第22話「退屈なのも面白い」
おどけた仕草で周囲を惑わし、愉悦に浸って消えていく。今更ながらに過去を振り返ってみて、シャクラはなんとも不思議な奴だと思わされた。
なにしろ魔界では強いとはいえ目立つ方ではなく、戦う事もまずあり得ない。彼が過去に戦ったのも、強さを求めて誰彼構わず自ら仕掛けていた頃にゴグマとたまさか出会ったからに過ぎないのだ。
そのときは勝った。いや、それとも勝たされたのだろうか。疑問が胸の中で湧き、もどかしさに落ち着かない。
「まあいい、次は確実に俺が勝てばいい」
腹立たしい。忌々しい。久しぶりの強敵だった。だがフロレントの味方だ。今となっては魔族として暴れ狂うのも一興とは思いつつも、実行に移すだけの意志がない。自分に呆れてフッと思わず笑い声が出た。
「……俺も耄碌したか」
雷光に包まれ、瞬間移動的に皇都へ帰る。宮殿に戻ってゴグマとの交戦をエスタたちに伝えようかと歩くが、穏やかな空気の流れに部屋の扉を叩こうとした手が止まった。今急いで言うべきかと思案して引っ込めた。
(別に敵に回ったわけでもない。アイツが実際には何者であるかなど、気に留めるべき話じゃないかもな。寝ている邪魔をするのも気が進まん……)
契約も交わしていないのに、自分はどうしてここにいるのだろうと不意に感じる。闘争に明け暮れ、未だ一度も下した事のないエスタをどう倒したものかと思案する日々はどうであったかなど、すっかり忘れていた。
安穏とした空気に絆されて人々の日々の営みを眺める事のなんと退屈な事かと目覚めたときには強く感じていたが、今は当たり前に変わっていた。
「……少し町の様子でも見て来るか」
自分以外はすっかり休息を取っているとなれば、それこそ退屈だ。話す相手もいないし、軽い組手も出来ない。移住してきた人々の観察でもと外へ出て、各所へ屋根伝いに飛び移りながら暇をつぶす。
相変わらず瓦礫の撤去や新たな建物の建築でヤオヒメの人形たちは文句のひとつ言わず──まずあり得ない話だが──働き続けている。移住してきた者も加わって、かつての皇都も今のように活気に溢れていたのだろうと思わせた。
「そんなところで何をされてるんですか」
ふと呼ばれた声に目を向けた。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「確か、このあたりにパン屋があったな。ちょっと町の様子を見ているだけだ、邪魔をするつもりはないから普段通りにしていろ」
シッシッと追い払う仕草を向けた。なぜ自分に笑顔を向けてくるのかが分からない。魔族である事は既によく知られているし、皇都の人間たちには自分は危険極まりない存在であるなど考えるべくもない、と。
だが彼らは好意的で明るく、いつも『復興に力を貸してくださる方を恐れるなんてとんでもない』と訳の分からない言葉を並べて来る、と頭を悩ませた。
「いかがですか、ちょうどパンが焼けたんです」
「小僧、俺に構うのはやめておけ」
どう見てもそこそこの年齢をした男なので、シャクラに小僧と呼ばれて首を傾げて不思議そうにしながら「貰って言って下さいよ」と元気よく声を掛けた。
「……はあ。仕方ない奴だな」
ひょいっと屋根から飛び降りて彼の前に立つ。周囲も一瞬驚いたものの、シャクラだとひと目で分かるとそれほど気にする事もなく挨拶をして歩いていく。
千年前の人間はこんなふうに穏やかな生き物だっただろうか? それとも俺たちが敵対していたから、そう感じていただけなのか。シャクラはやはり頭を悩ませて、答えに辿り着けない事が少し苛立った。
「さ、シャクラさん。遠慮せずどうぞ」
「ああ。だが金とやらは持っていないが?」
いつもなら念のためにと渡されているが、ゴグマに会いにフンババ山へ行くのに落としてしまったら悪いと思い、部屋に置いてきたまま持ち歩かなかった。パンの紙袋を渡されて、ズボンのポケットに入っていないのを思い出して伝えると、店主の男は首を横に振って「たまには礼くらいさせてください」と受け取る気がない。
「礼は俺ではなくフロレントにしてやればいいものを」
「何を仰るのですか。毎日様子を見に来て下さるので助かってますよ」
店主はニコニコと笑って言った。
「他の皆様が忙しい中、シャクラさんはいつも見回ってくれているでしょう? 移住に賛同して来た者たち全員が善意だけで来ているわけでないのは、過ごしていれば分かりますし当然の事なんです。でもあなたが見て回ってくれているおかげで誰かが悪さをしたような話は聞きませんから」
熱弁する彼に苦笑いしながら「そうなのか?」と尋ね返すと、やはり饒舌に彼がいかに皇都復興における治安維持に貢献しているかを語り始めた。
(退屈だからとウロついていたんだが、知らない間に役立っていたようだ。ま、感謝されるのも悪くない。俺の想像していた人間は、時代と共に変化していったのかもしれないな。……共存、か。奴の言葉には考えさせられる)
ゴグマの遺した不思議な言葉を思い返しながら、店主の男に礼を言ってパンを食べ歩き、それなりに暇は潰せたと宮殿への帰り道は歩く事にした。
「────退屈なのもたまには面白いものだ」




