第37話「壊されたくなかったから」
とてつもなく大きな魔力を、たった小さな一個のリンゴに凝縮して喰らって完全に吸収する。見目に変化はなくともフロレントでさえハッキリ分かった。────彼こそが今この場で最強の存在だと。
「な、なぜだ……。なぜなのだ、ゴグマ・ファリ! それならば君こそ私の崇高な目的が理解できるはずだろう!? なのに、なぜ人間に手を貸す、あれほど脆弱で餌として以外の価値もないような生物に肩入れする!?」
ちっちっ、と指を振って可笑しそうに腰に手を当てて彼は露骨な嘲笑を送った。マンセマットの計画など最初から爪の先ほども興味がない。
「ワタクシは自分が愉しければそれでいい。アナタの、その蛇のような狡猾さ。猛禽が如き強かさ。どれも評価はして差し上げましょう。しかしワタクシの価値観とは合わない。それだけの事ですよ」
空に投げたボールがぽんっと破裂して風船に変わり飛んでいく。
「見て下さい、あの色彩豊かな風船の数々。それだけではありません。このメイクひとつとっても、全ては人間が創造物なんですよォ? それを壊すなんて、ああ、そんな勿体ない事がワタクシにできましょうか!」
わざとらしく、大げさに。身振り手振りに話しながら、そのうち自分の体を抱きしめてピタッと動きを止め、マンセマットへの侮蔑を露わにする。
「……それに。ワタクシが最も気に入らない事がある。それはアナタが自身の強さではなく、下らないオモチャで支配者の椅子を手に入れようとしている事だ。実力でねじ伏せられず、ましてや人間の遺体に頼るゥゥ~~~!?」
マンセマットの顔が大きな手に捕まった。瞬きをする間もない。
「ぐああっ……! あ、頭が割れる……!」
「そのつもりで絞めあげてますからねえ。ああ、でも」
軽く地面に放り投げ、マンセマットのマスクを無理やりに外す。
「隠したままの卑怯者の素顔を見せてあげましょ」
全員が驚かされた。マンセマットのマスクが外れて露わになった白銀の髪と薄青の瞳は、まさしくアドワーズの血統を示す外見だ。フロレントも言葉が出て来ず、口をぱくぱくさせるだけ。
「く、くそっ……、マスクを返せ!」
「駄目ですよォ。ほら、きちんと言いなさいな」
胸を蹴りつけ、そのまま踏んで動きを封じてけらけら笑う。
「自分は弱すぎて何の力もなかった矮小な魔族なので、アドワーズの血統の遺体を遣って体裁だけは保った軟弱者ですって、ほらほら自己紹介して!」
「や。やめろ、魔核が壊れる……!」
必死の抵抗も虚しくマンセマットがいくらもがいてみても身動きは取れず、呪術もゴグマには一切通用しない。踏み砕かれそうな状態を維持された。
「フロレント、どうされたいですか?」
「えっ、私?」
突然声を掛けられて自分を指差すと彼は小さく頷く。
「だってコレがアナタの追いかけて来た仇なんでしょう。ワタクシがトドメを刺してあげてもよろしいのですが、念のためお尋ねはしておきませんと。────自分の手を汚すか、それともここで引き下がるか」
全ての元凶。帝国を徐々に支配し、操ってアドワーズ皇国を滅ぼした魔族。脳裏に温かい両親の笑顔が、親しい友人たちの声が、従者たちの忙しそうな姿が思い起こされる。今日のためにどれほどの命が奪われてきたのか。無辜の民が、どれだけの血と涙を流して倒れたのか。胸が張り裂けそうな気分にされた。
「……私、ずっとこの日のために戦ってきた。何度も叫びたくなったし、何度も泣きたかったし、笑える日なんて来ないかもって不安の毎日だった。絶対に許さないって今でも思ってる。この手で絶対なんて考えてたの」
勝利を手にしてみて、目の前で炎天下をもがく虫のようなマンセマットに、今はなんの感情も湧かない。どこまでも抱いていた憎しみや殺意といったものは、いつの間にか消えていた。
大切なものを失った苦しみが、もう癒えていたから。
