなたはあの少年の側に居てあげてください」
その言葉に意外そうなという視線が二つ向けられ、なんでそんな眼でという居心地の悪い思いをしつつも、其の後に続く少し困った表情の鷹の姿に、それではと別れを告げて逃げるように少し早歩きで私はその場を離れていった。その後ろに付き従うように歩く彼女の顔は見ることが出来なかったが、どこか寂しげな雰囲気だけは感じ取ることが出来た。その時の私は何故かわからない恥ずかしさを隠すことに必死で、それを考える余裕もなかったし、確認するために聞くことも出来なかった。
対峙する老躯の男。
今までも私ならば、その姿を見たと同時、理性など飛び、即座に怒りに任せた行動をしていただろう。しかし、今は何故か状況は認識しているだろうに、態度も変えず、傲岸に反り返るように座る男に言葉を投げていた。
「あなたは、何故このような非道を繰り返してきたか聞いていいかしら?」
「……随分と噂と違うのだな。問答無用と聞いていたが、心境の変化でもあったか?『夜の王』」
「まぁそんなところかしら。それで質問には答えてもらえるのかしら?」
「ふん。それを聞くという時点でお前には理解できないことだということだ」
そのような人間ならば聞くまでもなくそのような行動をする理由、気持ちが理解できるということだろうか?しかし、だからそれは考えるだけ無駄だと切って捨てるにはあまりに横暴な考えだ。
「納得いかんか?なら教えてやろうか?お前は領民というもがどういうものか知ってるか?あいつらはな、優しくしてやればしてやるほど付け上がるんだよ。
昔、馬鹿な領主が居た。そいつは領民を甘やかすだけ甘やかした。その日も民の助けになるだろうと失敗すれば後が無いだろうに、それを承知で新事業に手を出した。そして、それは失敗した。
お前は、それを見た民がどんな反応を示したと思う?
同情を浮かべた?違うな。励まして元気付けようと?それも違う。全てを背負わせたと謝ったと?そんなことあるはずがない。
あいつらは駄目な領主だったんだと、切り捨てたんだよ。散々期待させておいて、とそれまでの態度を一転蔑みはじめたんだ。領主が財産を全て失い、領地は荒れ始め、それは更なる民の怒りへと変わった。ここまで聞けば其の先の想像など容易いだろう?
そして、運の悪いことに、その領主には息子が居て、其の矛先は次第にそちらにも向けられ始めた。その子は、それでも父の姿勢に誇りを持ち、父が耐えている以上はと自分の気持ちを殺し、ひたすらに領主として学ぶべきことを学び、また昔のようにという夢を追いかけた。
が、そんな日々は長く続かなかった。其の子は、厩の先に架かる梁から下がる一本の縄の先、そこに父親の姿を見て、それまでの全てが崩れ去った。
聞いても無駄かもしれないが、お前がこの息子だったら、その後どのように生きる?」
その問う姿が、何故か疲れ果てたただの老人に見えた。そして、それに重なる自分の姿がふっと見えた気がした。あの少年に会うことなく生き続けた私の姿が。
この男もまた、過去に持つ傷に心を閉ざし、その重さに負けた一人なのだろう。それに囚われ、呑まれ、抗う術もなくそれに身を委ね……そんな世界にしか見えなくなったのだろう。
私にはあの少年のようには出来ない。しかし、それこそがこの老人の望みでもあるきがする。スラリと流れるように抜き放つ細身の短剣に、其の男の吐き出した息が、緊張のそれではなく安堵から来る物に見えた。ようやく開放されるのか、という様に。其の姿にこれ以上何かを考えることをせず、其の行動を実行するべく私は真っ直ぐに歩き始めた。
「これからどうされますか?」
全てを終え、先の言葉を反芻してどれ程の時間そうしていたのか。気が付くと背後から声を掛けられ、その言葉にそういえばどうしようかと考える。
ユームリオへ住み始めた理由が悪行を働く貴族への、私の報復という理由から始まったものであった。そしてそれは次で最後という約束通り、今日を持って幕を下ろすこととなった。
そうなると、ここに滞在し続けるという理由もなくなるということになる。確かに今の職場の親父さんに女将さんにはお世話になってるし、それに近所の人達、常連の皆、そしてあの街で仲良くなった人々に対しての思い入れなどもある。今まで通りの日常を続けて行くという選択もあるだろう。
しかし、と私は考える。きっと、彼女もその可能性を考えているからそんな話しかけ方をしたのだろう。
「少し、旅に出てみようと思うんだけど、どうかな?」
予想通りの返答であると言う様なその表情に、それでも少し困ったように浮かぶ笑顔を、私は直視し続けることができず顔を背け、それからそうと決めたらと明日からのことを考え始めた。
先ずは色々と挨拶をして回ろう。親父さんと女将さんは寂しそうにするだろうけど、それでもきっと笑って送り出してくれる気がする。常連客の人達は、きっと様々な反応だろう。引きとめようとされるかもしれない。それを考えただけで少々憂鬱になるけど。
旅となれば様々な物を用意しなければならない。そして、何処に向かうべきかも決めなければ其の一歩が前に踏み出すことができない。幸い、その向かう先は決まっている。
「それでは、姉上は挨拶等あるでしょうから旅の支度は私がして置きましょう。支度を終え次第、また声をお掛けします。それで、先ず何処を目指しましょうか?」
帰るべく歩き始めた背中へと、その後ろから向けられる声に、私はくるりと振り返り、それに含まれる意味を悟られることもかまわず、いたずらっぽい笑みを浮かべてこう告げた。
「『幻影』を、追いましょう」
此れまでの暗い記憶に囚われ期待を持てなかった未来に挿す様々な期待に、夜空に煌く無数の星、そして一際眩い月光に眼を輝かせ、その夜闇の静寂を堪能するように軽やかに歩く二つの足音が、そっと響いてはまた静寂を残し消えていった。
『視妃』編はここで終わりです。
ここまで書いてきて、やはりキャラクターに名前を付けないことの限界を感じ始めました。未だ二つ名だけ出して終わりっていう……。その内大改定するかもしれません。
『幻影』へと移る訳ですが、次の投稿もまた間隔が開きそうです……。
拙作ですが、生暖かい眼で見守ってくださると幸いです。