第13話:再会と格の違い
会場に入った瞬間、静寂が訪れたのは一瞬。
直後、さざ波のような感嘆の声が広がった。
「あれは……グランヴェル公爵?」
「隣にいる美しい女性は誰だ? まるで夜の女神のようだ」
無数の視線が私たちに注がれる。
私はジークフリート様のエスコートに合わせ、背筋を伸ばして歩いた。
ドレス『夜帳』が、歩くたびに照明を反射し、星空のように煌めく。
肌は連日の『魔蜜蜂の蜂蜜』や『プリズムベリー』の試食のおかげで、内側から発光しているかのように潤いに満ちていた。
「顔を上げろ、レティシア。お前は今日、この会場で一番美味そうだ」
ジークフリート様が小声で囁く。
その独特な褒め言葉に、緊張が少しほぐれて自然と笑みがこぼれた。
その瞬間、会場の空気が「ほうっ」と熱を帯びる。
しかし。
その美しい光景を、絶望的なほど歪んだフィルター越しに見ている男がいた。
◇
【クラウディオ視点】
「な、なんだあれは……!」
僕は我が目を疑った。
あの、隣を歩いている女。あれがレティシアだというのか?
「嘘だ……ありえない!」
僕の記憶にあるレティシアは、いつも小麦粉まみれで、甘ったるい匂いをプンプンさせている地味な女だったはずだ。
それなのに、今の彼女はどうだ。
肌はテカテカと光り(※ツヤツヤです)、体つきは肉感的で(※健康的です)、あろうことか頬には血色が差している(※絶好調です)。
「汚らわしい! なんて汚らわしいんだ!」
僕は叫びそうになるのを堪えた。
あれは間違いなく、毒(菓子)を食らいすぎた者の末路だ。
体中に不純物が溜まりすぎて、あんなに膨れ上がってしまったのだ。
それに引き換え、今の僕はどうだ。
無駄な肉を極限まで削ぎ落とし、骨格の美しさを露わにした、まさに生ける芸術品。
「可哀想に……。彼女は悪魔に魂を売ってしまったんだね」
「そ、そうですわねぇ(すっごいダイヤ……! あのネックレスだけで城が建つんじゃない!?)」
隣のミナが震えている。きっと彼女もレティシアの醜悪さに怯えているのだろう。
僕が救ってやらねば。
僕はフラつく足取りで、人混みをかき分けた。
「レティシア! そこにいるのはレティシアじゃないか!」
◇
【レティシア視点】
「……?」
聞き覚えのある、しかし以前よりずっと枯れた声が聞こえた。
振り返ると、そこには――。
「えっ……」
言葉を失った。
仕立ての良い礼服を着ているが、中身はまるで枯れ木だ。
頬はこけ、目は落ち窪み、肌は土気色。
歩くたびにカクカクと音がしそうなその人物は、かつての婚約者、クラウディオ様だった。
「クラウディオ様……? そのお姿、一体どうされたのですか?」
あまりの変わりように、心配の言葉が先に出てしまった。
しかし彼は、憐れむような目で私を見返してきたのだ。
「それは僕のセリフだ、レティシア。……ああ、なんて嘆かわしい。そのパンパンに張った肌、ブクブクとついた脂肪……。見るに堪えないよ」
「……はい?」
私は自分の頬に手を当てた。
エステティシャンのメイドさんからは「最高のもち肌ですね!」と絶賛されたばかりだけど?
「菓子などという毒物を食べ続けるから、そんな醜い姿になるんだ。……だが安心してくれ。僕がその『脂肪の鎧』を脱がせてあげるから」
彼は虚ろな目で笑い、ガリガリの手を私の方へ伸ばしてきた。
恐怖というより、生理的な嫌悪感が背筋を走る。
その手が私に届く直前。
バシッ!!
