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婚約破棄されたパティシエ令嬢は甘く誘う  作者: 九葉


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第8話:大繁盛と嫉妬深い用心棒

『パティスリー・リュヌ』の開店初日は、私の予想を遥かに超える大騒ぎとなった。


「いらっしゃいませ! 焼きたてのシュークリームはいかがですか!」


開店と同時に、お店の中は貴族の令嬢から町の奥様方まで、甘いものを求める女性客で溢れかえった。

ショーケースの前には長蛇の列。

私の手は休むことなく動き続けている。


「これ、噂の『美肌スイーツ』って本当?」

「食べて綺麗になれるなんて夢みたい!」


お客様のお目当ては、私が開発した看板商品――『雪崩なだれクッキーシュー』だ。


厨房のオーブンからは、ひっきりなしに香ばしい匂いが漂ってくる。

バターと小麦が焦げる、幸せの香り。


「お待たせいたしました! ただいま焼き上がりました!」


私はトレイに山盛りのシュークリームを乗せて、店頭に並べた。


ゴツゴツとした岩のような見た目。

これはシュー生地の上に、『金剛糖ダイヤモンド・シュガー』を練り込んだクッキー生地を乗せて焼いているからだ。

『金剛糖』は熱に強く、オーブンで焼いても溶けきらずに、ザクザクとしたクリスタルのような食感を残す希少な砂糖だ。


その黄金色の岩山の中には、注文を受けてから注入する特製のクリームが、これでもかというほど詰まっている。


「わぁ……! 本当に宝石みたいにキラキラしてる!」

「私、三ついただくわ!」


飛ぶように売れていく。

嬉しい悲鳴を上げながら接客をしていると、ふと、店の隅から絶対零度の視線を感じた。


「…………」


そこには、腕組みをして仁王立ちする長身の男。

漆黒の礼服に身を包んだ、ジークフリート様だ。


彼は「店番を手伝う」と言ってきかなかったのだが、その実態は……。


「おい、そこの男。どこを見ている」


「ひっ、す、すみません!」


「レティシアの笑顔は商品ではない。菓子を見ろ、菓子を」


列に並ぼうとした数少ない男性客を、眼光だけで追い払っていたのである。

おかげで客層の九割九分が女性だ。まあ、それはそれで回転率が良いのだけれど。


「ジークフリート様! そんなに睨まないでください。お客様が怖がっちゃいます」


客足が落ち着いた一瞬の隙に、私は彼の元へ駆け寄った。

彼は不満げに鼻を鳴らす。


「ふん。お前が愛想を振りまきすぎるからだ。……俺は腹が減った」


「さっきお昼ご飯を食べたばかりじゃないですか」


「魔力が減ったんだ。……『補給』が必要だ」


彼は駄々っ子のように私を見下ろす。

どうやら、私が他のお客様(特に男性)と話しているのを見て、ストレスで「飢餓感」が増してしまったらしい。


「仕方ないですね……。はい、これ。特大サイズです」


私は彼のために取っておいた、一際大きな『雪崩クッキーシュー』を差し出した。

もちろん、クリームは通常の二倍入っている。


「……ほう」


彼が口を開ける。

私は周りの目線(主に女性客からの黄色い悲鳴と羨望の眼差し)を気にしつつ、彼の口元へシュークリームを運んだ。


「あーん」


ガブッ。


豪快な音が響く。

その瞬間――。


ザクッ、バリバリッ!!


『金剛糖』のクッキー生地が砕け散る、軽快で小気味良い音が店内に木霊した。

厚みのある皮は、噛みごたえ抜群。香ばしいバターの風味が、噛むほどに染み出してくる。


そして、堤防が決壊したかのように。


とろぉぉぉ……ッ!!


中から、ひんやりと冷えたクリームが雪崩のように溢れ出した。


「んぐッ……!」


ジークフリート様が慌てて溢れたクリームを吸い込む。


このクリームには、『月光牛ムーン・カウ』のミルクを使っている。

満月の夜にしか搾乳できないそのミルクは、脂肪分が高いのに、驚くほど後味が軽い。

そこに『天空麦』の粉で作ったカスタードと、純白の生クリームを黄金比で混ぜ合わせた「ディプロマットクリーム」だ。


濃厚なミルクのコク。

バニラの妖艶な香り。

ザクザクの皮の甘さと、とろとろクリームの滑らかさが、口の中で激しく混ざり合う。


「……美味い」


ジークフリート様が、うっとりと目を細めた。

口の端に白いクリームがついているのが、何とも言えず背徳的だ。


「皮のザクザク感がたまらないな。噛むたびに砂糖の粒子が弾けて、脳に直接快感を送ってくるようだ」


「ふふ、食感のコントラストにこだわりましたから」


「それに、このクリームだ。……飲めるな、これは」


「飲み物じゃありませんよ」


「いや、飲める」


彼は私の手首を掴み、残りの半分を一気に口に放り込んだ。


バリッ、とろ~り。


口いっぱいに頬張り、喉を鳴らして飲み込む。

その喉仏の動きすら、セクシーに見えてしまうから困る。


「……ふぅ。生き返った」


彼は舌なめずりをし、満足げに私を見た。


「だが、まだ足りん」


「えっ、まだ食べるんですか?」


「いや、次は場所を変えて……夜にたっぷりと頂こうか」


彼は私の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。


「店が終わったら、今日こそ俺の寝室に来い。……このシュークリームのように、中からとろとろになるまで可愛がってやる」


「ッ~!!」


顔から火が出るかと思った。

この公爵様、公衆の面前で何を言っているの!?


「きゃあ! 見て、公爵様が店主様にデレデレよ!」

「素敵……あのクールな閣下がメロメロなんて!」

「やっぱり『愛されスイーツ』なのね! 私、もう一つ買うわ!」


お客様たちの間では、いつの間にか「この店の菓子を食べると、冷徹な意中の彼もメロメロにできる」という新しい噂が爆誕していた。


おかげで商品は飛ぶように売れ、夕方になる頃には完売御礼。


「……くくっ、計算通りだな」


ジークフリート様は悪い顔で笑っていたけれど、私は知っている。

彼が最後の一つを自分が食べられないと知って、この後すごく拗ねることを。


(あとでこっそり、彼専用のプリンを作ってあげなくちゃ)


私はエプロンを外しながら、今夜の「甘い延長戦」に備えて、こっそり気合を入れるのだった。

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