いらない子のようなので、出ていきます。さようなら♪ その13
旧ベイスチン侯爵と旧マーベラ夫人はアンディの空間転移で、バラナーゼフ王国の国王執務室へ連れて来られていた。
それを歓迎するのはアズメロウの父、ジョニー・レラップ子爵だった。
「ようこそ、バラナーゼフ王国へ。手厚くおもてなししますぞ」
35年前の辺境への進攻に対して、指示したのがベイスチンだと知った時から、誰にも怒りを向けられない虚しさから一転し、復讐を誓って来たのだ。
よく来たな、この畜生達め! てな感じである。
隣国に乗り込んでとどめを刺したい衝動を耐え抜き、彼らに対する恨み骨髄に徹するほどの憎悪を、妻や子供達の為に我慢してきたジョニーだ。
彼らを眺めるジョニーは、自然と口元が緩むのを自分でも感じていた。
◇◇◇
ミュータルテとメルダが、ラキリウム共和国で、ベイスチンとマーベラに成り代わった。
アンディの緻密な観察と、行動面の詳細レポートを渡された彼らは、懸命にそれらを覚えていく。
今まで話す機会がなかった共通語(外交も丸投げだったから)は、学生時代には覚えていたのに、今は曖昧にしか話せなくなっていたミュータルテとメルダ。
読み書きは普通に出来るが、思うように言葉が出てこないことで会話に支障がでていた。他国の特有の言語は、さらに低レベルな状態だった。
「覚えているつもりだったのに、この様だ。外交を怠けていた弊害がこんな場面で出るとはな。情けないことだ」
落ち込むミュータルテに、メルダが声をかけた。
「申し訳ありません、旦那様。せめて私がサポート出来れば、大きく問題はなかったのに。申し訳ありません」
項垂れるメルダにミュータルテは、それを強く否定する。
「そんなことない。そんなことはないんだ、メルダ。君がイビられて辛い時に、俺も父上の「余計なことをせずに、国政の維持くらいならお前にも出来るだろう」と言われ、勝手に自己憐憫に浸っていたんだ。
期待されていない、所詮繋ぎの王位なのだと。
優しい君に甘えて、君のことまで貶めてしまった。こんなことになったのは、全部俺のせいだ。すまない」
「違います、私が弱かったから……。一緒に幸せになりたかったのに、頑張りきれなかったの」
「もう言わないで良い。私達の精神は限界だった。君のことが不憫で、父上に相談したこともあったが、「それならメルダと別れて、別の妃を立てろ」と言われ、何も言えなくなった。
君のことを逃がしてあげるチャンスだったのに。俺がそれを奪ったんだ。悔やみきれないよ」
「そんなこと言わないで下さい。もし貴方と離婚して新しい妃を見たら、きっと命を絶っていました。貴方のことを愛しているから。それなのに私はヒスイと子を成しました。可哀想なあの子、オーロラを。アルリビド、いえ国王様は、悪いようにしないと言っておりましたが、どうなることか」
「……任せよう。あの子は、逆境にも折れなかった優れた王だ。いつかまた、オーロラに会える日も来るだろう。それまでは、生き延びてみようじゃないか。君が生んだ子だから、俺もあの子が可愛いんだ。一人で背負わないでおくれ」
「……うっ、ありがとうございます。どうして私は、旦那様を裏切ってしまったのでしょう。あの時期のことは、頭に靄がかかって。きっと普通じゃなかった」
「それは俺も同じだ。カルダンと言う商人から何本かワインを買って、付け合わせのチョコレートを君と食べて気付いたら、パールが私の、ヒスイが君の愛人になっていたな。
カルダンが時々珍しい菓子を持参し、食べるとまたおかしくなって……。たぶん媚薬の類いかな? ヒスイとパールは間諜だったと言うし」
「弱った心の隙に入られたのですね。お酒と媚薬、そしてお互いに似ている顔の愛人なんて……」
「ああ。でも抗えなかったな、お互いに。輝いた学生の瞬間に戻った気がしていたから」
「紛い物に縋ってしまうなんて…………。私は旦那様を愛しているのに……」
「俺も愛している。そしてもう、昔の傷は一時忘れよう。今の俺はベイスチンで、君はマーベラなんだから」
「……そう、ですね。まずは、お役目を熟すのが先ですね」
「ああ。あがいてみよう。今までの償いだ」
「そうですね。今度こそ、旦那様のお力になれるように」
