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その二

 

 信号を無視して突っ走った車は少し先にあった雑貨店のウインドウに激突して止まっていた。

 一人、倒れたまま動けなくなっていた人がいて、救急車で運ばれていった。


 特に膝が痛かったが、ほぼ全身に痛みを感じながら、道路に散乱した買い物の残骸をできるだけ集め、私はともかくも家に帰ることにした。


 ボロボロの気分でドアを開けた。

 エコバッグの中は割れたタマゴでぬるぬるだ。

「ただいま……」


「遅かったわね。早く卵こっちへ持ってきて」

 台所から母の声がした。

「え?今日、使うんだったの?」

「だから、買いに行ってもらったんじゃない」


 私はよろよろと台所へ向かった。家は3LDKだから、大した距離ではないのだが、膝が傷んだ。


「生き残ったのは二個だけど、足りる?」

 LDKの入り口で言った。

「生き残ったのは二個?」

 ようやく母がこちらを向いた。

 私はダイニングテーブルの椅子にどっかりと腰をおろした。

「あわや車に轢かれるところだったんだから!」

「ええっ?道でコケたの?」


 どうして最初にそうくるのか。その可能性が高いとしても、なぜ、まずは「どこで?」とか、「怪我は?」ではないのか。

 全くもって母が言った通りだが、素直に認めたくはない。


「救急車で運ばれた人もいたよ」

「怖いわねぇ。どこで?」

 ようやく場所がきた。

「県道。信号が青になったからあの横断歩道をわたろうとしたら、車がつっこんできてさ」

 さすがに母の顔色が変わった。

「運がよかったのねぇ」

 そうくるのか。


 靴が動かなかったなんて、口が裂けても言えない。信じてもらえるわけがない。


「そうだね……卵、買い直してくる」

 どうにも嬉しくない会話になりそうなので、私は逃げることにした。


「おや、自分から言い出すなんて珍しい。もういいわよ。お母さんが買ってくるから。あんたはぶつけた箇所を冷やしておきなさい」

 母は冷凍庫から、いざというときのために常にストックしている大きめの保冷剤をいくつも出してきた。元看護師だから、準備も対応も的確だ。


 保冷剤を手に部屋に戻ってスウェットに着替えた。膝には早くも内出血の色が出ていた。

 掌も痛い。保冷剤を手で持っているのが手も冷やせて一石二鳥だ。

 明日には二の腕に筋肉痛が起こっていそうだ。

 保冷剤を当てて膝を冷やしながら、なんとも割りきれない気持ちでいた。打ち身ですんだのだから、喜ばないといけないんだろうけども、どうにもスッキリしない。


 しばらくして玄関のドアが開いた。直後に聞こえたのは母の笑い声だった。

「車が突っ込んでくる前に道でコケてたんだって?佐々木さんから聞いたわよ。うぷぷっ……何が幸いするかわからないわね~」


「くそっ!」と、思わず下品な言葉が口をついて出た。

 よりによって、喋らないと死ぬとでも思っていそうな、超おしゃべりの2件隣に住んでる佐々木のおばさんに一部始終を見られてたなんて!



 その夜、またあのテニスラケットの刺繍が入ったスニーカーが巨大化して夢に出てきた。(長ったらしいので、以後は「テニラケスニーカー」と呼ぶことにする)

 例によって白とグレーのラバーソウルを私に向けた。

「感謝してよね。助けてあげたんだから」

 それが第一声だった。


「感謝?」

 私はむっとした。

「いきなり靴が動かないから、ひどいこけ方したじゃない!もう少しで顔をアスファルトに打ちつけるところだったんだから!あちこちに痣ができてるよ!他にやりようなかったの?」

