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21.あなたはラッキーなの

 まだ幼いデシーカとイオがシリング・ラウの気まぐれでエルフ人の人身売買組織から助け出されたとき、ロレッタ・イェンはすでにラウに師事していた。


 彼女にはじめて会ったときのことを、デシーカはよく覚えている。


「このアヴァロンで不幸自慢をしても仕方がないのよ」


 変態どもが見るカタログに掲載されている商品ではなくなったエルフ人の少女に、ロレッタはそう言った。同情も憐憫もなく、いっそ清々しいくらいだった。


 デシーカはギャンブルと麻薬にどっぷりハマって自分たちの子どもを売っぱらった両親がまともではないことはわかっていたし、少なくともこれが不幸でなければなんなのだと思っていた。優しくされたかったし、労わってほしかったし、温かい食事と言葉が欲しかった。


 だが、ガウロン人の少女はこちらのそんな気持ちなど無視して言ってきた。


「あなたはラッキーなの」

「ラッキーだって……?」


 デシーカは呆気に取られて、間の抜けた顔でロレッタを見返した。


 その瞳にはなにかを覚悟した強い意志の光があって、吸い込まれるような感覚になる。


「自分が世界で一番不幸だみたいな顔をしているけれど、少なくともそうじゃない。なぜなら、あなたはいまこうして生きている」

「……だから、なんだっていうんだ」

「世界で一番不幸な人間はね、不幸だなんて思う前に死ぬのよ」


 ロレッタはこちらに手を差し伸べると、


「だから、あなたは不幸だとしたら世界で二番目くらいだし、そのなかでラウ師父(スーフー)に拾われたことはラッキーなの。わたしのようにね」


 そこではじめて彼女は自分の名前を名乗った。


「わたしはロレッタ・イェン。あなたの名前はなんていうの、エルフさん」

「……デシーカ」


 デシーカはそう言って、彼女の手を取った。


 いまにして思えば、ロレッタの言ったことは正しかった。デシーカの不幸なんてものはこのアヴァロンではよくある話のひとつでしかなかったし、生きていれば誰だって大なり小なりなにかを背負っているものだ。


 ロレッタ・イェンの境遇を知ったとき、そういったあれこれを飲み込んで「ラッキーだ」と言い張れる彼女には心底から驚いたものだった。


 デシーカにとって彼女は〈ラウ書店〉の戦友であり、友人であり、出会ったばかりのことを思えば少し憧れていた。同い年の彼女は、デシーカからすれば大人びていて、この世界で生きていくために手を引っ張ってくれるような存在だった。


 それは結局のところ――二人が大人になっても変わらなかった気がする。


 デシーカはロレッタよりも人殺しの才能はあったかも知れないが、それだけだった。自分にないものを彼女はたくさんもっていたし、デシーカはそんな彼女のことが好きだった。


「そんなお前が――」


 闇医者のベッドで見つめたロレッタの横顔――あんな寂しそうな顔をするなんて。


 デシーカは照明を落としたままのリビングのソファに座り、まんじりともせず虚空を見ていた。窓から差し込むうっすらとした月明かりが部屋を照らし、壁にかかっている時計の秒針が動く無機質な音だけがいやに耳に残った。


 このままではロレッタ・イェンは死ぬだろう。


 こんなことになるとは思ってもみなかった。〈ティティス・レコード〉を全面降伏させたこの前の戦争で、もう自分は必要なくなると思っていた。妹と一緒に静かに暮らす新しい人生を始めることができると思っていた。


 いや、できる。ロレッタのことは、放っておけばいい。見て見ぬふりをしておけばいい。


 でも。


 けれど。


 本当にそれでいいのか。


 頭のなかで自分自身の声がぐるぐると回り、気が狂いそうだった。


「ロレッタ……お前はいまでも本当に自分がラッキーだと思っているか?」


 出所した日にロレッタがもってきた酒が目に入る。


 イオの言葉でさえぎられてしまった彼女の言葉を思い出した。


 本当は聞こえていたんだ、ロレッタ。


『わたしたちは――義姉妹でしょう』


 デシーカはソファからのろのろと立ちあがり、グラスをふたつテーブルに置いた。


 ロレッタがもってきた酒をそこに注ぐ。


 グラスに酒が満たされる様子を眺めながら、デシーカは低い声でつぶやいた。


「上に天あり、下に地あり」


 彼女が大陸で殺し屋としての訓練を受け、アヴァロン島に舞い戻ってきて〈ラウ書店〉の正式な店員になったとき、ロレッタと二人誓い合った。


 ガウロン料理の小さな店で、使い古された汚いグラスに、安い酒を注いで。


「我ら二人はいまこのときより義を結んで姉妹となる。我、デシーカ・デグランチーヌはこの酒に誓って言う」


 それは鉄よりも硬く、血よりも濃い、鉄血の絆だ。


「我ら二人、心同じくして助け合い、喜びも苦しみもわけ合う。生まれた日もときも違えども、死する日は同じことをここに願うなり」


 どちらが姉で妹か、たまに言い合ったものだった。


 だが、結局のところ、それは出会ったときから決まっていた。デシーカにとってロレッタはずっと姉みたいな存在だった。あのとき差し伸べられた手を取った瞬間から。


「お姉ちゃん、明かりも点けずになにしてるの?」


 背後からかけられた声に、デシーカはグラスに伸ばそうとしていた手をとめた。

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