PM05:50 「銀腕の男」
事情聴取終了後
署外。緩やかな雨天を併せて夕暮れよりなお暗い闇が街を包む。体感では8℃ぐらいだろうか。
そんな寒い外気の中一人遅れて警察署から出てきた俺は、道路との境にある縁石に縮こまっている人影を見る。
厚手のトレンチコートを着たイザベラだ。
「はい、これ」
隣に座ったジャックがそれとなく受け取ったのは、バンを追っていた時点で着けていた銀色の義手。
今しがたまで着けていたものは黒いマッドカラーのスペア───戦闘用義手は都市内ならば違法は必至。当然検査に引っかかるのも分かっていたから、署に駆け込む前に隠していた。
警察の目と鼻の先で付け替える姿は流石に無用心かもしれないが、実際はそこまで気にする必要はない。
背後の騒がしい動きが理由だ。警察車両が何台もランプとサイレンを轟かせて走り去ってゆく。
警察は勿論、出動を始めていたのはそれだけに留まらず、一見公務とは思い難い軍用車両までが道路を突っきている。
どちらかと言うと俺が浮かべた印象は、それこそPMCなどが保有する独自規格に基づくものに近い。何れの装備や車両にも妙なことに『IMUTHES』というロゴがあった。
「…多いな」
落ち着きの無さの表れか、彼は縁石の上に立ってその様子をじっと見ており、イザベラもゆっくり立ち上がりながら赤い光を目に入れると───そこで、夫の広い胸板に顔を埋める。
不審感の途切れ。共に細い雨に打たれ続ける彼女を慮り、優しく抱きとめて背中を撫でて回る。
辛いのは自分だけじゃない、常にアメリアの側に居たイザベラが一番恐ろしい思いを抱いているに決まっている。
⋯⋯夫としてそれを支える義務があるだろう。
だが、返ってきた言葉は予想とは違った。
「⋯⋯あなた、煙草吸ってる?」
「へ。い、いや⋯⋯」
奇襲を受けた。
埋めていたジャケットからイザベラが顔を上げ、彼の耳元に鋭い囁きが貫かれる。
ふと、彼女が一歩退きながら俺の右手を取って、冷えてしまった細い指先を滑らせる。
「ふ〜ん? あら、人差し指が黄ばんでるね。ふふ⋯⋯」
豆鉄砲を喰らった表情で停止する夫を差し置いて、妻は面白可笑しいと笑っている。
遅れた思考が再起動する。
乾いた溜め息がひとしきり肺から解き放たれた。
表情は穏やかなはずなのに、彼女が見た時にはもう、俺の眼は肝が据わりきってしまっていた。
そこには微笑みすらあったのに。イザベラの瞳が写した先で、草臥れた精密機械そのものに見えてしまった。
「⋯⋯イザベラ、君は帰るべきだ」
俺か彼女か、どちらが先に動いたのかは分からない。
イザベラから見た俺の目とは異なり、俺から見た彼女の瞳は、夕闇の中でも、雨よりも潤んでいることがよく分かっていた。
自然と彼女と唇が重なった。
「全部背負おうとしないでね。
⋯⋯あの子が今ここにいないのは、私達二人の責任」
顔が離れたかと思えば、イザベラの腕はまだ俺の首に回されている。
鼻と鼻がつく距離。瞳を通して互いの心を確かめ、それ以上に言葉にも出来ず、俺たちは覚悟を決めた。
通り掛かるタクシーが彼女の視界の端に入った時点で、イザベラは目を伏したまま、掌をそのまま高く上げて呼び止めた。
ゆっくりと速度を落とす車両が縁石の間近まであたる。
俺が後部座席のドアを開ける。彼女はバッグを携え、腰をシートに下ろして線の細い脚を仕舞う───「サウスピアまで。ウォーターフロントの…ホテル・ハーバーライトに」───彼女の指定、それに老運転手が簡素な返事を返した。
座席のドアを閉めようとする前に彼女は一度だけ抗って、間から芯の通った声を俺に投げかける。
その眼はもう赤くはない、潤んでもいない。
やるべきことをやる為に、後を任せるのだと語っている。
「定期的に電話して。私の方でも出来ることがあるなら調べてみる」
「ああ」
イザベラが最後に見せた歯を見せる微笑み。あれが昔から変わらない俺という男の原点。
電気自動車の静かな発進は余韻を残し辛いが、テールランプの残光が明示的に二人の距離を露わにする。
⋯⋯あの笑顔に何度救われたことか、分かったものではない。昔、何の為に〝煙草は吸わない〟と言い切ったのかを思い出した。
(もう辞めよう⋯⋯今回限りで)
都市内に響くサイレンの音は、仰いだ先から降り注ぐ雨の音さえかき消して、鼓膜を震わせ訴える。警察署内の駐車場の中、孤独に一台だけ取り残されていた自分のバイクに跨る。
燃料タンクの上に置かれていたヘッドギア。ブロンドの髪をくしゃくしゃにして、乱暴に自分自身を変容させてゆく。
緑色の起動点滅が鼓動を打つ度に、胸の中では何かが削れる音がしていた。
それでもサドルバッグにはまだ、
アメリアに渡すべきプレゼントが残っている。
それが、今持てる限りの父の証明だ。
《インターフェース、起動》




