第31話「最終段階だ」
トレットは他の魔族とは違い、決して攻撃性に優れた魔族とは言えない。ただ防御を突き崩すという点に関しては抜きん出ている。周囲一帯を吹き飛ばすほどの強さはなくとも、たった一体を相手にするならば? 大きな魔力の差があっても貫通性に優れていれば? いかな禍津八鬼姫といえども無傷とはいかない。
そのうえ接近戦に置いての速度はヤオヒメを上回ってみせた。────ただし、彼女には絶対防御をも超えた無限に近い再生能力がある。弱化の呪いも受けていない今、彼女を倒すのはほぼ不可能とも言える差だ。
どう覆すのか。トレットは単純に考えた。すべての魔族、魔物には、その魔力や生命の源とも言える〝魔核〟が存在する。弱点とも言えるそれを晒す者は隠れる能力に特化していたり、ルヴィのような吸血鬼は傷つき壊れかけた魔核でさえ状態次第では治癒するなど、それぞれが身を護る手段を備えているが、完全に破壊されてしまえば生きてはいられない。ヤオヒメとて例外ではないと踏んだ。
四方八方へ跳ねては飛んで奇襲をかけて、何度も何度も執拗に酸に塗れた魔力の宿った鎖を振るう。ハーティを圧倒してみせた砂の壁も彼の前では意味がない。だがヤオヒメはやはり一歩も動かず、鎖を手に持った魔力を帯びたキセルで叩き落す。
「しつこいのう、てめえは。いつまで遊んでやればええんじゃ?」
「ホッホッホ! そりゃあぬしが死ぬまでじゃろうてのお!」
「……あァ、なるほど。俺様の魔核を探してんのかい。そりゃ賢い」
心底下らないとでも言いたげな気の抜けた返しだった。ただ、魔核を狙おうとしている事自体は正解だとは褒めた。────出来るのなら。
「飽いた。久しぶりの顔じゃから鬱陶しくても顔を立ててやろうかと思うたが、時間ばかり掛ける戦い方は好かぬ。フロレントの手前もあるし、」
キセルをぱっと口に咥え、背後に回り込んだトレットの顔面を掴む。
「────わりィのう。こういうところで腕の差ってのが出るらしい」
いくら小刻みに動いたところで、次の行動を読んでいればヤオヒメが相手を捕捉する事は難しくない。しばらく様子を見て、適切なタイミングで先回りした小さく大きなひとつの動作が、トンボのように素早いトレットを地面に叩きつけた。
「あが……!? な、儂を、この儂を捕まえ……っ!?」
「冥土の土産じゃ、教えておいてやろうかのう」
骨の軋む音がする。指がこめかみに食い込んでいく。
「俺様の魔核は胸のど真ん中。隠しも守りもしてねえよ」
「ハ……!? な、なにを言っとる、それならなぜぬしは死なぬ!」
納得がいかず激昂した叫びが響く。
「魔核は儂ら魔族の生命そのもの! そんな場所にあるのならぬしなどこれまでとっくに何度も死んでおるはずじゃろおが……!」
「おうとも、確かに普通なら死んでるかもしれんのう」
やがて掴んだ手がトレットの頭を潰す。ビクビクと痙攣するのを見つめながら、ヤオヒメはゆっくり立ち上がって指についた血を払う。
「俺様は死のうとしても楽には死ねない。灰になろうが、魔核が勝手に蘇って俺様を生き返らせる。時間は掛かっても、この身そのものが恨みと憎しみで形作られた呪いみたいなものじゃからのう」
もしヤオヒメを確実に殺す手段があるとしたならば、その魔核が形を保っている時に喰らう、あるいは取り込む。そうでなければ彼女が消える事はない。たとえ灰になっても不死鳥が如く時と共に蘇るからこそ、エスタやクレールをして厄介な相手と認識させた最強の魔族の一柱なのだ。
「さあて、これで二匹目。残る一匹も仕留めてやろう」
「……君の強さには心底驚かされたな。本気だとここまで強いか」
マンセマットが顎で指示を出すと、彼の背後でずっと黙って立っていただけの黒革のレインコートに身を包んだ何者かが前に出た。
奇妙なのはまったく気配がない事。ふとマンセマットが創った複製体の誰か、あるいは動く死体のどちらかではないかと感じられた。
「ん? おいおい、俺様の事は無視か?」
すたすた歩いてヤオヒメの傍を通り抜け、倒れたトレットの死体に跨る。何をしているのかと振り返った瞬間、バリッと音がした。
その光景を見てゾッとしたのはフロレントだけ。喰っているのだ、トレットの死体を。肩から食らいつき、皮を食い千切り、脳髄を啜り、骨をかみ砕く。魔族でも魔物でも当たり前のような光景だが人間にはあまりに不気味で恐ろしい。
「……チッ、趣味わりぃな。そんなジジイ喰っても意味ねえじゃろ」
背後からフードを脱がせてやろうと手を伸ばす。
「おい。俺様を無視してんじゃ────あ?」
腕がズルッ、と切れ落ちた。いつの間にかレインコートの魔族はマンセマットの隣に立って、落ちたヤオヒメの腕をバリバリと無言で齧っている。
「なんじゃ。骨のある奴がおるじゃねえか」
落ちた腕が炎と共に再生する。ようやく手応えのある戦いが出来るかと思いきや、マンセマットは小さくレインコートの魔族に尋ねた。
「遊びはここまでにしよう。最終段階だ、本番を始められるか?」
レインコートの魔族が両手を高く掲げた。大地が大きく揺れ、フロレントをルヴィが抱えて空に飛びあがる。
「……何が起きているんじゃ、こりゃあ」
大地が割れ、空まで届きそうな岩の巨人が現れる。腕を振れば森を吹き飛ばし、地面を叩けば魔界全体が揺れ動くのだろうと思わせる巨躯。
胸には巨大な魔核がはめ込まれ、誰ゾッとする巨大な魔力を放つ。マンセマットが創り出したテュポーンの魔核が起動したのだ。
「ねえちょっとあんたたち! マンセマットが離れていくわよ!」
「あの鳥頭野郎、俺様に背を向けやがったのか!?」
二人が彼らを注視する中、エスタだけが違和感を覚えた。
「あれは……まさかとは思うが……」
ゴーレムの前に立つレインコートの魔族が、魔核に向けて両腕を広げた。
「〝ゴーレム〟を確認。融合を開始……」
被っていたフードが脱げ、露わになった長い白銀の髪が揺れる。
「我が名は……テュポーン・ファクティス」
くるりと正面を向いたテュポーンを名乗る美しい薄青の瞳を持つ者の背後。魔核から伸びて来た無数の黒い腕が魔核の中に取り込んだ。
「おお、いいぞ。────さあ、魔神の降臨だ」




