第6話 祝宴の夜 part2
夜はさらに更けていく。
酒場の中ではまだ笑い声が続いていたが、
外の運河沿いは、少しずつ静けさを取り戻し始めていた。
ジョバンは、ふと立ち上がる。
「……ちょっと風に当たってくる」
「あ、私も行く」
ジェリカもすぐに後を追った。
外に出ると、夜の空気がひんやりと頬を撫でる。
運河には月が映り、ゆらゆらと揺れていた。
遠くで誰かが舟を漕ぐ音だけが、静かに響く。
しばらく、二人は何も言わずに並んで歩いた。
石畳の上を、ゆっくりと。
「……さっきの台本」
ジェリカがぽつりと口を開く。
「『愛と歌の二重唱』だっけ」
「ああ」
「また恋人役なのね、私たち」
「今さら変える方が無理だろ」
軽く笑って答えるジョバン。
だがジェリカは、少しだけ真面目な顔のままだった。
「ねえ」
「ん?」
「もし――舞台の上で言う言葉が、本当に本心だったらどうする?」
その問いに、ジョバンの足が止まる。
夜の運河。
月明かり。
そして、彼女の横顔。
「……それは、役じゃなくなるってことか」
「そう」
ジェリカは前を見たまま、続ける。
「観客のための言葉じゃなくて、自分のための言葉になったら……
それって、怖くない?」
ジョバンはしばらく考えたあと、静かに言った。
「怖いな」
正直な答えだった。
ジェリカが少しだけ目を見開く。
「でも――」
ジョバンは続ける。
「それでも言いたいって思ったなら、もう止められないんじゃないか」
ジェリカはその言葉を、ゆっくりと噛みしめる。
そして、小さく笑った。
「……ほんと、ずるいわね。そういう言い方」
「なにがだよ」
「なんでもない」
彼女はそう言って、くるりと一歩前に出る。
そして振り返って、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「でも覚えておくわ。その台詞」
そのとき。
酒場の扉が勢いよく開いた。
「おーい!主役二人ー!」
ドメニコの大声が響く。
「どこ行ったー!団長が次の舞台の段取り決めるぞー!」
その後ろから、チェーザレのリュートの音と、
団員たちの笑い声が漏れてくる。
ジェリカは肩をすくめた。
「……呼ばれてるわよ」
「戻るか」
「ええ」
二人は並んで、酒場の方へと歩き出す。
さっきよりも少しだけ、距離が近いまま。
扉の前で、ジェリカが一瞬だけ立ち止まる。
「ねえ、ジョバン」
「ん?」
「次の舞台――絶対に成功させましょう」
まっすぐな瞳だった。
ジョバンは力強く頷く。
「もちろんだ」
そして、少しだけ声を落として続ける。
「……そのあとも、ずっと一緒に舞台に立てるように」
ジェリカは一瞬だけ驚いた顔をして――
ふっと微笑んだ。
「ええ。そのためにも、ね」
扉が開く。
光と音と、仲間たちの声が二人を迎えた。
「遅いぞ主役!」
「次の演目の衣装どうする!?」
「おい誰だワイン倒したのは!」
騒がしい、けれど温かい場所。
月の劇団。
彼らの居場所。
そしてその夜の終わりに、団長は宣言する。
「次の舞台は――
ヴェネツィア最大の観客の前だ」
一瞬の静寂。
そして、再び歓声。
その声の中で、ジョバンとジェリカは顔を見合わせる。
同じ未来を見つめるように。
月は高く、運河を照らしている。




