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13.わたしを誰だと思っているの?

 法定速度を守って走る黒塗りのセダンは、ろくに整備されていない下町の道路にサスペンションを軋ませてがたがたと揺れた。


 日はすっかり落ちていて、時計の針は日付が変わる直前だった。


 後部座席に身体を沈めるロレッタは、窓に反射する自分の顔を見つめていた。


「……イェン小姐(シャオジェ)、なにも正面からいかなくてもよいのでは?」


 ハンドルを握るオードリーが、バックミラーからこちらの様子を確認して言ってくる。


「世間話をするだけよ。まんざら知らない仲でもないしね」

「……キルシェトルテ・ルクスはヤク中ですよ。まともに話ができるのですか」

「キマっていなければ」


 ロレッタは苦笑して、バックミラー越しにオードリーと視線を合わせた。


 窓を少しだけ開けて車内に風を入れると、煙草を咥えて火を点ける。


 ライターの火に炙られて、薄暗い車内に冷たいロレッタの顔が浮かんだ。


 キルシェトルテ・ルクスは〈ティティス・レコード〉直系組織〈シターン・レーベル〉の殺し屋だった。何度かやり合ったこともある。典型的な現場の兵隊で、腕は立つが組織を束ねる統率力があるわけでもないし、策謀を張り巡らせる寝技が得意なタイプでもない。


「そんな女がいまでは〈シターン・レーベル〉の頭目だなんてお笑いだわ」


 ロレッタは生温い風を頬に感じながら、ゆっくりと紫煙を吐いた。


 一連の〈ティンパ商会〉に仕掛けられた殺しがエルフ人の仕業なら、真っ先に疑わなければならないのは協定に不満をもっている〈ティティス・レコード〉の一部の連中だった。


〈シターン・レーベル〉は最たるもので、探りを入れてみるのも悪くない。なんの証拠もないのに正面から乗り込まれるなど思ってもいないだろうから、なにかボロが出るかも知れない。


「うちと似たような戦争屋のくせに、洒落たところに事務所があるのよねえ」


〈シターン・レーベル〉は、アヴァロン島の東地区にある。若者が集まる洒落たエリアで、表向きは中古レコード店だった。品揃えがいいらしく、アヴァロン島の観光ガイドマップにも掲載されたことがある。


 ロレッタは煙草の灰を窓の外に落とすと、運転席にぐっと身を乗り出した。


「万が一なにかあっても、あなたは手を出さないで。大小姐(ダーシャオジェ)に知らせなさい。二人して海に沈められることになったら、笑い話にもならないわ」

「……そういうわけにはいきません」


 オードリーがぎょっとして、横目でこちらを見た。


「……私の命はイェン小姐(シャオジェ)のためにあるので、私が代わりに死にます」

「そういうことは言わないの」


 ロレッタは咥えていた煙草を指で挟むと、オードリーに咥えさせて黙らせる。


「大丈夫よ。わたしを誰だと思っているの?」


 その言葉は気休めでもなんでもなく、確かな自身に満ちていた。


 セダンは〈ラウ書店〉の縄張りである下町エリアがあるアヴァロン島の南区を抜けて、ビジネスの中心地である中央区に続く橋に差しかかっていた。


 中央区はアヴァロン警察の縄張りで、アヴァロン島は大きく西側と南側を〈ティンパ商会〉が、東側を〈ティティス・レコード〉が取り仕切っていた。ちょうど中央区が緩衝地帯のような役割を果たしていたのだ。もっとも、この前の戦争で東側の地区の多くもいまでは〈ティンパ商会〉の縄張りになった。


 朝の通勤時間帯は渋滞する橋のうえも、深夜の交通量はほとんどなかった。


 だから、橋のど真ん中に佇む人影をセダンのヘッドライトが照らしたとき、ロレッタはこれから海に飛び込もうとする自殺志願者なのかと思った。その黒ずくめの人影が縁日で売っているような安いお面で顔を隠し、左手にサーベルをもっていなければ。


「オードリー!」


 それはアクセルを踏めと言うことだった。


 セダンが人影を撥ね飛ばそうと一気に加速する。


 だが、お面野郎はまったく動じた様子もなくすらりとサーベルを抜き放った。


 その刀身に、ロレッタはぎょっとして目を見開いた。


 まるで炉から出されたばかりのように輝く灼熱の刀身。


 お面野郎はセダンを避けるどころか、魔術刀を低く構えて突っ込んできた。


 一瞬で彼我の距離が詰まる。


 すれ違いざまに灼熱の魔術刀が中空を疾駆した。


 闇に輝くその軌跡は、美しくすらあった。


 セダンのボディが、まるでバターのように軽々と切断される。


 左フロントを斬り飛ばされてバランスを崩し、車体が激しくアスファルトに擦れた。


 けたたましい金属の悲鳴。猛烈な火花が舞い散る。


 セダンはそのまま橋の壁に突っ込み、ぐしゃりという金属がひしゃげる音を残して玩具みたいに跳ね返った。勢い余って一回転しながら、反対車線まで滑っていく。


「くそったれが……!」


 ロレッタは悪態を吐きながらも、ドアを蹴破って外に出た。


 車体はスクラップ同然で、運転席のオードリーを見ると頭から血を流していた。


 意識はあるようで、大丈夫だと示すように小さくうなずいている。


 お面野郎はこちらを観察するようにして佇んでいた。


 野球帽を被った黒ずくめで、背格好からは男か女かもわからない。


 だが、隠しきれない尖った耳はそいつがエルフ人であることを証明していた。


「ふざけた野郎だわ」


 このお面野郎が〈ティンパ商会〉の幹部を標的にしている殺し屋に違いなかった。だが、すっかり落ち目になった〈ラウ書店〉の副店長を殺す意味なんてないだろうに。


 理由はわからないが――なんであれ運が向いてきたな、とロレッタは思った。


「わたしを〈ラウ書店〉のロレッタ・イェンだと知って襲ってきたのなら、その勇気は評価に値するわ。あなたはここで死ぬけれど――」


 ロレッタは拳を握り、腰を落とした。


「その前にその魔術刀をどこで手に入れたのか聞かせてくれるかしら」


 鍛錬の過程で妖精を生きたまま練り込んでつくるという、エルフ人たちの失われた技術によって生まれた魔術刀。この世で同じものは一振りとしてない。


 灼熱の刀身――銘は白無垢鉄火。


「それはわたしの友人の大切なものでね。警察に押収されたものなのよ」

「……」

「だんまりか」


 ロレッタは鋼鉄の眼光でお面野郎を見据えた。


「まあいいわ。あなたを殺して、賞金と一緒に取り返すとしましょうか」


 それに応えるようにして、お面野郎はゆっくりと魔術刀を構えた。

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