第8話「闇を駆け抜けて」
村まではあっという間だった。当初は二時間を予定していたが、結界さえ張れれば問題ない事に加えて、いつまでも馬の上ではフロレントが体を痛めてしまう可能性も考えた結果、アパオーサを最高速にまで引き上げたからだ。
普通の馬とは違って魔力で形成されているため疲れを知らないので潰れる心配もなく、一時間ほどで事前に地図で確かめていた小さな村を見つけた。
「あれだな。どうする、契約者よ。そなた、あまり目立つのは嫌がっていただろう。アパオーサがいては困るのではないか?」
「そうね。ここからは徒歩で行きましょう。そんなに遠くないし」
いくら大きさを変えたところで見目が普通の馬とは違って禍々しい雰囲気を与えてしまう。目の前に見えているのだから歩いたって疲れるほどの距離ではないだろうとエスタには受け入れてもらった。
「……って思ったけど、案外遠いわね」
「見えたからと言って近いわけではないからなあ」
それなりに体力のある方だと自負があったが、村に着いた頃にはすっかり膝に手を置くほど疲れていた。一方、エスタはまだ数時間でも平気そうな顔だ。
「にしても酷い有様であるな」
近付くにつれて分かっていた事だが、鼻を衝くひどい焦げた臭いに顔をしかめた。村は何者かに襲撃を受けていたらしく焼き払われた後の惨い姿を晒す。
「何があったのかしら。まさか帝国兵が……」
「いや、それはないであろう」
村の様子を見て、エスタはきっぱり否定する。
「連中であれば皆殺しにしていたはずだが、この村には女子供がいない。家畜も。私には臭いだけで分かる。戦争の気配に紛れたネズミ共がいるらしい」
言われてみて思い当たる節があった。
「多分、盗賊団ね。多くは傭兵としても仕事をしていると聞くわ。アドワーズ領内でも問題視されていたから、帝国の侵攻に乗じてルバルス領に踏み入ったのね。彼らってどういうわけか情報も早いし腕も立つせいで、戦争中の私たちの国では相手にしている暇もなかったの。……ねえ、まだ助けられない?」
他国の人間でも救える命があるのなら救いたかった。自分の国ひとつままならない状況で、全てを捨てて逃げる事しかできなかった苦しさも、今はエスタがいる。彼女という剣に頼る事ができれば────。
「正確には分からぬが、連れ去るという事は殺す理由はない。ただ犯して壊すだけならば村を荒らすだけで充分であろう。それに……」
すんっ、と村の空気を嗅ぐ。エスタはこくっと頷いた。
「まだ近い。アパオーサであれば二分も掛からず追いつく」
期待が高まる。フロレントはすぐに救出に向かおうと息巻く。
盗賊団が人をさらうのには人身売買という大きな稼ぎがあるからだ。アドワーズ皇国には奴隷制度が存在しない。しかし一部の貴族たちはそれに従おうとせず、高額な取引によって少数ではあったが奴隷を買う流れはよく起きた事だ。
何度も摘発しては撲滅を目指したが、問題である盗賊団だけは捕まえるのが難しかったので、いずれアドワーズ皇国を再建目指すなら真っ先に処理しておきたかった。
「さっそくの仕事だ、そなたが喜ぶなら任せてくれ」
アパオーサの召喚を手短に済ませ、またフロレントを抱えて跨った。盗賊団の足跡を辿るのは容易く、アドワーズ皇国との国境近くに新たな拠点を置こうとしている彼らを捉えるまで時間は掛からない。
奴隷たちを運ぶための馬車は無く、縄でそれぞれの腕を縛って並んで歩かせている事もあって移動はかなり緩慢だ。見つけたエスタが手綱を強く握った。
「このまま連中を飛び越えて正面に出る、しっかり掴まっていろ!」
最後尾から一度の跳躍で月明かりを遮りながら飛び越えていく。アパオーサの巨大さに誰もがあんぐりと口を開けて驚いた。
「な、なんだ貴様ら……!」
突然立ち塞がった巨大な馬に跨る二人組は、とても異質だ。特にエスタは頭部に立派な双角を構え、この世の者とは思えない威圧感を放っている。
「貴公らが連れている女子供を返してもらおう」
アパオーサの背にそっとフロレントを預け、「そこで見ていろ」と彼女は馬を降りて地上に立った。甲冑がぎらりと殺意を纏って月明かりに輝く。
ざわつきが草原に小さく広がり、風の中に消えた。先頭に立っている大柄の男が背負っていた斧を手に取ってエスタに差し向ける。
「気味の悪い女だ、頭に獣の角なんかくっつけて威嚇のつもりか! 返してほしかったら力ずくで取り返してみろ、出来るんならだけどなァ!」
そう吼えた瞬間、男の斧がばらばらに砕けた。まるで錆びて朽ち果てたかの如く崩れたのだ。ぎょっとする間にエスタは瞬時に男との距離を詰めた。
目と鼻の先が触れあいそうなほど顔が近づく。
「実に素晴らしい。死をも恐れぬか、人間。だが貴公はひとつ思い違いをしている。────私は命令したのだ、頼んだのではない」
男が「ひっ」と短い悲鳴をあげた。瞳に映ったのは恐怖だ。ただ無表情に寄ってきたエスタが、あまりにも恐ろしくなった。腰を抜かしてその場に転げ、背を向けて駆けだそうとする。それは他の誰もがそうだ。恐怖に支配されて動けなくなった女子供を除いて、盗賊団の面々は脱兎の如く逃げ出そうとした。
「我が契約者の命だ、一人たりとて逃げられると思うな」
手の中に剣を握って構え、軽く横に薙ぐ。
たったそれだけで盗賊団は途端に灰となって散った。
「どうだ、契約者よ。私はかっこよかったか?」
振り返った彼女は剣を地面に突き立ててニコッと笑う。
「あとはそなたの役割だ、上手くやるが良い」