26.これは死生観の問題なんだよ
無駄口など叩かずに、デシーカは引き金を絞った。
弾丸は身を屈めて射線をずらしたロクサーナを掠めて、背後の車に命中した。
跳弾が火花を散らす。
一足飛びに距離を詰めてきたロクサーナが、無造作に自動拳銃の銃身を左手で握った。
スライドが動かなくなる。
「魔術刀がない撃剣魔術士がイキがるなや」
金色の瞳には殺意があって、デシーカは咄嗟に自動拳銃を手放して半歩だけ退いた。
それを追いかけるようにしてロクサーナが踏み込んでくる。
力任せに振るわれた右拳が、腹部にめり込んだ。
「っ……!」
その衝撃にくぐもった声をもらし、デシーカは軽く吹き飛んだ。
アスファルトに強かに全身をぶつけ、派手に転がる。
それでもすかさず立ちあがるが、
「おえっ……うげっ……」
デシーカは飲んだばかりのミルクティーと胃液を足元にぶち撒けた。
「おいおい、あんたの腹筋は鉄板かなんかか?」
殴った右手をぶらぶらしながら、ロクサーナは自動拳銃を足元に投げ捨てた。
「こう見えて鍛えているんでな。不良警官風情が、あまり私を舐めるなよ」
口元を拭って、デシーカは小さく笑った。
異様な雰囲気を察して、遠巻きにしていた人々は散り散りに逃げ出した。
デシーカは腰を落とすと、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
「すうぅぅぅぅぅぅ」
独特の呼吸法。
ロクサーナがぎょっとした表情になるが、もう遅い。
アヴァロン島の生温い風と違う、鋭く冷たい風がデシーカを中心に巻き起こった。
「八卦功夫六合合一拳!」
デシーカが右足を踏み出してアスファルトを蹴った。まるで体重がなくなったかのような軽さで、地面を滑るようにして一瞬でロクサーナの懐に入り込む。
いや、実際に滑っていた。
デシーカの足裏は接地していなかった。
「耳長!」
横振りに殴りつけてくるロクサーナの一撃を、デシーカは左腕でがっちりと受けとめた。
ロクサーナの右拳は、デシーカには届いていなかった。
目には見えない緩衝材のようなものが、デシーカの全身をおおっている。
力任せにロクサーナの右腕を払いのけると、デシーカは左足を踏み込んだ。
「しいぃぃぃぃぃぃ!」
食いしばった歯から呼吸がもれる。
ほとんど密着した距離から、握りしめた右拳をロクサーナの腹にぴたりとつけた。
「〈劫風發地〉!」
練りあげたマギを拳から爆発させるイメージで、デシーカは右腕を押し出した。
爆発にも似た打撃音とともに、ロクサーナの身体が竜巻に巻きあげられたかのように宙に浮いた。時計回りに回転しながら凄まじい勢いで吹き飛び、停車していた車に背中から激突する。
車体がぐしゃぐしゃになるまでめり込み、さしもの人狼も低い悲鳴をあげた。
「なんっ……じゃそら!」
それでも意識は明確にあるようで、そのタフさにデシーカは舌を巻いた。
「ロレッタの足元にも及ばないが、私も少しは心得があってな」
ガウロン人のいう魔氣とエルフ人のいうマギは同じもので、理屈で言えば八卦功夫はエルフ人でも使うことができる。
「森羅万象司る、八卦が巽の申し子」
彼女のマギは巽――風を象徴するもので、マギを練りあげると空気の障壁を身にまとう。防御に優れ、地形に左右されずに移動でき、攻めに転じれば文字どおり暴風の爆発力を打撃にのせることができる八卦功夫だった。
「〈ラウ書店〉の〈耳長鬼子〉――またの名を〈緑一風〉のデシーカ・デグランチーヌ」
だが、魔術刀がエルフ人にしか使いこなせないように、デシーカが八卦功夫を使うために練りあげるマギの精度はイマイチだった。シリング・ラウに手解きを受けたが、才能はロレッタとは比べるまでもなかった。だから彼女はラウの元ではなく〈課堂〉で学ぶことになった。
「アホぬかしよって……!」
潰れた車体から這い出してきたロクサーナは吐き捨てた。
両膝が震えて立つことができず、そのまま車に寄りかかる。
「私の生兵法でも〈劫風發地〉をまともに喰らって無傷でいられるものか。いくら人狼でもな」
「ああ、くそ、八卦功夫なんざ、びっくらぽんやで。肋骨が何本かいってもうた」
「その程度ですんでよかったな。人狼なら数日で治るだろう」
デシーカは落ちていた自動拳銃を拾った。
「お前は金を積む分には信用できるが、金で簡単に裏切る。だから身体に聞くんだ」
無造作にロクサーナに近づくと、脂汗を額に浮かべている彼女の口に銃口を捩じ込む。
「お前と私の違いを教えてやろう、ロクサーナ。私は自分の命に、これっぽっちも価値なんてないと思っている。わかるか? お前は金に執着するが、それは命あっての物種なんだよ。だから本気の殺し合いをお前はしないし、できない。これは死生観の問題なんだよ」
人狼の顔を覗き込むデシーカは、まさに幽鬼のような雰囲気だった。




