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婚約破棄されたパティシエ令嬢は甘く誘う  作者: 九葉(くずは)


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第13話:再会と格の違い

会場に入った瞬間、静寂が訪れたのは一瞬。

直後、さざ波のような感嘆の声が広がった。


「あれは……グランヴェル公爵?」

「隣にいる美しい女性は誰だ? まるで夜の女神のようだ」


無数の視線が私たちに注がれる。

私はジークフリート様のエスコートに合わせ、背筋を伸ばして歩いた。


ドレス『夜帳ナイト・ヴェール』が、歩くたびに照明を反射し、星空のように煌めく。

肌は連日の『魔蜜蜂の蜂蜜』や『プリズムベリー』の試食のおかげで、内側から発光しているかのように潤いに満ちていた。


「顔を上げろ、レティシア。お前は今日、この会場で一番美味そうだ」


ジークフリート様が小声で囁く。

その独特な褒め言葉に、緊張が少しほぐれて自然と笑みがこぼれた。


その瞬間、会場の空気が「ほうっ」と熱を帯びる。


しかし。

その美しい光景を、絶望的なほど歪んだフィルター越しに見ている男がいた。



【クラウディオ視点】


「な、なんだあれは……!」


僕は我が目を疑った。

あの、隣を歩いている女。あれがレティシアだというのか?


「嘘だ……ありえない!」


僕の記憶にあるレティシアは、いつも小麦粉まみれで、甘ったるい匂いをプンプンさせている地味な女だったはずだ。

それなのに、今の彼女はどうだ。


肌はテカテカと光り(※ツヤツヤです)、体つきは肉感的で(※健康的です)、あろうことか頬には血色が差している(※絶好調です)。


「汚らわしい! なんて汚らわしいんだ!」


僕は叫びそうになるのを堪えた。

あれは間違いなく、毒(菓子)を食らいすぎた者の末路だ。

体中に不純物が溜まりすぎて、あんなに膨れ上がってしまったのだ。


それに引き換え、今の僕はどうだ。

無駄な肉を極限まで削ぎ落とし、骨格の美しさを露わにした、まさに生ける芸術品。


「可哀想に……。彼女は悪魔に魂を売ってしまったんだね」


「そ、そうですわねぇ(すっごいダイヤ……! あのネックレスだけで城が建つんじゃない!?)」


隣のミナが震えている。きっと彼女もレティシアの醜悪さに怯えているのだろう。

僕が救ってやらねば。


僕はフラつく足取りで、人混みをかき分けた。


「レティシア! そこにいるのはレティシアじゃないか!」



【レティシア視点】


「……?」


聞き覚えのある、しかし以前よりずっと枯れた声が聞こえた。

振り返ると、そこには――。


「えっ……」


言葉を失った。

仕立ての良い礼服を着ているが、中身はまるで枯れ木だ。

頬はこけ、目は落ち窪み、肌は土気色。

歩くたびにカクカクと音がしそうなその人物は、かつての婚約者、クラウディオ様だった。


「クラウディオ様……? そのお姿、一体どうされたのですか?」


あまりの変わりように、心配の言葉が先に出てしまった。

しかし彼は、憐れむような目で私を見返してきたのだ。


「それは僕のセリフだ、レティシア。……ああ、なんて嘆かわしい。そのパンパンに張った肌、ブクブクとついた脂肪……。見るに堪えないよ」


「……はい?」


私は自分の頬に手を当てた。

エステティシャンのメイドさんからは「最高のもち肌ですね!」と絶賛されたばかりだけど?


「菓子などという毒物を食べ続けるから、そんな醜い姿になるんだ。……だが安心してくれ。僕がその『脂肪の鎧』を脱がせてあげるから」


彼は虚ろな目で笑い、ガリガリの手を私の方へ伸ばしてきた。

恐怖というより、生理的な嫌悪感が背筋を走る。


その手が私に届く直前。


バシッ!!


