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婚約破棄されたパティシエ令嬢は甘く誘う  作者: 九葉(くずは)


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第6話:灼熱の卵と氷の公爵

公爵城での生活にも慣れてきたある日のこと。

私はキッチンのテーブルに置かれた『それ』を前に、腕組みをして唸っていた。


「……熱い。近寄るだけで汗が出るわ」


目の前にあるのは、子供の頭ほどもある巨大な卵だ。

殻は燃え盛る残り火のように赤黒く脈打ち、実際に陽炎が立ち上っている。


『火竜のドラゴ・エッグ』。

活火山の火口付近に巣を作る、ファイア・ドラゴンの卵だ。

その黄身はルビーのように赤く、滋養強壮効果は絶大。プリンにすれば間違いなく絶品……らしいのだけれど。


「割れないのよ……!」


私は耐熱ミトンを三重にして包丁を構えたが、熱気で近寄ることすら難しい。

うかつに触れば火傷確実。

しかも、殻はダイヤモンド並みに硬いというおまけ付き。


「難儀しているようだな、レティシア」


背後から、涼やかな声が掛かる。

振り返ると、執務を終えたジークフリート様が立っていた。

黒のシャツをラフに着こなし、片手には書類を持っている。


「ジークフリート様! これ、どうやって調理すればいいんですか? 熱すぎて殻も割れません!」


「ふむ。火竜の卵か。確かに常人には扱えん代物だな」


彼は面白そうに卵を見下ろすと、私の隣に立った。

ひやり、と冷たい空気が彼から漂い、キッチンの暑さがすっと和らぐ。


「俺が手伝おう」


「えっ、閣下がですか?」


「俺の氷魔法なら、この程度の熱など封じ込められる。……それに、早くお前の作った新作が食いたい」


彼はそう言うと、私の背後に回り込み、両腕で私を包み込むようにして調理台に手を伸ばした。


「ひゃっ……!?」


まるでバックハグのような体勢に、心臓が跳ね上がる。

背中に彼の硬い胸板が当たり、耳元で吐息を感じる距離。


「じ、ジークフリート様? 近いです……!」


「動くな。細かい制御が必要なんだ。俺が殻の熱を奪い、脆くする。その瞬間に、お前が割れ」


「は、はい……!」


私は緊張でミトンを握りしめた。

彼の長い指先から、青白い冷気が立ち昇る。


パキ……パキキ……。


灼熱だった卵の殻に、瞬く間に白い霜が降りていく。

熱と冷気がぶつかり合い、シュウシュウと音を立てる。


「……今だ!」


「はいっ!」


私は気合と共に、殻の頂点に包丁の背を叩きつけた。


カコーンッ!


硬い殻が、嘘のように綺麗に割れた。

中から現れたのは、眩いばかりに輝く、真紅の卵黄だった。


「わあぁ……!」


私は思わず息を呑んだ。

とろりとしたルビー色の黄身。白身は透明度が高く、宝石の原石のようだ。

熱気は消え、代わりに濃厚な、熟した果実のような香りが漂う。


「よし、ここからは私の出番ですね!」


私は赤面をごまかすように、調理に没頭した。


ボウルに真紅の卵黄を落とす。

合わせるのは、『白牛の生クリーム』と、マダガスカル産よりも香りが強い『月光バニラ』の鞘。


泡立て器で混ぜると、卵液は美しいサーモンピンク色に変わった。

火竜の卵は熱を加えると固まりやすい。

湯煎の温度管理が命だ。


耐熱容器に注ぎ、オーブンでじっくり蒸し焼きにする。

仕上げに、表面にたっぷりとグラニュー糖を振った。


「ジークフリート様、仕上げの魔法をお願いできますか?」


「ああ。焦がせばいいのだな?」


彼は指先をパチンと鳴らした。

小さな炎の球が現れ、砂糖の表面を舐めるように炙っていく。


ジジジジ……ッ。


砂糖が沸騰し、焦げていく音。

甘く香ばしい、カラメルの香りが立ち昇る。

表面が飴色のガラス状に固まれば、完成だ。


「出来ました。『火竜のクレームブリュレ』です」


私はスプーンを二つ用意した。


「さあ、まずはこの『音』を楽しんでください」


私はジークフリート様の目の前で、スプーンの背で表面のキャラメルを軽く叩いた。


コン、コン。


小気味よい音が響く。

そして、少し力を入れてスプーンを突き立てる。


パリッ。


繊細な飴が割れ、その下からとろとろのクリームが顔を出した。


「……美しいな」


ジークフリート様は喉を鳴らした。

私は割れたキャラメルとクリームをすくい、彼の口元へ運ぶ。


「はい、あーん」


「……頂こう」


彼は私の手首を掴み、熱い視線と共にパクりと一口。


瞬間、彼の目がカッと見開かれた。


パリパリッとした飴の食感。

その鋭い甘苦さが砕けた直後、舌を包み込むのは、圧倒的な濃厚さを持つカスタードクリームだ。


火竜の卵特有の、力強いコク。

それはまるで、チーズのようにねっとりと舌に絡みつき、体温で温められると芳醇な香りを爆発させる。

バニラの甘い香りが鼻に抜け、最後に残るのは、焦がし砂糖のほろ苦い余韻。


「…………ッ」


彼は言葉を失い、ただ吐息を漏らした。

口の端についたクリームを、舌先で名残惜しそうに舐め取る。


「……熱い。腹の底から、力が湧いてくるようだ」


「火竜の卵ですから、スタミナ効果は抜群ですよ」


「そうか。……なら、夜も眠れなくなるな」


彼は意味深に目を細めると、私の手からスプーンを奪い取り、今度は自分で私に掬って差し出した。


「え?」


「共同作業の成果だ。お前も味わえ」


「で、でも私は……」


「いいから食え。それとも、口移しの方がいいか?」


「た、食べます! いただきます!」


私は慌てて彼のスプーンから一口食べた。


……んんっ!

美味しい……!


自分の作ったものだけど、これは想像以上だ。

火竜の卵のパワーが、冷たい氷魔法で凝縮されたことで、味が引き締まっている。

パリパリとトロトロのコントラストがたまらない。


「美味いだろう?」


「はい、とっても……!」


「そうか。なら、残りは全部俺のものだ」


彼はニヤリと笑うと、私をひょいと抱え上げ、キッチンの調理台の上に座らせた。

そして私の両脇に手をつき、逃げ場を塞ぐ。


「味見は終わりだ。ここからは、俺の『食事』の時間だ」


「あ、あの、ブリュレは……?」


「それも食う。だが、それを作った甘いパティシエも、一緒に味わいたい気分でな」


彼は私の鼻先に自分の鼻を擦り付けた。

甘いカラメルの香りと、彼の男性的な香りが混ざり合い、頭がクラクラする。


「……覚悟しろよ、レティシア」


火竜の卵の効果だろうか。

今日のジークフリート様は、いつも以上に瞳がギラギラと輝いていて、私は甘いブリュレの横で、彼にたっぷりと「ご馳走」される羽目になったのだった。


(……火竜の卵、精がつきすぎるのも考えものだわ!)


心の中で嬉しい悲鳴を上げながら、私はとろけるような甘い夜に沈んでいった。

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