泣きそうな顔のメルダを抱きしめながら、毎夜眠りに就くミュータルテ。
過ぎし日の後悔を眠る前に話す二人。
日中は私語が出来ないほど、知識を詰め込まれているので、二人の時間は限られている。
目下ミュータルテとメルダは、侯爵邸でクルルとルンデラからラキリウム語を死ぬ気で学んでいるのだ。
たとえ僅かな時間でも、お互いの気持ちを伝え合える余裕が出来たのは慰めになった。彼らの仕事はこれからであり、まだまだ下準備なのだから。
寝室はクルルとルンデラ、パールとヒスイに分かれているが、時々兄妹、姉弟で話ながら眠ることもある。
彼らはツインベッドなので問題はない。
ちなみに、ミュータルテとメルダはダブルベッドだ。
以前に、宰相だったジョルテニアが辞めさせられた件だが…………。
その裏話は馬鹿馬鹿しいものだった。
隣国(と言ってもラキリウム共和国ではない方)の王女が訪れた際、噂ではその王女は王の愛人の子だったが、優秀さ故に認知されたとミュータルテは聞いていた。
同じような立場なら、オーロラの友人になってくれるのではないかと思い、身ぶり手振りで話しかけ、取りあえず握手を求めたミュータルテ。
けれど優秀なその王女は、まさか国王が共通語も話せないとは思わず、無礼な貴族だと手を振り払った。
(私が愛人の子だと思い、侮っているのでしょう。これだから、貴族が幅を利かせる国は嫌いなのよ。この親父もサイアク!)
それに腹を立てて、ミュータルテが彼女の肩を掴んだことが外交問題になったのだ。
本当にトホホな出来事だ。
彼女のいる国も貴族の身分よりも実力が評価される、バラナーゼフ王国とは違う文化圏だった。
◇◇◇
客人としてパールとヒスイ、護衛としてクルルとルンデラを伴って侯爵邸に戻った新ベイスチン達は、「暫く誰にも会いたくないのだ。この意味は分かるだろう?」「私の方もそうよ。甘い時間を誰にも邪魔されたくないの」と、使用人達に強い口調で伝えた。
この会話も、クルル達が耳元で囁き教えてくれたものだ。
契約紋ほどではないが、魔法の契約を交わしている使用人達は即座に頷く。
ベイスチン達に逆らえば、どんな責め苦を負わされることか。下手を打てば難癖をつけて、奴隷にされる可能も拭いきれない。実際過去には、そんな者もいたのだから。
侯爵夫妻の言動は使用人から外部に漏れずとも、噂となって囁かれ続ける。使用人は話さずとも、関わりのある貴族が、取り引きのある商人が、近所に住む隣人が、事実と噂に悪意を混ぜて、楽しい創作話を語り続けていたのだ。
まあそんなことで侯爵夫妻の命令は絶対な為、使用人達は逆らわず、彼らの連れて来た護衛に身の回りのことを託すことになった。
「すいませんね、クルルさん、ルンデラさん。侯爵夫妻の我が儘で、あなた達に負担をかけてしまって。でもまあ、すぐ終了することにはなると思うので。それまでお願いしますね」
家令は侯爵らの恥体を見せられるであろう、彼らが不憫で、特別に給金を上乗せして支払うことにした。
細かな使用人への采配は彼に一任されている。護衛達は短期間であるも、侯爵夫妻の生活全般をサポートすることになる為の心遣いだ。
たぶん侯爵夫妻の蜜月? が終われば、彼らは解雇となるだろうと思っていた。
使用人の思う蜜月とは、侯爵夫妻と客人扱いの愛人(と思われているパールとヒスイ)達のことだ。
「わあ、こんなに大金を。ご厚意に感謝します」
「いえいえ。却って大変な目に合わせてしまって、申し訳ありません」
「そんな……命の危険のない仕事は珍しいので、のんびりさせて貰います」
「命の危険……。そうですね、護衛の方にはきっと、無体なことはなさらないでしょうから」
「無体、ですか? それはどう言う意味……」
「あ、いえ、失言でした。お忘れ下さい」
「はぁ、まあ。聞かなかったことにしますよ」
そんな家令やクルル達を憐れむ者達のお陰で、時間が稼げ、秘密の学習は猛烈な勢いで進んでいく。
元々地頭は良いミュータルテとメルダだから、数か月あれば言葉のマスターは可能だろう。今までと比べ、やる気も違うから。
ちなみにヒスイとパールは変身魔法をかけられ、20代の美形男女となっている。
(少し前に出来た愛人は、もう捨てるのかしら?)
