第29話「快適な空の旅を」
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七日はあっという間に過ぎた。綿密な計画こそ立てなかったものの、フロレントのお守りとして提げている魔核の首飾りだけに頼らず、少しでも自衛できるようにと修練を重ねさせた。
多少の手伝いなら問題ないとルヴィが魔力の扱い方を自分なりの解釈で彼女に教えた。その結果、自分の周囲だけであれば小さな結界を張る事が出来るようにまで短期間で大きな成長を遂げた。奇しくも、その結界はシャクラとまったく同じ雷の障壁を創り出すものだった。
「ううむ、あれかのう。やはり目にしてきた回数かのう?」
なぜか落ち込むエスタの横で、ヤオヒメが苦笑いをしつつ励ます。
「私の闇の結界よりも形を創りやすいという事か」
「イメージしやすい差じゃろ。闇なんて言われても人間には難しいわいのう」
「……悔しいな。私よりもシャクラの方が傍にいた感じがして」
中庭で楽しそうにルヴィと魔力を使って色んな形を創る姿を眺めながら、自分の指導者としての半端さをぼやく。
「何言ってやがんだか。そんなに悩ましい事かァ?」
「それはそうだろう。私より皆の方が距離が近いと何だか悔しい」
はあ、と深いため息をついて花壇の縁に座った。
「貴公は料理が上手い。シャクラは指導者として秀でていたし、ゴグマは私には持っていない言葉を持っている。私だって何かひとつくらい欲しい」
「てめえは誰より強いじゃねえか。……つうか、ルヴィは?」
ジッと見つめたままエスタは少し溜めてから────。
「愛らしさがあるんじゃないのか。小動物みたいな」
「きっひっひっ……! アレが聞いたら怒りそうだが良い答えだ!」
ふっ、と吐いた煙が輪っかになってふよふよと空を泳ぐ。
「まあ考えすぎるなよ。てめえは一番頼りにされてるさ」
「そうだと良いんだがな」
「疑り深い奴。だけど間違いねえよ、魔王様」
ぽんっ、とキセルから捨てた灰が花を咲かす。
「俺様たちは、そもそもフロレントに良い印象なんざ最初は持ってなかったが、てめえは最初から命を救ってきた。しかも契約してなかったろ」
「うぐっ……! そ、それはほら、あれだ。要らぬと言うから……」
「嘘が下手じゃのう、てめえは。別に責めてとりゃせんわい」
それより、と九本の尻尾が小さく揺れた。
「本当にルヴィも連れて行くのかよ? 俺様は正直反対じゃが」
戦力には数えられない。器用なゴグマの手腕によるものなのか、縫いつけられた魔核は見事に回復を始めていたが、まだまだ万全には程遠い。しかし当の本人は『戦わなければ全然問題ないくらい動ける』と自己アピールを繰り返し、いざというときにフロレントを連れて逃げたりできるかもしれないと主張した。
「私も反対したんだが、いくら言っても聞かなくてね。無理やり置いていくのも可哀想だろう。アイツだってシャクラの事で悔しい思いをしてるんだ。戦えないとしても見届けたいに違いない」
「……まあ、気持ちは分かるがよ。俺様には駄目だと言う資格もねえ」
身勝手に単身で敵に挑みかかり、ゴグマに救われた立場である以上、ヤオヒメには彼女を止める事ができない。エスタが良いと言うなら仕方ないと受け入れた。
「二人共、何をゆっくり話しているの?」
「そろそろでしょ。アタシたちは準備出来てるけど」
出発ぎりぎりまで感覚を忘れないための修練は済み、僅かに火照った赤い顔をしているが疲れは感じられず、エスタもひとつ頷いて立ち上がった。
「では参るとしよう。我々の最後の戦いになるだろう」
手に握り締めた剣を両手に持ち、刃を地面へ深く突き立てる。足下に黒い渦が広がり、四人の体がゆっくり沈み始める。
