18.イェン小姐の隣にいるべき人です
「……あなたがいれば、イェン小姐はこんなことにはならなかった。違いますか」
「それは――」
デシーカは返す言葉を見つけられなかった。
永遠にも思える沈黙のあと、ようやく声を絞り出す。
「やめてくれ、オードリー」
「……あなたは、イェン小姐の隣にいるべき人です」
「やめてくれ」
自分でも驚くほどに、その声は震えていた。
オードリーの言葉が真実だとして、そうはならなかった。そうはならなかったから、もうこの話は終わりなんだ。出所した日にロレッタ・イェンと再会し、デシーカ・デグランチーヌは黒社会には戻らなかった。妹との真っ当な生活を選んだ。
「私とはもう――関係ないことだ」
その言葉を聞いた瞬間、パイプ椅子に座っていたオードリーが荒々しく立ちあがった。
「……私では!」
こちらの胸ぐらを掴み、彼女は息がかかるほどに顔を近づけてきた。
唸り声をあげる犬のように鼻の頭に皺を寄せ、殺意に近い感情をぶつけてくる。
「……私では、イェン小姐の隣に立つことはできない! あの人からの本当の信頼を預かることはできない! それができるのは――」
力任せに薄い壁に押しつけられても、デシーカは抵抗しなかった。
それ以上は言わないでくれ、と彼女は思った。
だが、オードリーは容赦しなかった。
「デシーカさん、あなただけでしょう!」
胸ぐらを掴む力を緩めず、こちらの言葉をまつようにして鋭い視線を浴びせてくる。
デシーカはきつく目を閉じた。
太陽のようなイオの笑顔。
信じてるからね、というイオの言葉。
大丈夫だ、とデシーカは自分に言い聞かせた。
私はもう、黒社会には戻らない。妹と一緒に、静かな日常をすごす。
デシーカは大きく息を吐くと、ゆっくりと目を開いた。
オードリーの腕を力任せに振り解き、逆に彼女の胸ぐらを両手で掴んだ。長身のオードリーが爪先立ちになるほどに、ぎりぎりと絞めあげる。
「いいか、よく聞け」
自分でも驚くような、冷たく鋭い声だった。
「私はもう黒社会には戻らない。二度と言わせるな」
「……あっはは、ではなぜ……」
オードリーは確信に満ちた目で、こちらを見返してくる。
「……あなたは、そんな顔を、しているのです、デシーカさん」
「なに?」
それがどんな顔なのか、デシーカにはわからなかった。
思わず腕の力を緩めると、するりとオードリーが抜け出す。
「うげっ……げほっ……」
激しく咳き込みながら、それでも彼女はこちらを見て笑っていた。
「……私を、いまにも殺しそうな、獣の顔ですよ」
デシーカはなにも言えず、右手を自分の頬に当てた。
「私は――すまない、オードリー。乱暴にするつもりはなかったんだ」
「……構いませんよ、デシーカさん。あなたは、そういう女なんです。その両手には、血と暴力が染みついている。どれだけ洗っても、綺麗になんてなりはしませんよ」
その言葉がなにも間違っていない気がして、デシーカは頭がくらくらした。
「……戻ってきてください。イェン小姐の、気持ちがわからないあなたではないでしょう」
「もうやめなさい、オードリー」
デシーカの代わりにそう言ったのは、ベッドに寝ていたロレッタだった。
ゆっくりと身を起こし、枕元にあった眼鏡をかける。
「あまりデシーカを困らせてはダメよ」
彼女は苦笑して、オードリー、そしてデシーカの順に視線を向けた。
「デシーカ、心配をかけてごめんなさい。情けない姿を見せてしまったわね」
その弱々しい声に、デシーカはいますぐロレッタを抱き締めたい気持ちになった。
大丈夫だ。私に任せておけ。
昔だったなら、きっと自分はそう言っただろう。




