第42話「生きている限り」
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────アドワーズ皇国復興から七年。
フロレントは極めて異例ではあったが、他に擁立する血縁者もおらず女皇帝となり、世界的にも有名な人物として今はよく知られる。
そして今日は────。
「お誕生日、おめでとうございます! フロレント様!」
各国から人を招いての大規模な誕生日パーティ。盛大な拍手と共に迎えられたが、フロレントは愛想笑いをするだけだ。毎年のように行われるのはゴグマの提案によるもので、各国との連携を強めていく上で、年に一度は大勢が集まる場を作るべきだと言われての仕方ない開催だった。
当然、そこには大きな思惑がある。必ずフロレントの傍に立って大勢の貴族や商人たちを見定める役割を担う者がいた。
「……のう、フロレント。今年は二人ほど阿呆が混じっておるぞ」
「あなたの能力を嘘だと思ってる人たち?」
「ああ。馬鹿めが、俺様の事を魔族だと分かっていながら謀とはのう」
七年も経つというのに、未だに魔族の持つ特別な能力について疑わしく考える者が後を絶たない。ましてやフロレントに対しての敬意すら抱かず、利用価値があると胸に秘めた邪悪を運んでやって来る。
これからの皇都に相応しい人間であるかどうか、見極めるのはヤオヒメの仕事だ。ずっと遠い未来までを守ると新たに契約を交わしたから。
パーティが終われば、ハシスたちのような限られた人間だけを集めた小さな会合を開く。といっても殆どは歓談で終わり、今後に関わる会話は個々が『そんな無粋な事は避けておいた方がいい』とあえて口にしなかった。
もちろん、そこにエスタが番犬の如く厳しい目を向けていたからだが。
「ところでフロレント殿は、結婚はされないのですかな」
ふと何人かが「おお、そうだそうだ」と興味津々に尋ねる。もう二十五歳にもなるのに浮いた話ひとつ聞こえてこないので、世継ぎはどうするのかと誰もが気になっていた。
その理由としては、アドワーズ皇国の正当な血筋を持つのが彼女だけだからだ。まったく関係のない人間を皇帝の地位に就かせるわけにもいかないだろう、と。何しろ魔族の殆どが彼女のために集まっているからに他ならない。いくら選び抜かれた人材だとしても眼鏡に適うかと言われれば不安しかなかった。
「あはは……。そういった話は考えていませんね。復興も進んだので、色々と考えねばならない時期だとは分かっているのですが……」
ちらと横目に見たエスタがとても不満げな表情をしている。
「私自身、いつまで皇国を守っていけるかは分かりませんが、まだやりたい事もたくさんありますので。そのために尽力していけたらと思います」
「……安心されよ。契約者の死後も私たちが必ず守り抜くと約束する」
まったく手放す気のないエスタは、フロレントの死後であろうとも誰かが玉座に腰掛けるなど考えられなかったし、座らせるつもりもない。その代わり何があっても皇国がこれまで通り平和であれるように魔族の統制も取る強い意志があった。
そうなるともう付け入る隙もない。ぜひ我が子と、などと考えていた者たちも言葉を濁して笑いを浮かべてすごすごと引き下がる。
「いやあ相変わらずだな、エスタ殿」
「ハシスこそ。他の連中とは違って貴公は一歩も退かぬ」
「もう慣れたものだからね。初めて会った時ほどの緊張は」
「残念だ。それでケルムトはどうしてる、元気か」
「ああ、ご子息が仕事を継いでから肩の荷が下りたみたいで」
「来月にはゴグマが座長を務めるサーカスが始まるんだ」
エスタがチケットを懐から数枚取って手渡す。
「良ければ見に来てやってほしい。あいつも喜ぶ」
「良いのかい、たくさん貰ってしまって」
驚く表情にフロレントもニコニコして返す。
「子供が産まれたんですってね。そのお祝いだと思ってほしいわ」
「あ……はは、もう知ってたなんて。ありがとう、フロレント殿」
数年前にハシスも妻を迎え、それからは幸せな日々だと聞いてはいた。同盟を結んだ各国との連携を強めるために各地へ『守護者』と名付けた魔族たちから定期連絡を受けており、ルバルスに配属された魔族数名が『ハシス陛下に子供が産まれました!』と、なぜか本人たちより盛りあがった様子で報告に来たのだ。
