8.わたしは心から嬉しい
「閉店?」
「知ってのとおり前の戦争でうちは壊滅状態。そのうえラウ師父も鬼籍に入って、開店休業みたいなものよ。それに〈ティティス・レコード〉を全面降伏させて休戦協定を結んだいま、わたしたちのような戦争屋はそもそも〈ティンパ商会〉からもうあまり必要とされていないみたい。免除されていた上納金を納められないなら閉店よ」
「そんなバカなことがあるか……!」
〈ラウ書店〉は金銭ではなく暴力で組織に貢献してきた。だからこそ〈ティンパ商会〉を率いるレガード・ウォンの意向もあって莫大な上納金を払わずにすんでいたし、経済的なあがりが少ない縄張りでもなんとかやってこれたのだ。
「ウォン大人がそんなこと。あの人はラウ大哥と義兄弟の契りを交わした間柄だぞ」
「ええ。けれどウォン大人は半年前に事実上の引退を表明されたわ。いま〈ティンパ商会〉を総経理代行として取り仕切っているのは大小姐――ルールー・ウォンよ」
「ルールーなら、ラウ大哥に師事したお前の妹弟子じゃないか」
ラウは弟子をあまりとらなかったが、盟友であるレガード・ウォンの孫娘であるルールーをあずかっていた。デシーカが言ったとおり、ロレッタは姉弟子ということになる。
「ウォン大人とラウ大哥のようにはいかないのか」
「そううまくはいかないものよ。このままだと遠からず〈ラウ書店〉は閉店」
「どうしようもないのか?」
「……方法がないわけじゃないわ」
ロレッタは困ったような、苦々しいような、複雑な表情を浮かべた。
舐めるように口をつけていたグラスの中身を、思い切って飲み干す。
「おい、飲めないのに無理するな」
「こうでもしないと、あなたにこんなこと言えやしないわ、デシーカ。正直なところ。あなたが出てきてくれて、わたしはラッキーだと思っている」
空になったグラスを静かに置いて、ロレッタは黒い瞳の奥に冷たい光を灯した。
「大小姐が総経理代行になってから――〈ティンパ商会〉や直系組織の幹部が何人か殺された。犯人は不明。護衛も関係なく皆殺しで、相当な腕前」
「……信じられないな。どこのバカ野郎だ。さっさと解決できないと、ルールー・ウォンの新体制がガタガタになるぞ」
「だから、大小姐は犯人に莫大な賞金を懸けたの。なんと三億ロンガン」
「まさか……その賞金首を狩ろうとしているのか、ロレッタ」
「ええ、そうよ。賞金が手に入れば〈ラウ書店〉もしばらくは生き残れるし、なにより戦争屋の暴力はまだ必要だとルールーに証明できる」
底冷えするような声でそう言うと、ロレッタは身を乗り出した。
「デシーカ、〈ラウ書店〉は人が足りないの。あなたが帰ってきてくれれば、わたしは心から嬉しい。わたしたちは――」
ほとんど囁くようにしてロレッタが紡いだ言葉は、
「もうやめて!」
部屋に入ってきたイオの叫びにかき消された。
デシーカはぎょっとして、ほとんど泣きそうになっている妹の顔を見た。
「ロレッタさん、帰って! お姉ちゃんはもう〈ラウ書店〉の仕事にはかかわらないって! そういう約束でしょ!? ラウさんとお姉ちゃんの約束でしょ!?」
「イオちゃん……」
ロレッタはなにかを言おうとしたが、イオはそれを許さなかった。
「帰ってよ!」
「落ち着け、イオ。ロレッタは友人の私に仕事の愚痴を話しただけだ」
デシーカは慌てて妹のもとに駆け寄ると、華奢な身体をそっと抱いた。
「大丈夫だ。私は復帰するつもりはないし、ロレッタもそのことはよくわかっているさ。そうだろう、ロレッタ」
友人の名前を呼んだその声は少しばかり硬質で、ロレッタは諦めたように嘆息した。
「そうね、よくわかってる。つまらないことを言ってごめんなさい」
「ああ。今日はもう帰ってくれるか?」
「……ええ。いまの話は忘れて。わたしが軽率だった」
ロレッタはゆっくりと立ちあがると、弱々しく笑った。
「気が向いたらお茶でもしましょう。お酒を飲むより、よほど健全だわ」
そう言った彼女がこちらを振り返ることなく出ていったあとも、デシーカはしばらく妹を抱き締めていた。そうしていないと、自分がいるべき世界を間違えてしまいそうだった。
「大丈夫だよね?」
イオから問いかけられた言葉に、デシーカは迷いなく答えた。
「ああ、大丈夫だ」
「お姉ちゃん、痛いよ……」
強く抱き締めすぎてしまったことに気づいて、慌てて腕を緩める。
「すまない」
「いいけどさ」
今度はイオのほうから抱きついてきて、デシーカは彼女の囁くような声を聞いた。
信じてるからね――イオにそう言われた気がした。
そう言われた気がしたが、本当にそうだったのか、デシーカには確信がもてなかった。