(女の良い時期だけを囲うのにも呆れるが、今度のもエライ別嬪だ。また親か誰かの、借金の代わりなのかもな)
(男の方も何て美しいんだ。俺男は経験ないけど、あの男ならイケると思う!)
(不謹慎だぞ、馬鹿め。侯爵の耳に入ったらどうするつもりだ。死にたいのか?)
(じょ、冗談だから、内緒にしてくれよ)
(ああ、勿論だ。侯爵の機嫌を悪くする愚かな使用人は、この邸にはいない。お前もう、本当に黙れよ)
(ごめんよぉ。見捨てないでくれ!)
(俺に謝るなよ。もう、仕方ないなぁ)
そんな使用人達の奇妙な結束は、恐怖心が絡むせいか不思議なほど固い。
だから多少変装したクルルとルンデラのことも、いつもの我が儘と取られ探られることはなかった。最早洗脳の域で、彼らの存在を怪しむ者はいなかったのだ。
使用人達は二人の護衛に世話を任せ、新ミュータルテと新マーベラは、その後も缶詰状態で学習に励む。
パールとヒスイも共に学習に参加し、ラキリウム語を身に付けていった。
全員がラキリウム語を覚えた後も、パールとヒスイは夫妻に侯爵邸で重用され、護衛達は本採用になった。
それからも使用人達が侯爵達に近付くことは許されず、かと言って支配的な様子もなく、言動も少し優しくなったことで、何となく侯爵邸の雰囲気は柔らかくなっていた。
高級ドレスに身を包み、夜会で目立つことが好きなマーベラは、それに一切興味を示さなくなり、邸に籠ったままだ。
その代わりのように、今まで無関心にしていた子供や孫達に関わっていき、彼らに困惑されていた。けれどそれが気まぐれでなく数か月も続くことで、母親や祖母の心境の変化を感じ取ったのだ。
「もしかしたら、寂しいのかしら? そう言えば両親は、政略結婚だったはず」
「そうよ。だから子供である私達も、道具にしか見られていなかったのよ」
「何か、父上が優しくなったんだ。体調は変わらないか? と、お前達だけでなく俺にまで言ってくるし」
「もしや別人?」
「まさかぁ。あんなにそっくりさん、見つけられないわ」
「魔法はどうだ? 可能性はあるだろ?」
「それはないわ。口調もそうだけど、歯並びまで一緒なのよ。普通に仕事もしているし」
「そうだよなぁ。もしかして死期が近いのか? 良く言うじゃないか、そうなると優しくなるって」
「それあるわ」
「今のお祖父様とお祖母様なら、穏やかで良い感じなのに。死んじゃうなんて嫌よ」
「冗談だよ。使用人達は隠しているが、愛人もいるらしいし、大丈夫だろ」
「愛人かぁ、もう年なのに」
「違うかもよ。ギラギラしてる感じないもの。本当にお客様なんじゃない?」
「女の勘か? そうだと良いけどな」
ベイスチンの長女ベラ(姉)、長女の第一ジャスミン子(第三子までいる)、長男サベージ(弟)のある日の会話である。
ミュータルテとメルダは、まずは身内で会話の練習をしていた。今後の作戦には、家族の協力が必須なので。
入れ替えは疑われておらず、多くなった関わりも嫌がられてはいないようだ。
会話の際もクルルとルンデラが傍にいるので、手助けを受けて、いろんなことに取り組んでいる最中である。
◇◇◇
監禁当日の旧ベイスチンと旧マーベラは…………。
「俺はラキリウム共和国の侯爵だぞ。お前らどうなっても知らんからな!」
「そうよ。私は侯爵夫人で、社交界を仕切っているの。世論を操作して、バラナーゼフ王国なんて、蚊帳の外に弾き出してやるんだから!」
いきなり他国に飛ばされても、勢いの止まらない彼らは、すぐに捜索されるだろうと落ち着いていた。
彼らの行方が分からなければ家令が捜索を依頼し、魔法の残滓から容易に見つかるだろうと。
けれどアンディはその希望を打ち砕く。
「悪いけどそれはないよ。身代わりがいるから、捜索はされない」