「あなたがトドメを刺して、ゴグマ。もう私には必要ない相手よ」
「……そうですか。でしたら仰せの通りに」
メリメリと音を立てて胸が踏み潰されていく。
「ま、待て……! 私はここで死ぬわけには……!」
「いいえ、死ぬのよ。あなたはたくさん奪って来たんだもの」
くるりと背を向けて、これで良かったはずだとエスタに抱き着く。
「奪われる苦しみはあなたも知るべきだわ。たとえ死が教えるとしても」
無情にもくしゃりとゴグマに踏み潰され、マンセマットは苦しみにもがきながら杖を必死に振って力なく彼の足をこつんと叩く。虚ろな瞳は何も捉えていない。やがて静かに息絶えた。
「死体に寄生せねば生きていけない哀れな魔族でしたねえ、マンセマット。ですが大丈夫。どんな魂も例外なく輪廻へ還るものらしいので」
ゴーレムも完全に魔核を失って沈黙。討伐対象だったマンセマット・フェルニルはゴグマの手によって仕留められた。
だが、全員ともが警戒心を解かない。目の前にいるのはよく知るゴグマ・ファリではなく、魔界最古であり最強の魔族────テュポーンなのだ。
「てめえ、力を取り戻すのが目的だったってわけかい」
「その通りですとも。だから魔核を破壊されるわけにはいかなかった」
大量の魔族や人間の命を貯め込んだ絶大な魔力を含んだ魔核。マンセマットが千年を掛けた創造物。テュポーン・ファクティスと名付けるだけあって、本来の力を取り戻すのに十分なほどの蓄えだった。
エスタたちが壊そうとするのは必然だ。だが自身が何者であるかを言えば、なおさらに信用を得られるわけがない。かつては人間を滅ぼそうとしたのだから、それもまた当然だ。だからあえて彼女たちの窮地を演出する事で破壊も防ぎ、マンセマットへの不意討ちも可能にするため、小さな魔核の破片にシャクラの魂を繋ぎ止めて、いざというときに復活できるよう加工した。
「騙す事しか取り柄がないものでして。すみませんねえ、一瞬は負けるかとも思ったんじゃないですか? ま、許してもらえると助かるんですが……」
笑ながら謝罪を口にする彼にエスタが剣を向けて睨んだ。
「貴公、虫のいい話が過ぎるぞ。実際に力を取り戻して何をするつもりかも分からぬ以上、このまま見過ごすわけにもいくまい。目的を────」
エスタたちは同じ魔族だからこそ彼の危険性がよく分かる。今倒しておかねば、いずれ敵に回るかもしれない男を放ってはおけなかった。
だが、彼女たちの考えとは真逆にフロレントが前へ出た。
「あ、おい、契約者よ! 危ないから下がった方が……!」
「大丈夫よ、エスタ。ゴグマは裏切ったりしないわ」
不思議とそう思えた。いや、信じられた。
「あんなに温かい言葉をくれたんだもの。やり方はちょっと好きじゃないけれど、あなたなりに正しいと思った方法を選んだんでしょう?」
「……ええ、まあ。だってその方が愉しいと思いませんか」
フロレントはくすっと笑ってやんわり首を横に振った。
「本当はそんな事思ってないくせに。顔で笑って心で泣きなさいって、あなたが私に教えてくれたんじゃない。私はきちんと話してくれたら信じたわ」
「あ。……ハハハ、本当にあなたという方は好きになれませんねえ」
クレールにしろフロレントにしろ、なぜこうも心の中を透かしてくるのだろうと可笑しがり、胸に手を当てて片足のつま先を地面に触れて腰を僅かに落とす。深くお辞儀をしながら「流石は我が王が愛したお方です」と心からの賛辞を送った。
「そうだ、でもひとつ教えて。あなたの目的って何だったの? ただ力を取り戻して、はいじゃあ終わりってわけじゃあないんでしょう」
「……あァ、それは……」
魔界の空が紅くなっていく。徐々に夜が訪れようとしている。
「昔の思い出が壊されるのは見たくなかった。ワタクシの守りたかったものを守るため、それだけです」




