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PM03:50 「家族旅行の終わり」side: Jack

 雨空の下、ネオクラシックなバイクを爆走させていたのは、勿論「やんごとなき」事情があったからだ。

 慌てて被ったヘッドギアを一瞬のうちに濡らしてゆく。速度も相まって雨が破裂するような音を立てるが、それ以上に自分の呼吸がうるさい。


《速度 96km/h》


 酷く胸が締めつけられていた。それも「やんごとなき」事情からだ。今日は愛する妻と娘との、長く待ち望んだ旅行のはずだった。


 だが、俺の傍に娘はいなかった。



「イザベラ、黒のバンだ!」


『ライセンスは⁉︎』


「RC──クソッ、外しやがった⋯⋯!」


『ああもう⋯⋯! トラッカー付けられる⁉︎』



 車の行き交う道路の中。追っているバンは、まるで最初からその構造を備えていたかのようだった。人の手も触れずナンバープレートを射出。顔面に向けて飛んできたそれを左の腕で弾く。


 黒いナイロンの破けたあたりから、この腕の銀鉄が垣間見える。


 直進中。大通りへと飛び出したバンが、濡れるコンクリート上にタイヤ痕を残して左急カーブ。



「ちっ!」


 〝左腕〟の拳に応えるようにエンジン音が吼えた。即座にアクセルを緩め、車体を事故に至る手前まで傾けると、硬い拳がアンカーとなって地面を擦り刻む。


 散らされる火花。黒いナイロンがみるみるうちに剥がされる。

 歯を食いしばって地響きのような振動に抗ううち、ついには腕全体のカバーを巻き込んで、銀腕は完全に剥き出しになった。


 肩が軋む。関節が着実に砕けてゆく。

 だがこんなところで諦めるなど、到底できはしない。


 引き摺る拳を一瞬にして腰まで引き上げ、コンクリートを勢いよく叩きつける。その反動がバイクの傾きを打ち消し、車体は弾かれたように起き上がった。

 強引なドリフトの所為で肉体への負担は目が眩むほど大きい。それでも、止まれない。


 ネオンサインの残光、商店屋上から伸びる蒸気を孕む都市内にて。灰色の中で揺れる視界が車の群れの中で、僅かな間見失ったバンを見つけた。



「そこか!」


 速やかなクラッチアクションによって、義手の射程範囲十数メートルの距離を維持する。掌底を照準して、手首関節の内部から小さな機構が展開する。

 手振れが最小となるその好機を狙い、トラッカー弾を発射。失われたナンバープレートの部位に突起が穿ち、根を張るように固定された。

 ヘッドギア内部にマーキング表示が現れ、正常機能を確認。


 ただ、それはあくまで保険でしかない。ここで奪い返すと歯をむき出しにし、暗窓の影を娘に見立てる。距離を維持する以上にバン左手の運転席まで並走して犯人を見据える、が。


 窓ガラスを割る勢いの猛反撃、粉々になったガラス片の間で一瞬見えたSMG。その乱射がヘッドギアを掠め、義手を跳ね、弾丸の嵐として襲ってくる。


 ギアが嵐のようなノイズを発生させるのに伴って、突発的に速度を落とす。絶えず続く銃撃は他の車両で遮蔽して、交通の網目を掻い潜りながら動くしかないだろう。



『ジャック!』


「大丈夫だ! 平気だ! 奴ら、完全に武装しているが!」


『駄目、やめて!』



 大通りの只中。イザベラの叫びに、咄嗟にブレーキをかけて踏み止まる。


 こめかみが締め上げられるような感覚と血の気の引きを覚え、やっと冷静さを欠いていたことを自覚した。銃器を持っている相手を追うのは悪手に決まってる。まして娘がその背後にいる時点で、なおさらの事だった。


 呆然と立ち尽くした場の先にもうバンは見えない。彼女の声に耳を貸さなければまだ見えていたのか、それすらももう分かりはしない。


 ただ懐に持っていた娘のパーカーが、父親の無力を呪うようにあった。


 辺りの異変に気づけば、混乱が招かれた道路には路灯や消火栓に激突した車がいくつかある。そこでようやく自分の感覚で完結していた焦燥が、外の空間に解けていった。

 その惨劇こそ、自分が引き起こした多大な事故でもあったから。



「────アメリア。アメリア⋯⋯」


 どこもかしこも灰色。カナダからアメリカに渡り、帰路の半ばに訪れたこの街、レインシティはいつも雨が降っていた。

 空が今の心情だと格好つけるつもりはない。そういう風に喩えられるほど、この雨が悪いわけでもない。


 未だ繋がる通話先の声が霞んで聞こえた。

 今回の一件は、いつもの傭兵稼業とは全く関係ない私事だ。


 だって今日は、家族旅行だったから。



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