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17.戻ってきてください

 日中だというのに暗く狭い階段は、人が一人すれ違えるほどの幅しかなかった。


 走り出してしまいそうになる気持ちをおさえ、デシーカは階段をゆっくりとのぼった。


 住民が勝手に増築していくつかの集合住宅をつなげたせいで、恐ろしく複雑な構造である。


 下町エリアの名物・迷宮アパート。


 ここには驚くほど多くの住人が生活していたし、なんの肉を使っているのかわからない飲食店、海賊版しかないビデオ屋、麻薬を売っている薬局、無免許だが腕がいい医者――あらゆる怪しい店が一室を借りて軒を連ねていた。


 雨漏りが激しいせいで薄暗い共通廊下は常に湿っていて、投げ捨てられた生ゴミのせいですえたにおいがした。どこからともなく聞こえてくる博打をする声、映りが悪いテレビの音、いたるところで売られている砂糖と小麦粉でつくった光酥餅、足元を走るドブネズミ。


 なにもかもが懐かしかった。シリング・ラウから、迷宮アパート名物の叉焼飯を食べさせてもらったことを思い出す。甘辛いたれの味つけ。腹を空かした見すぼらしい子どもだった自分には、世界で一番うまい料理に思えた。


 デシーカにとってここは勝手知ったる場所で、手づくりの案内標識を見るまでもない。


 なんの看板も出ていない一室のドアを押し開ける。


 室内は清潔で、ツンとした消毒液と薬品のにおいがした。


「シー女士(ヌイシー)


 デシーカはその部屋の主の名前を呼んだ。


 白衣にサンダル履きのハーフエルフの女が、ちょうど煙草を咥えたところだった。


 ハーフエルフの特徴である中途半端に長い耳と燻んだ金髪。


 顔立ちはよく見れば悪くないはずだが、三白眼とそばかすが悪目立ちしていた。


 彼女――スイ・シーは顔馴染みの闇医者で、〈ラウ書店〉の人間は昔からよく世話になっている。昔は彼女の父親がこの部屋の主だったが、数年前から商売を引き継いだ。


「ん。死んじゃないから安心するといいねえ」


 シーが視線を向けた先には閉じられた間仕切りカーテンがあり、奥にはベッドがある。


「アタシは外で一服してくるとするよ」


 黒社会相手に商売はするが、立ち入った話には関わらない。それが長生きするコツだったし、闇医者はよくわかっている。


 デシーカはカーテンをそっと開けた。


 ひとつしかないベッドには、ロレッタが横たわっている。


 眼鏡を外して髪をおろしたその顔は、文学少女のような儚さがあった。


「ロレッタ……!」

「……お静かに」


 ベッドの横には粗末なパイプ椅子に座るオードリーがいて、自分の唇に人差し指を当ててこちらを睨んでくる。


「……少し前に眠ったところなので」


 デシーカは彼女の左腕がないことに気づいて、顔をしかめた。


「なんてことだ……腕をやられたのか」

「……私の左腕一本で、イェン小姐(シャオジェ)が助かるなら安いものですよ」


 平然と答え、オードリーは二の腕から先がなくなってしまった左腕を触った。


 それから、顔の右側を隠している長い前髪をかきあげる。


 そこには痛々しい傷痕があった。顔にあった竜鱗を一枚一枚剥がされる拷問を受けた痕だ。


 それはオードリーが〈ラウ書店〉とは別の組織の兵隊だったころ、ヘマをして敵対していた組織に拉致されたときにつけられたものだ。彼女は見殺しにされるところだったが、組織の命令を無視してオードリーを助けたのがロレッタで、それをきっかけにオードリー・フーは元いた組織を抜けて〈ラウ書店〉の店員になった。


 だから、彼女はロレッタ・イェンのためならいつでも死ねる忠実な兵隊だったし、左腕を失ったことくらい本当になんでもないと思っているに違いなかった。


「それにしても――ロレッタほどの使い手がこうまでやれられるとはな」


 原因不明の爆発事故で橋が崩落したというニュースがマスコミを騒がせたのは三日前だった。騒ぎはいまでも続いていたが、デシーカは今朝までは蚊帳の外だった。黒社会に戻っていない彼女に、真相に迫る情報が入ってくる道理はない。


 オードリーから電話があったのは新しい求人情報誌を買いにいこうとしていたときで、ことの顛末とロレッタがスイ・シーのところに入院しているということを知った。


「相手は賞金首なのか?」

「……恐らくは。大小姐(ダーシャオジェ)から賞金首はエルフだという話を聞かされていました。襲ってきたのもエルフでした」

「顔は?」

「……いえ。縁日で売っているようなお面をつけていましたから」

「なんともふざけたやつだな……相手がエルフだとして、ロレッタとやりあえるやつなんていまの〈ティティス・レコード〉にはいやしないぞ」

「……大陸から雇われたのかも知れません。私とイェン小姐(シャオジェ)はキルシェトルテ・ルクスに会いにいく途中でした。偶然にしては出来すぎですよ」

「〈シターン・レーベル〉か……」


 ロクサーナの言っていた〈ティテス・レコード〉の跳ねっ返り。キルシェトルテのことはデシーカもよく知っている。だが、確かに出来すぎている。雇った殺し屋を使っているというのなら、黒社会のすべての勢力に可能性がある。仮に〈シターン・レーベル〉が一連の殺しを仕掛けているのなら、そんなタイミングでロレッタを襲えば自分から名乗り出たようなものだ。


「ルールーには?」

「……報告はまだしていません。大小姐(ダーシャオジェ)にお伝えすれば、〈ティンパ商会〉の系列組織にも伝わってしまう。〈ラウ書店〉を救う賞金首の情報ですよ? 我々が仕留める必要があります」


 オードリーは右拳をきつく握った。


「……デシーカさん」


 彼女の掠れた声は、どこかこちらを責めるような響きがあった。


「……戻ってきてください」


 ロレッタのほうを見つめたまま、オードリーは独りごとのようにして言った。


 だが、その声は狭い部屋のなかにいやというほど響いた。

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