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10.わたしはなにも聞いていないわ

 ルールー・ウォンがそこにいた。腰のあたりまで伸ばしているガウロン人らしい艶やかな黒髪は癖ひとつなく、ぱっつんの前髪と勝気な眼光が印象に残った。


 さらに目につくのはすらりとした身体のラインにフィットする派手な色のワンピースで、太ももには大きなスリットが入っている。そのガウロン人の伝統的な服は彼女の代名詞のようなもので、ノースリーブで露出している両腕には竜鱗があった。


「ルールー、連絡をもらえれば、わたしのほうから顔を出したのに」

「近くで所用がありましたから、お姉さまの様子を見に寄っただけですわ」

「それは光栄ね」


 皮肉気なロレッタの言葉を受け流し、ルールーはわざとらしく視線を巡らせた。


「わたくしがいたころから、なにも変わりませんわね。懐かしいわ」

「ええ、そうね。人はずいぶんと減ってしまったけれど」

「閉店の件は考えてくださいましたか、お姉さま?」


 単刀直入に、ルールーは言ってきた。


「悪い話ではないでしょう。〈ラウ書店〉はなくなりますが、お姉さまにはわたくしの側で仕事をしてほしいんですの。オードリーもね。知ってのとおり、おじいさま――ウォン大人(ダーレン)は引退、エルフどもは全面降伏。戦争屋の出番はありませんわ」

「戦争がないのなら、〈ラウ書店〉はこの街で静かにやっていくだけよ」

「そんな昔気質でどれだけのあがりを納められるんですの? ルールー・ウォンとしてなら、いままでどおり上納金を免除したいところですが。ほかの幹部たちの手前、〈ティンパ商会〉の総経理代行としてはそうはいきませんわ」

「けれど、ルールー。あなたが言っているのは結局、わたしにラウ師父(スーフー)が愛したこの街を放り出してあなたの殺し屋になれということでしょう」


 総経理代行になったルールー・ウォンは、祖父のレガード・ウォンほど組織を掌握できていない。外向けの戦争がなくなったなら、今度は内向きの戦争があるだけだ。


 彼女はそのための手駒がほしかったし、組織としてはもう機能しない〈ラウ書店〉は打ってつけだった。縄張りを召しあげて、子飼いの殺し屋にしてしまうには。


「短くはない時間、あなたもここにいたじゃない。よくもそんなことが言えたものだわ」

「誤解なさらないでくださいな。わたくしはお姉さまのことを思って言っていますの」

「まだチャンスはあるわ」

「本気で賞金首を狩るおつもりですか? たった二人で?」


 そう言ったルールーの表情は、確かにこちらを心配しているように見えた。


 三億ロンガンの賞金を狙って、〈ティンパ商会〉の直系組織や系列組織は、総出になって動いている。いまや黒社会はこの話題でもちきりで、組織力ではとても太刀打ちできない。


 ロレッタは無言で、かつての妹弟子を見つめた。


〈ラウ書店〉のロレッタ・イェン、デシーカ・デグランチーヌ、そしてルールー・ウォンと言えば、シリング・ラウ子飼いの〈三人娘〉。抗争では常に矢面に立ち、アヴァロン黒社会では知らない者などいなかった。それがいまや遠い過去になり、記憶の奥底にある幻のようだ。


「お姉さま、デシーカさんとはお話になられまして?」


 思い出したかのように、ルールーが言った。


「ええ、けれどうまくいかなかったわ」

「そうですか……デシーカさんが力を貸してくだされば、と思いましたけれど」


 決してそうだとは言わないが、アヴァロンの司法当局に圧力をかけてデシーカを出所させたのはルールーに違いなかった。


「いまから申しあげるのはわたくしの独り言ですけれど」


 ルールーはわざとらしくそう言うと、明後日の方向に視線をやった。


「三日前から行方不明だった〈ヴィクトリア貿易〉の幹部の死体があがりましたわ。海に投げ捨てられた死体が漁船の網に引っかかりましたの」


〈ヴィクトリア貿易〉はアヴァロン島の港湾利権を仕切っている〈ラウ書店〉とは比べものにならない巨大組織だ。レガード・ウォンからの信頼も厚く、ルールーが総経理代行に就くことにもいち早く賛成した。彼女にとってみれば後ろ盾のひとつだ。


「これはまだ大っぴらにはしていない話ですが、橋からなにかを投げ捨てる人影を目撃した浮浪者がおりますの」

「本当に?」

「はい。人相はわからないもののエルフだったと」

「まさか――〈ティティス・レコード〉の連中の仕業なの?」

「それはわかりませんわ。エルフの殺し屋なんて掃いて捨てるほどいますもの」


 あらぬところに視線を巡らせていたルールーが、ゆっくりとこちらを見やる。


 ロレッタは彼女の瞳に宿る剣呑な光をまっすぐに受けとめた。


「どうしてそんな独り言を?」

「さあ、独り言ですから、理由なんてありませんわ」


 ルールーは自分の薄い唇にそっと人差し指を当て、ロレッタの耳元で囁いた。


「偶然聞いてしまったことは、内緒にしてくださいましね、お姉さま」

「ええ、そうね。わたしはなにも聞いていないわ」


 昔のままの薄暗い店内に、二人の声はひっそりと消えた。

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