「ない」


 即座に返ってきたあっさり、きっぱりした短い答えに私は夢の中でがっくりと力が抜けた。


「だって、あんたに話しかけられるのは寝ている間だけなんだから。起きてる間はあたしがどんなに話しかけたって気づかない」

「声が小さいってこと?」

「違~う。あんたには聞こえないの。ただそれだけ」


 それだけとは、説明になっていない。ますます納得いかない。


「とにかく!二度と突然靴が動かなくなるなんてことは止めてよね!」


 私のきつい言葉の調子にも靴裏を見せたままの靴は微動だにしなかった。


 その様子に靴を相手に怒っている自分がむなしくなってきた。

 履かなければいいんだと思った。



 大晦日は家に籠り、元旦は家族で近くの小さな神社へ初詣に出掛けたが、その時はテニラケスニーカーを下駄箱にしまい、黒のアンクルブーツを履いて出掛けた。

 二日は出掛けず、家でぐうたらに過ごした。最近のお正月のルーチンだ。


 以前は年末年始を祖母の家で過ごしたものだが、高ニの夏に祖母が亡くなってからは家での寝正月である。


 そういえば、テニラケスニーカー、買ってもらって迎えた初めてのお正月は、祖母の家にも履いていったっけ……


 当時のことを思い出し、ほんの少ししんみりした。


 ぐうたらしている間に靴が動かずに転倒してうけた打撲もほぼ治った。

 だが、二日の夜の夢には巨大化したテニラケスニーカーが出てきた。


 いつものようにラバーソウルを見せつけてテニラケスニーカーは言った。

「明日はあたしを履いてね。良いことあるから!」


 目覚めて私が思ったことは、もちろん「テニラケスニーカーを履いたら良いことがある?信じられるか!」である。


 三日は小学校からの友人、馨子(きょうこ)瑠莉(るり)と二駅離れたところにある大きな神社へ初詣に行く約束をしていた。祖母の家に行かなくなってからの新年の恒例行事だ。

 瑠莉は変わらず近所に住んでいるので、時々会っているが、馨子は県外の大学に入って独り暮らしをしているから、会うのは夏休み以来だ。

 大きな神社への初詣から三人だけの同窓会的な外食をする予定である。


 年に数度しかない幼馴染みとの再会、しかも大きな神社への参拝。それなりにお洒落するつもりだ。

 シーズン始めに一目惚れして思いきって買ったセーターに、寒いからボトムはパンツとして、靴はもちろんアンクルブーツ。スニーカーなんて履く気はない。

 あんな夢、無視!


 さあ出掛けようとしたら、玄関の三和土のど真ん中にあのテニラケスニーカーがあった。


 確か、元旦にアンクルブーツを下駄箱から出して、代わりにテニラケスニーカーを入れてからそのままにしてたはずだけど……


 三和土に出したままだったはずのアンクルブーツは見当たらない。


 私は首を傾げながら、アンクルブーツを下駄箱から出して代わりにテニラケスニーカーを下駄箱にしまおうとした。

 するとなんということか、テニラケスニーカーが逃げた!動いた!横に。


 私は呆然として、テニラケスニーカーに手を延ばした状態で固まってしまった。

 はっと我に返り、改めてテニラケスニーカーに手を延ばした。

 するとまた動いて、ちょうどそこに置いていた、履くつもりのアンクルブーツの上にのっかった。


 こいつ~!!!


 アンクルブーツからテニラケスニーカーをのけようとしたら、ブーツを蹴倒してテニラケスニーカーは私の手を飛び越えて反対側へ降りた。もとい、落ちた。


「こら、往生際が悪い!」


 こうなったら、意地である。

 なんとしても捕まえて下駄箱に入れてやるという意気込みで、私は玄関の三和土部分を動き回るテニラケスニーカーを追いかけ続けた。

 腹立たしいことにテニラケスニーカーは左右ともに私を嘲笑うようにスルリと手を逃れる。


 気がついたら、私は肩で息をしていた。

 どうして正月の三日に靴相手に玄関で息を切らさないといけないのか。理不尽なことこの上ない。

 私はテニラケスニーカーを捕まえるのを止めて上がり框に座り込んだ。


 起きている間は声が聞こえないからって、これはないよ……


 しかしここで折れるのも悔しい。


 そうだ。テニラケスニーカーを下駄箱にしまう必要ないじゃないか。


 やっと私は気づいた。

 母にその日履くつもりのない靴は仕舞うように言われているが、スペースがないわけではない。


 さっさとアンクルブーツを履いて出掛ければいいんだ。


 無駄に時間とエネルギーを消費したなと、私はテニラケスニーカーに倒されたアンクルブーツに手を延ばした。……が、掴んだのはテニラケスニーカーだった。


 どうして???


 驚きと苛立ちと腹立たしさで、私はテニラケスニーカーを後ろに放り投げた。

 直後にゴンと頭に何かが落ちてきた。

「痛っっ!!」

 頭をさすりながら床に転がったのを見たら、後ろへ放り投げたはずのテニラケスニーカーだった。


 早めに出かけるつもりが、気がつけばもう待ち合わせに間に合うかどうか、ギリギリの時間になっていた。


 とんでもないものに取り憑かれた……


 寒気がした。


 力尽きた。


 根負けした。


 小学校からの友人だから、ま、いいか……


 良いことあるからという、夢の中のテニラケスニーカーの言葉も浮かんでいた。


 信じてみようか……


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