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20.なにもかも忘れてしまいたい?

 彼女の右腕には焦げついて逆立った竜鱗と、痛々しく刻まれた鎖状の火傷があった。


 デシーカはぎょっとした。その火傷がなにによるものなのか、よく知っていたからだ。


「賞金首が使っていた魔術刀は、白無垢鉄火だった」

「バカな……! あれはアヴァロン警察が保管しているはずだ」

「警官なんて人種はね、デシーカ。クズしかいないと決まっているのよ」


 そう吐き捨てたロレッタが、露骨に舌打ちする。


「死んだ警官だけが善い警官だわ」

「警察が一枚噛んでいると?」


 アヴァロン警察は黒社会に買収されている警官ばかりだが、〈ティティス・レコード〉に肩入れしていた連中は〈ティンパ商会〉が大きな顔をしていることに内心苛立っているだろう。だが、仮にも警察が仲介して締結した休戦協定だ。それを自らぶち壊しにするなど。


「どうかしら? 警察に思惑があるのか、どこかの誰かが金を積まれて保管庫からもち出したのか。わかりはしないけれど」


 ロレッタは右腕を掲げるようにして、火傷をこちらに見せた。


「結果として白無垢鉄火は殺し屋がもっているわ」

「白無垢鉄火の妖精幻想を使ったのか」


 虚空から出現する何本もの灼熱の鎖によって相手を拘束する〈黒犬鉄鎖友柄〉。


「そのエルフ、マギの総量だけで言っても相当なものだな」


 魔術刀はエルフ人なら誰でも使えるわけではない。もって生まれたマギの総量が少なければ、餌として魔術刀に食われすぎて下手をすれば死んでしまう。ましてや刀身に練り込まれた妖精の力を解放するには、膨大なマギが必要になる。


「本当に、もう一度やり合うつもりなのか?」

「ええ。わたしに逃げる道理はない」

「……まったく、そういう強情なところは昔から変わらないな」

「わたしはやると言ったらやる女よ」


 その言葉を聞いたデシーカは、思わず苦笑した


 ロレッタ・イェンはこうすると決めたなら、自分に妥協することを許さない。鋼鉄のような意志をもっている女だ。


 なにせ彼女は家族を黒社会に皆殺しにされて土地や財産のすべてを奪われた挙句、買収された警察はろくに捜査しなかった事件の生き残りで、そのとき六歳かそこらだった。


 幼いロレッタはなけなしの小銭を握り締めて噂を頼りに〈ラウ書店〉を訪れ、シリング・ラウに復讐を依頼するのではなく、自分に復讐する力を授けてくれと言った。


 そして実際、彼女は何年もかけて事件の関係者を探し出し、一人ひとり始末した。


 最後の一人は幼いころに彼女を可愛がってくれていた叔父だったが、情けも慈悲もかけなかった。叔父のすべてを目の前で奪った。妻、子ども、愛人から飼い犬まで。徹頭徹尾、皆殺しにした。かつての彼女がそうされたように。


 ロレッタ・イェンとは、そういう女だ。


「それに――白無垢鉄火はラウ師父(スーフー)があなたに授けたものだから。デシーカ・デグランチーヌがもつべきものだわ。だから、わたしが取り返す」

「いまの私には過ぎた代物だ」

「そんなこと言うものではないわ。いまとなってはラフ師父(スーフー)の形見みたいなものでしょう。それとも、〈ラウ書店〉のことはなにもかも忘れてしまいたい?」


 糾弾されているような気分になって、デシーカは頭を振った。


「いいや、そんなことはない。ラウ大哥(ダーコー)と〈ラウ書店〉には恩があるし、忘れていいものなんかじゃないさ。ロレッタ、お前のことだってずっと友人だと思ってる」

「デシーカ、だったら――」


 ロレッタはなにかを言いかけて、だが口をつぐんだ。


 自分に言い聞かせるように、静かに息を吐く。


「いえ――そうね、なんでもない。せめてわたしが賞金首を仕留められることを願っていて」

「ああ、もちろんだ」

「ふふ、ありがとう」


 寂しそうに笑う彼女が本当はなにを言いたかったのか、デシーカにはよくわかった。


 そして、それを口にしない彼女からの友情が、胸の奥に突き刺さるようだった。


 二人はそれきり、なにも話さなかった。


 沈黙に包み込まれるなかで、デシーカは友人の横顔をただ見つめていた。時間が停止したような世界で、ロレッタは部屋の暗がりに溶け込んでしまいそうに見えた。


 ひょっとしたらそのまま消えてしまうのではないか、とデシーカは思った。


 そんな錯覚にぞっとしてロレッタの名前を呼ぼうとしたとき、煙草を買ったオードリーがスイ・シーにたかられながら戻ってきた。


「煙草一本くらい恵んでくれもバチは当たらないと思うねえ」

「……いやですよ。治療費をツケにしてくれるなら考えますが」

「絶対ダメ」


 二人の声に合わせて時間が動き出す感覚に、デシーカはなぜだかほっとした。


 もしロレッタの名前を呼んでいたなら。


 私はなにを言うつもりだったのだろう。

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