「……気安く触れるな、ゴミ虫」


ジークフリート様が、私の前に立ちはだかった。

払いのけられたクラウディオ様の手が、空を切る。


「なっ、何をする無礼者……ッ!?」


クラウディオ様が睨み上げ――そして、凍りついた。

目の前にいるのは、彼より頭一つ分背が高く、圧倒的な魔力と殺気を纏った『魔公爵』なのだから。


「グ、グランヴェル公爵……!?」


「俺の『最愛』に、その薄汚い手を伸ばすなと言っている。……消毒が必要になるだろうが」


ジークフリート様の声は、絶対零度のように冷たかった。

周囲の貴族たちが、サーッと波が引くように距離を取る。


「ご、誤解です閣下! 僕はただ、元婚約者として、彼女の『健康』を心配して……」


「健康? ……鏡を見てから言え」


ジークフリート様は鼻で笑った。


「レティシアは美しい。その肌は『ミルク・プディング』のように滑らかで、その唇は『ルビー苺』のように甘やかだ。……お前の曇った目には、この極上の輝きが見えんのか?」


「そ、それはただの脂です! 彼女は砂糖と油に毒されているんです!」


クラウディオ様が叫んだ、その時だった。


チリーン、チリーン。


会場の奥から、ベルの音が響いた。

それは、本日のメインデザートの提供を知らせる合図。


「丁度いい。……論より証拠だ」


ジークフリート様がパチンと指を鳴らすと、王宮の給仕たちが銀のワゴンを押して現れた。

そこに乗っているのは、私がこの日のために監修した、スペシャルケーキだ。


「皆様、本日のデザートは、パティスリー・リュヌ特製、『星降る夜のオペラ』でございます」


私の声に合わせて、ワゴンのクロッシュ(蓋)が一斉に開けられた。


――ドワァァァッ!!


会場中に、濃厚かつ芳醇な香りが爆発的に広がった。


「な、なんだこの香りは!?」

「コーヒー? いや、もっと深い……!」


そこに現れたのは、漆黒の夜空を映したような、美しい積層のケーキだった。


『星降る夜のオペラ』。


生地には、深い苦味とコクを持つ『真夜中の珈琲豆ミッドナイト・コーヒー』のエキスをたっぷりと染み込ませたアーモンドスポンジを使用。

その間に挟むのは、『天のミルキーウェイバター』をふんだんに使った、口溶けの良い極上のバタークリーム。

そして、濃厚なガナッシュ。


何層にも重なったそのケーキの表面は、『彗星チョコ(コメット・ショコラ)』で作ったグラサージュ(艶出し)でコーティングされている。

鏡のように輝く黒い表面には、金箔と銀箔が散らされ、まさに食べる宝石。


「さあ、召し上がれ」


給仕たちが切り分けたケーキが、ゲストの手に渡る。

クラウディオ様の隣にいたミナの手にも。


「い、いただきますぅ……!」


ミナは我慢できずにフォークを刺した。

スッ……。

フォークが抵抗なく沈んでいく。


口に運んだ瞬間。


「んんん~~~ッ!!!」


ミナが奇声を上げて身悶えた。


『真夜中の珈琲』のほろ苦さが、舌を刺激する。

その直後、体温で溶け出したバタークリームが、こっくりとした濃厚な甘さで舌を包み込む。

スポンジからじゅわりと染み出すシロップ。

パリッとしたチョコの食感。


全ての層が口の中で混ざり合い、重厚なハーモニーを奏でる。

コーヒーの香りが鼻に抜け、バターのコクが脳をとろけさせる。


「あ、甘い……! 濃い! でも全然くどくない! コーヒーの苦味が最高! 生きててよかったぁぁ!」


ミナは「朝露設定」も忘れて、一心不乱にケーキを頬張った。

周囲の貴族たちからも、「美味すぎる!」「こんなケーキ初めてだ!」と絶賛の嵐が巻き起こる。


その光景を、クラウディオ様だけが呆然と見ていた。


「バ、バカな……。みんな騙されている……。それは毒だ、毒なんだ……!」


彼は震える手で、自分の前に置かれた皿を見た。

漆黒に輝くケーキが、彼を誘惑するように甘い香りを放っている。


グゥゥゥ~~~……。


彼の腹が、会場に響くほど盛大な音を鳴らした。


「ほら、お前の体も正直だぞ」


ジークフリート様が、悪魔のように囁く。


「食ってみろ。……それとも、一生『空気』を食って死ぬか?」


クラウディオ様の喉が、ゴクリと動いた。

プライドと、生物としての本能が、激しくぶつかり合っていた。

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