第24話「存外悪くない世界」
放たれた殺気の冷たさは、ペルーダに一瞬だけ首を獲られたのではないかと錯覚させる。千年前の魔族だからとて侮りはない。だが、明確な死を意識した。敗北の予感に胸がざわつく。
「久しぶりだ、この感覚。卿ほどの魔族は久方ぶりに見た。境地に至った者の覇気か……。噂に聞く龍帝も斯様であるのか」
「俺に勝って確かめればいい。────勝てればの話だがね」
一瞬の動作も見逃さない。指の僅かな力の入れ方ひとつ見抜き、槍の連撃をあえてギリギリで躱す。これが今の魔族の質か、と堪能しながら。
「速いな。そういえば卿の名を聞いていなかった。我輩とした事が礼を欠いたな。どちらが生き残るにせよ知っておきたい」
「俺はシャクラ・ヴァジュラ。お前を殺す者の名だ」
閃光が背後に回り込む。鋭い蹴りを咄嗟にペルーダは腕で受ける。衝撃が伝って床を広範囲に砕くが、彼の鎧はびくともしていない。想像以上の頑丈さにシャクラも目を見張って驚く。
「立派なものだ。魔力を流し込んだ鎧か、エスタとは違うな」
「こちらの台詞だと言わせてくれ。卿の生身は鋼で出来てるのか?」
蹴られた瞬間防いで強がってはみたものの、内部を駆け抜けた衝撃に、分厚い岩壁にでも叩きつけられたような痛烈さが全身を襲った。もし防いでいなければ頭部が信じられない方向へねじ曲がったか、あるいは千切れ飛んだか。いずれにせよペルーダが感じたシャクラの強さは想像を遥かに上回っている。
「まずは様子見だと断じた我輩の間違いだな」
素早く足を掴み、放り投げて再び距離を開く。彼の持つ槍はそれほど間合いの広い方ではないが、かといって至近距離で戦える短さでもない。接近戦の得意なシャクラを相手取るには当然の選択だ。
「卿と戦うに、長く時間は掛けられまい。急がせてもらおうか」
青白く輝く槍を片手に担ぐように構えた。
「────《討ち貫け、我が雷霆よ》」
全力で投擲された雷槍。全霊の魔力を込めた一撃。シャクラはあえてそれを真正面から受け止める事を選んだ。
「良いだろう、小僧。ではこれは俺からの賛辞だ、受け取れ」
手を伸ばす。一本まっすぐ構えた指が、雷槍の尖端に触れた。
瞬間、結界内部を揺るがす巨大な魔力の爆発が復元も間に合わない威力を伴った。ペルーダが放つ最強の技は彼自身の視界さえをも白に染めた。
「……やったか?」
何も感じない。魔力の気配も何も。視界が徐々に開けたとき、ペルーダはゾッとした。そして同時に強い敬意を抱く。
「ハッ……ハッハッハッ! 見事と言う他に何があるのだろうか! まさか我輩の本気の一撃をたった指一本で防いでみせるとは!」
ただでさえ全力を投じるほどの戦いは数百年以上も経験を重ねず久しい。だからこそ倒したかった。勝ちたかった。────なのに、なんだこの怪物は。
格差に呆れて笑ってしまうほどペルーダは強く思った。
「まったくの無傷! 鋼などとは質の低い。さりとて相応しき言葉が見つからぬ。我輩も正直な所、威力といった点では龍の末裔として自信はあったのだが」
「満足してもらえたようで何より。それで、続けるか?」
愚門だとばかりに空から槍が落ち、ペルーダの手に戻った。
「我輩とて龍の血を持つ者。引き下がるは今生の恥なれば」
「では期待に応えよう。最後まで立っていろよ」
瞬きを許さない一歩。ひと呼吸するよりも先に飛んでくる拳。分厚い鉄塊よりも遥かに硬く重たい蹴り。間一髪で躱し、素早く受け流して反撃。それも間に合わない。目に映りはしても肉体の動きが伴わない。
────なんだ、これは。我輩は夢でも見ているのか?
簡単な仕事だ。相手は百戦錬磨とはいえ千年前に人間との争いで敗北を喫した魔族に過ぎないとマンセマットは言っていた。
我輩はそう思わなかった。強き者が自らの腕に自信を宿して戦いに身を投じたのだ。そこに油断などあってはならない。我輩が勝者になるとしても敗者になるとしても、全力で挑まねばならぬ相手だと断じての全力。一体でも始末できれば御の字だと我が魂さえ未来の魔界に捧げる覚悟で来たというのに。
「我が槍術がかすり傷ひとつ与えられんのか……!」
────龍として生まれ、強き者として生まれ、魔界に在する種として頂点に立った。それでもなお修練は欠かさない。最強の名をほしいままにするのなら、最強の名を持ちうるに相応しい強さを身に付けなくてはならない。
新たな世界が訪れた後、魔王の座を手に入れるための戦いが始まるのは目に見えている。そのときは我輩こそが最強の魔族だと示す気概で力をつけてきた。そう、我輩は過去に聞く龍帝のようになれると信じて。
「千年……。我輩は産まれ落ちて千年になる」
「ほお。それで?」
打たれ続けた分厚く硬い魔力の鎧がひび割れる。膝を突き、槍を床に転がして、敗北を悟りながら彼は返された問いに答えた。
「憧れだった。誉ある闘争。強者との死闘。……なにより、その背中を追い続けた者がいる。どんな手を使っても、我輩はその者に成り代わりたかった。抱いた理想のためには已む無しと。無念だ、千年程度の修練では届かぬ領域か」
つま先からゆっくり石化していく。魔力を失い、鎧を貫通する強烈な打撃の数々に追い詰められ、彼は笑い声を小さく溢しながら「だが気に入らぬな」とシャクラを見あげて、なんとも言えぬ重たい声色をして────。
「闘争を愛する卿のような者が、なぜ一度は殲滅しようと襲った人間の味方などしているのか。こちら側であるべきだろうに」
完全に石化したのを見届け、シャクラの結界も消滅していく。皇都の景色を空からゆっくり取り戻すのを見上げて、頭をぼりぼりと掻いた。
「さあな。目が覚めたときには下らない世界に見えたものだが、俺には存外悪くない場所に思えた。気に入った寝床を荒らされるのは誰でも嫌だろう?」