「契約者よ、こちらへ。────これより降下する」
「……え? ごめんなさい、どういう事?」
抱き寄せられて不思議そうに首を傾げたが、言葉の意味はすぐに理解する事になる。足下に広がった闇の門を潜り抜けて、魔界の空へ抜けたのだ。
夜のように紅い月は無く、太陽の昇った極めて普通の景色が広がった。
「綺麗……って、そうじゃなくて、エ、エスタ!!」
「分かっている。大丈夫だ、私と一緒にいれば寒くもないさ」
「そういう問題じゃなくって────!!」
城の屋根よりずっと高い空から落ちているというのに、エスタはまったく平気そうにニコニコしている。ルヴィやヤオヒメも慣れたもので各々が翼を広げたり、尻尾を大きくして緩やかに着地して衝突を避けた。
両足で豪快に地面へ降りたのはエスタだけだ。
「どうだったかな、契約者。悪くない空の旅だっただろう」
「……多分、今まで生きてきて一番怖かったわ……」
魔族にとってはよくある光景でもフロレントはただの人間だ。城よりも更に高い場所から落下するなど恐怖以外の何でもない。心臓が未だ落ち着かなかった。
「ところでここは魔界のどのあたりなの?」
「ああ、人間界と切り離された境界と言われている」
パッと見はなんでもない普通の大地が広がるだけだ。ルヴィの城がある荒野とは違い、広がっているのは大草原や、暮らしの痕跡が残る石造りの倒れた柱や建物だった名残り。巨人族の始祖であるテュポーンが人間界と魔界を切り離し、それぞれの世界として隔てた歴史ある場所。
「まあ、一万年くらいは昔の話だから私にはよく分からんが」
「一万年ってヤオヒメの生きた年数の倍くらい?」
「そうなるな。だからテュポーンなど伝説の存在とされてきた」
まさか実在するとは、とエスタも久しぶりに驚かされた。
「決着をつけるには相応しい。視界も開けているし戦うのにも苦労しない。始まりの大地で終わりを迎えよう。────連中もその気のようだ」
視線を向けた先。草原の離れた場所で、マンセマットが立っている。彼を中心に周囲には何体かの魔族が並んだ。それぞれからは強い魔力が放たれ、今の魔界を支配する者たちだと察した。
「ごきげんよう、エスタ・グラム。禍津八鬼姫。ルヴィ・ドラクレア嬢。……おや、二人ほど足りていないようだが?」
挑発的なマンセマットの言葉にヤオヒメがキセルを噛む。
「てめえ……。ほざいてられるのも今の内じゃからのう」
「フッ、怖いね。だが勝算なく我々も姿を現したわけじゃない」
彼がビシッと指を立てた。
「君たちもこちらも、今の数的には同じ三体ずつだ。せっかくだから決闘形式で行こうじゃないか。その方が君たちも気楽に戦えるだろう?」
「生憎ながらルヴィは戦える状態ではない。貴公らの相手は私が────」
一歩前に出ようとしたエスタの肩をぐいっと後ろからヤオヒメが引っ張って下がらせ、ぷかぷか煙を燻らせながら九本の尾を赤黒く燃やす。
「退け、露払いは俺様がしてやる」
「だが貴公は一回負けたんだろ」
「うっさいわ、馬鹿者! こういうときは素直に譲らんか!」
「お、おお……。そう怒るな、譲るよ……」
せっかくカッコつけたのが台無しだとぶつくさ文句を言いながら、気を取り直してヤオヒメが挑む。大してマンセマットはちらと仲間に目を向け、そのうち一体が「俺がやりたい」と高揚して前に出た。
「……てめえ、名前は?」
見目は人間に近いというより人型なだけで、その外見は狼のようだった。
「ハーティ。人狼族のハーティだ。狐は好物でね、見ているだけで腹が減って来る。お前からは非常に良い匂いがする。喰わせてもらおうか!」
「そうかい。半端な姿なくせして実に良い強さをした犬ッコロじゃ」
フーッと勢いよく煙を吐き出す。
「尻尾撒いて逃げたりすんじゃねえぞ、小僧」