「……気安く触れるな、ゴミ虫」
ジークフリート様が、私の前に立ちはだかった。
払いのけられたクラウディオ様の手が、空を切る。
「なっ、何をする無礼者……ッ!?」
クラウディオ様が睨み上げ――そして、凍りついた。
目の前にいるのは、彼より頭一つ分背が高く、圧倒的な魔力と殺気を纏った『魔公爵』なのだから。
「グ、グランヴェル公爵……!?」
「俺の『最愛』に、その薄汚い手を伸ばすなと言っている。……消毒が必要になるだろうが」
ジークフリート様の声は、絶対零度のように冷たかった。
周囲の貴族たちが、サーッと波が引くように距離を取る。
「ご、誤解です閣下! 僕はただ、元婚約者として、彼女の『健康』を心配して……」
「健康? ……鏡を見てから言え」
ジークフリート様は鼻で笑った。
「レティシアは美しい。その肌は『ミルク・プディング』のように滑らかで、その唇は『ルビー苺』のように甘やかだ。……お前の曇った目には、この極上の輝きが見えんのか?」
「そ、それはただの脂です! 彼女は砂糖と油に毒されているんです!」
クラウディオ様が叫んだ、その時だった。
チリーン、チリーン。
会場の奥から、ベルの音が響いた。
それは、本日のメインデザートの提供を知らせる合図。
「丁度いい。……論より証拠だ」
ジークフリート様がパチンと指を鳴らすと、王宮の給仕たちが銀のワゴンを押して現れた。
そこに乗っているのは、私がこの日のために監修した、スペシャルケーキだ。
「皆様、本日のデザートは、パティスリー・リュヌ特製、『星降る夜のオペラ』でございます」
私の声に合わせて、ワゴンのクロッシュ(蓋)が一斉に開けられた。
――ドワァァァッ!!
会場中に、濃厚かつ芳醇な香りが爆発的に広がった。
「な、なんだこの香りは!?」
「コーヒー? いや、もっと深い……!」
そこに現れたのは、漆黒の夜空を映したような、美しい積層のケーキだった。
『星降る夜のオペラ』。
生地には、深い苦味とコクを持つ『真夜中の珈琲豆』のエキスをたっぷりと染み込ませたアーモンドスポンジを使用。
その間に挟むのは、『天の川バター』をふんだんに使った、口溶けの良い極上のバタークリーム。
そして、濃厚なガナッシュ。
何層にも重なったそのケーキの表面は、『彗星チョコ(コメット・ショコラ)』で作ったグラサージュ(艶出し)でコーティングされている。
鏡のように輝く黒い表面には、金箔と銀箔が散らされ、まさに食べる宝石。
「さあ、召し上がれ」
給仕たちが切り分けたケーキが、ゲストの手に渡る。
クラウディオ様の隣にいたミナの手にも。
「い、いただきますぅ……!」
ミナは我慢できずにフォークを刺した。
スッ……。
フォークが抵抗なく沈んでいく。
口に運んだ瞬間。
「んんん~~~ッ!!!」
ミナが奇声を上げて身悶えた。
『真夜中の珈琲』のほろ苦さが、舌を刺激する。
その直後、体温で溶け出したバタークリームが、こっくりとした濃厚な甘さで舌を包み込む。
スポンジからじゅわりと染み出すシロップ。
パリッとしたチョコの食感。
全ての層が口の中で混ざり合い、重厚なハーモニーを奏でる。
コーヒーの香りが鼻に抜け、バターのコクが脳を蕩けさせる。
「あ、甘い……! 濃い! でも全然くどくない! コーヒーの苦味が最高! 生きててよかったぁぁ!」
ミナは「朝露設定」も忘れて、一心不乱にケーキを頬張った。
周囲の貴族たちからも、「美味すぎる!」「こんなケーキ初めてだ!」と絶賛の嵐が巻き起こる。
その光景を、クラウディオ様だけが呆然と見ていた。
「バ、バカな……。みんな騙されている……。それは毒だ、毒なんだ……!」
彼は震える手で、自分の前に置かれた皿を見た。
漆黒に輝くケーキが、彼を誘惑するように甘い香りを放っている。
グゥゥゥ~~~……。
彼の腹が、会場に響くほど盛大な音を鳴らした。
「ほら、お前の体も正直だぞ」
ジークフリート様が、悪魔のように囁く。
「食ってみろ。……それとも、一生『空気』を食って死ぬか?」
クラウディオ様の喉が、ゴクリと動いた。
プライドと、生物としての本能が、激しくぶつかり合っていた。