「ぜひまた落ち着いたら我が国へ観光にでも来てくれ。エスタ殿にヤオヒメ殿、他の皆も連れてね。子供が産まれたのもあって盛大な祭りを開こうと思っているんだ。日程が決まったら知らせよう」
まだまだ忙しいアドワーズ皇国ではあるが、フロレントも目をきらきら輝かせて童心に戻ったように彼の手を取ってぶんぶん振った。
「それは楽しみだわ! ね、エスタ!」
「ああ、もちろん。ルバルスは何度行ってもまだ飽きぬ」
七年の間にエスタも仕事の都合上、何度か足を運んでは観光を楽しんで帰ったが、その度に知らない景色を見て、知らない文化を知って、様々な知識を身に付けるのが面白くて仕方がなかった。
「帰ってきたらいつも喜々として話してるものね」
「フッ。そなたなら分かるだろ、覚えたての知識は披露したいものだ」
笑い合う二人を見て、ハシスは自分のグラスに残った酒をぐいっと飲み干してテーブルに置き、「そろそろ私も部屋に戻るよ」と、肩をぐるっとして疲れた表情を浮かべてみせた。
「長旅だったものね。ゆっくり休んで、また明日」
「ありがとう、ではまた」
広い部屋にはぽつんと二人が残される。誰の目もなくなって、フロレントは思いっきり伸びをして、小さなあくびで目に涙を浮かべた。
「お疲れ様、契約者。今日の予定はこれで全て済んだぞ」
「いつもありがと。あなたも疲れたでしょう」
「私は平気だよ。……だが少し夜風に当たりたい気分だな」
「そ。じゃあテラスに出ましょ、私もそんな気分」
涼しい風に当たりながら二人でグラスを持って、遠くに見える町の景色を眺めた。まだ明るく活気の残った夜の風景は、どこか温かかった。
「……もうあれから七年も経ったのか」
「驚くほど平和になったわよね。反発もなくて」
「ああ。魔族も大勢が受け入れてくれた」
最初こそ互いに剣呑な雰囲気は漂っていたが、徐々に空気は良い方向へ流れていき、今では人間を愛する魔族の方が多い。のちにフロレントが組織した『守護者』と呼ばれる魔族たちの集団も、なんらかの異常などで現れる魔物などの討伐に尽力して人々を守ってくれている。
それでもエスタはひとつの懸念を抱き続けた。
「なあ、契約者よ。世界はいつも不変ではない。そなたが生きている限り、いや、私が生きている限りは、私もまた『守護者』で在り続けよう」
「どうしたの、改まっちゃって?」
ふっと笑ったフロレントに、エスタは真剣な表情のまま遠くを眺めて────。
「世界には突如として天才が現れる。時代を変えてしまう程の力の流れを持つ者を誰もが、あるいは本人でさえ凡夫であると錯覚しながら、気付けば波に呑まれていく。……とても強い気配がするんだ、この皇都の中に」
錯覚であればいい。夢であるならそれでいい。だが、現実はそうではない。もっと厳しく恐ろしい。ずっと静かに黙っていたかと思えば突然唸り声をあげて襲い掛かって来る。脅威となる前に、何かしらの手を打ちたかった。
「それでもあなたたちが私の味方でいてくれるなら構わないわ。ゴーレムを倒したときのように皆で力を合わせて乗り越えて行けばいい。私たちにはそれができるって、自分たちで証明したでしょう?」
エスタは少し目を見開いて、それからくすっと笑った。
「……ああ、そうだな。そなたの言う通りかもしれない」
魔王ともあろうものが臆病風に吹かれたか、と自身も年老いて来たのかもしれないと思って、少し情けなくなった。
「ところで。例の施設って、今人気なんでしょ。これから暇だったら、まだ眠るのにも早いから少し行ってみたいんだけれど。なんだっけ、名前……」
争いごとの好きな魔族の本質を変えるのは難しい。加えて『守護者』を組織するにあたって、ただ流れに身を任せて配置するだけでは意味がないから、とシャクラとヤオヒメの提案もあり、フロレントも同意した施設。
多くの魔族たちの強さを底上げするのにとても役立ち、数年の間で多少のトラブルはありつつもエスタの存在の手前、今のところ問題はほぼなく機能している場所。
「うむ。────試合でも見に行こうか、闘技場へ」




