きみを愛することはできるが抱くことはできない
「……なんですって……?」
「!間違えた違う…ッ俺は、…きみを愛している…ッ…だが、…抱くことはできない…ーーだから!」
「…」
「……抱いてくれ……ッ!」
わたくしはくり返した。
「……なんですって……?」
わたくしはアンジェリカ・ブラッセン。
ステイシア王国騎士団団長を父に待つブラッセン公爵家の嫡女。
目の前にいるのは本日夫となったキトラさま。
わたくしたちの婚約が結ばれたのは今から五年前、わたくしが十三、キトラさまが二十歳のころ。
少々婚約が遅くなったのはお父さまのお眼鏡にかなう男性がいなかったせいで、もちろん政略。
キトラさまのご実家であるパニシュ伯爵家の財政難に目をつけ、騎士として大変優秀なキトラさまを囲うため我が家から援助と引き換えに持ちかけた話は、申し訳ないと思うほどとんとん拍子で進みわたくしたちの縁は結ばれた。
キトラさまは騎士としての立派な体躯も見事だけれど見目もたいそううつくしい。
輝く星空のような銀髪に、夜明けの海のような碧い瞳。ステイシアの銀狼だとか銀獅子だとか銀龍だとか、統一されない異名を待つほどの剣の腕前。
そんなお方がわたくしに膝をつき、騎士の誓いを立ててくださったときは子どもながらにときめいたわ。
然程多くは会えなかったものの、お会いしたときは必ず贈りものと終始笑顔で子どものわたくしにつき合ってくれた。
それからすぐ隣国との長年の小競り合いから発展した戦が始まり、お父さまもキトラさまも出陣することになった。わたくしが編んだ勝利と無事の帰還の祈りを込めた組紐を手渡すととても喜んでくれて、結んでほしいと乞われるまま、震える指を動かして。
結び終わったとき、堪えていた涙がぽとりとそれに落ちた。
我慢していたのにだめだったの。子どもだったからと言い訳をするけれど。
キトラさまは必ず帰ってくると、勇気を与えてくれるようなやさしい笑顔でそっとわたくしを抱きしめ、隊列に紛れていった。
戦が終結したのは半年前。勝利したのは我が国。
国中が歓喜に湧き、わたくしもお母さまと抱き合い泣いた。もう子どもではなかったけれど、安心したので。
ハッキリ言ってそれからは生存本能の為す技か、怒涛のように結婚式が組まれ国じゅうの教会が予定で埋まったわ。
おなじように待ち侘びていたひとは大勢いたのよ。
わたくしも例に漏れず、むしろコネと権力を使い王都にある正教会で希望通りの日にちを押さえた。
ちょうど婚約を結んだ日とおなじ、わたくしたちが出会った日。
もちろん一方的に決めたわけではないわ。
終結間際と情報を得てから手紙のやり取りもしやすくなって、意思疎通を重ねた結果戻り次第結婚式を挙げようとふたりで決めたこと。
諸々の処理を済ませ、誇るべき勇敢なステイシアの騎士たちが戻ってきたのは一月まえ。
凱旋パレードを遠くから眺め、その夜の祝賀会で凡そ五年振りにキトラさまと再会した。
『……アンジェリカ嬢……ッ!!』
いっそう精悍な顔つきに変わり、けれどまぶしいほどの笑顔はあのころのまま。
抱き込まれた腕のなかは、相変わらず大きかったわ。
わたくしをすぐ見つけてくれた、愛しい婚約者さま。
耳もとで会いたかったとささやき、見下ろしたあとの熱に揺らめくまなざし。
わたくしはとっくに恋に落ちていたのだと知った。
ドレスはこちらで用意したーー元々そのつもりだったので問題はないーーけれど、身につけるジュエリーはすべてキトラさまが選んでくれたもの。
いつ戻れるかわからなかったけど結婚式につけてほしいから用意していた、と言われたときには胸がきゅんきゅんして大変だったわ。
だってそのときからすでにわたくしとの未来を当然のものとして考えていてくれたってことじゃない?
そしてわたくしの元へ必ず帰ると決めていたということじゃない?