「紛い物など、すぐに見破られる!」と叫ぶ、ベイスチンは顔を憤怒に染めた。
「それは無理だ、ベイスチン。アンディの変身魔法は完璧だ。骨格、声帯、虫歯の数まで、全て再現している。気付く者はおらんだろう」
ジョニーは楽しそうに語り、大きな水晶玉(アンディと魔キツネのエルーザで作った特注品)を彼に見せた。
そこには。
ベイスチンとマーベラが水晶に映り、「暫く誰にも会いたくないのだ。この意味は分かるだろう?」「私の方もそうよ。甘い時間を誰にも邪魔されたくないの」と、使用人達に強い口調で伝えているところだった。
「馬鹿な! あいつは飼い主が分からんのか! 戻ったら身ぐるみ剥がして、奴隷に落としてやる!」
「そうよ、そうして! 偽者が私達の部屋に入るなんて、気持ち悪いわ。帰ったら全部取り替えないと!」
この状態を見せても、二人の勢いは衰えなかった。
一応部屋を用意し、アンディの弟子をメイドとして中に入れた。ベイスチンとマーベラは攻撃魔法が使える。それはアンディが観察して、既に確認していた。
彼らは日頃から気に入らないことがあると、使用人達に暴力を振るっていた。ベイスチンは火炎魔法、マーベラが風魔法を。
鬱積が溜まっている彼らは丁度良いとばかりに、監禁されている部屋に来たメイドに、火炎魔法をぶつけた。
「掃除の仕方が悪い! 俺はラキリウム共和国の侯爵だぞ。無礼は許さん! 行けー、バーニングアロー!!!」
笑いながら炎の矢を放つベイスチンだが、数秒後にそのまま炎が彼に戻ってきた。
「ヒィー、火が。早く、早く火を消せ、馬鹿者共!」
アンディのメイドだから、魔法くらい跳ね返す。
「もう、煩いな。自分でやったんじゃん、爺さん。治すのはこれで最後だからね!」
「なっ」
その言葉の後に、魔法で彼の上空へ水をザバァと大量に落とし、おざなりに治癒魔法をかけた。
「このくらいで充分でしょ。後はつばでも付けときなさいよ。邪魔だから退けてよね」
水で濡れた床を、モップで擦って綺麗にしていく。
この部屋は貴族が使うような、豪華な物は置いておらず床も板張りである。それもそのはずで、その部屋は彼らの心を折る為に、使用人達の使う部屋と酷似し作られていたのだ。
絨毯でないことが幸いし、掃除がチャッチャと終わっていく。
屈辱に震えるベイスチンに、「もう面倒かけんなよ、爺さん。今度火傷しても、治してやらないからね」
荒い口調のメイドは、40歳のモニカだ。彼女もまた、35年前にジョニーに保護された孤児だった。だからこの行動も納得だ。彼女だって当時の不安な気持ちを、忘れてはいないのだから。
「生意気なメイドめ。クソッ、我が家の使用人は何をしているんだ。同じ邸に住んでいる嫡男のサベージは、何故気付かん!」
荒れる夫を見て、少しずつ状況が分かって来たマーベラは、恐怖に震えていた。
「もし……偽者が気付かれなかったら、私達はこれからどうなるの? 生国に連絡も出来ず、ここには味方が誰もいないのに」
その苦悩に気付いていないベイスチンは、今はまだ幸せかもしれない。
彼らはこれから毎日、無理矢理水晶玉を見せられる。
そして彼らの偽物が受け入れられ、楽しそうに変わっていく、侯爵家の様子を知ることになるだろう。
そうなれば、誰も彼らを探したりしない。
マーベラだけがそれをうっすらと理解し、顔を蒼くし頭を抱えているのを、ジョニー達は静かに観察していた。
「まあ、一日目はこんなもんだろう。ではよろしく頼むぞモニカ」
「お任せ下さい、ジョニー様。決して逃しはしませんから」
「そんなことは最初から分かっているよ。ご苦労様じゃ」
二人は声を出さずに微笑んだ。
まだまだ復讐は、始まったばかりだ。