なんて素敵な旦那さまなのと、手紙にも書かれていなかったサプライズに思わず涙が零れたわ。
照れたようにはにかみながら抱きしめてくれたやさしい腕のなかで、既製品でかまわないから贈ってくれないかしらと内心思っていたものだからそりゃあ感動もひとしおよ、内緒だけれど。
わたくし自身で用意していたジュエリーがあるということも、内緒にしておきましょう。
そうしてまぁまぁ強行スケジュールだったけれども予定通りわたくしたちは結婚した。
キトラさまは真っ白な騎士の正装姿。見惚れてしまうほど素敵だったわ。
誓いの言葉と、初めてのくちづけ。
わたくしの涙をぬぐってくれたやさしい指さき。
『愛してる、……アンジェ』
あまいささやきと、呼ばれた名前。
わたくしは間違えようのない幸福に包まれながら、もう一度瞼を閉じたの。
ーー今思えば。
そのときがしあわせの絶頂だったのかしら。といっても、つい何時間か前のことだけれど。
いいえ今でもしあわせだと思う気持ちは変わらないのだけれどーーと、夫婦の寝室で立ち尽くすキトラさまを見つめながら過去へと遡っていた。
「…」
さて。
キトラさまは抱いてくれ、と言った。愛しているが、抱けない。ーー抱いてくれ、と。
その意味を考えてみる。わたくしは初心ではないので、知識はある。学んだので。
あらゆる艶本を家の者に用意させ、時には座学まで受けた。主に侍女たちから。
なので。
キトラさまの言うその言葉の意味は恐らくーー。
「……張型を、ご用意すればよろしいのですか?」
それならば持っている。教材、として。
もちろん実践したことはないけれど潤滑剤もある。
わたくしは貪欲なまでに知識を得た。なので侍女たちが黒薔薇系、と言っていた、いわゆる男性同士の閨事についてもほぼ満点に近いほどの成績を収めていると自負している。
まぁ正直かなりの衝撃を受けているし動揺も計り知れないけれど愛するお方の望みならと、人差し指を口もとにあて思案しながら首をかしげるとキトラさまの表情が絶望に染まった。アラ?
「ーーな、ち、違う…っ!」
「?ではどういう意味ですの?」
「そ、れは、…」
キトラさまは途端に濡れネズミのようにしょぼくれて肩を落とし、顔色は青くなったり赤くなったりをくり返している。
お口をパクパクとしているけれど無言が続くので埒が開かないと、わたくしはキトラさまの手を取り寝台までエスコートをする。
素直に従うキトラさま。かわいらしいわ。
初めて見る仕草や表情が新鮮でまじまじと見つめてしまうわたくし。
ステイシアの銀狼その他の異名を持つ王国きっての騎士であるキトラさま。
誰よりも勇猛果敢に戦場を駆け回り、味方を救い敵を屠るその姿は敵味方問わず畏怖を抱かせ羨望の的ですらあったというキトラさま。
わたくしの愛しい愛しい旦那さま。
「キトラさま」
「…アンジェ」
「わたくしたちは夫婦となったのですよ?夫と妻、家族、唯一の伴侶に。そしてここはキトラさまとわたくし、ふたりだけの場所ですわ。
どんな秘密も隠しごとも、…企みだって、それを知っているのはわたくしたちだけ…」
頰に手を添えると、碧い瞳がわたくしを見つめ返してくれる。揺れるその瞳のなかにあるわたくしへの想いは疑うべくもない。重なる手のあたたかさ。
愛おしさで胸がいっぱいになって自然に笑みがこぼれてしまうこと、キトラさまもわかっているでしょう?
「愛しています、わたくしの旦那さま。わたくしだけの、キトラさま」
「…っ俺も愛している…!…俺だけのアンジェ…きみを、誰よりも」
わたくしは笑みを深めて近づき、耳もとであまくあまくささやいた。
「……抱いてくれ、とはどういう意味か。……さっさと仰って?」
わたくしが容赦ないということは、これからわかっていただきましょう。
少しの時間をかけて白状させたキトラさまのお話をまとめれば、ただ失敗しないか不安だったというひとことに尽きる。
紛らわしいわよね。まぁそんなところもかわいいからいいのだけれど。
なのでわたくしにリードしてほしかったらしいわ。
全幅の信頼をおいてくださるのはうれしいのだけれどわたくしも知識があるだけで未経験なのはキトラさまとおなじなのにと思っていたら、わたくしと侍女たちとの講義をうっかり聞いてしまったのだとか。
そういえば式が近づくにつれ講義にも熱が入る毎日でもあったわ。
傷つけないかと恐怖まで抱き始めていたキトラさまは、逆にわたくしに任せていれば安心かもしれないと思ったそう。
けれどいざーーとなるとやはり緊張して冒頭の抱いて宣言へつながった、と。でも、
「……お式でのくちづけはとても素敵でしたわ」
「っ、それは、……アンジェがあまりにもかわいかったから……」
「ふふ」
経験に勝るものはない、ということなのね。
「キトラさま」
名前を呼んで、そっとくちびるに触れる。
大きく見開いているうつくしい瞳を見つめながら、もう一度。
「はしたないお話を聞かせてしまってごめんなさい。でも、……そんなわたくしはいや……?」
「…そんなこと、絶対にない。どんなきみでも愛してる。知ってるだろ、…アンジェリカ」
そう言って、わたくしの髪を耳にかけてくれるキトラさま。
一瞬で空気を変えたこと、どんな表情をしているか、ご自分で気づいているのかしら。
わたくしの心臓がどうにかなってしまいそうなことも。
「…わたくしたちはこれから、知らないことを知っていきましょう。どんなことも、ふたりで一緒に。
愛し合う行為とは尊いものであり決して恐れたり傷つけ合う行為ではないとわたくしが教えるから、…キトラさまもそうだと証明して」
知識は経験に勝るものではないかもしれないけれど、きっと期待に、応えてみせるわ。
ーーその夜キトラさまに新たな異名がついたのはわたくしたちだけの秘密。
END.
読んでくださりありがとうございます。
R15で大丈夫ですよね?




