第7話「頼まれた仕事」
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────一週間が過ぎた頃。
「うむ、酒が美味いしメシも美味い!!」
大声が酒場に響く。周囲の視線が集まるのも構わずガツガツと食べるので、フロレントはエスタに「ちょっと食べすぎじゃない?」と小声で話す。
しかし彼女はもぐもぐと口を動かすばかりで、頬いっぱいをリスのように膨らませて不思議そうに「んむう……?」と首を傾げた。
なにしろまともな食事は久しぶりだ。皇国の首都メルランを旅立って、領土を抜け、二人が最初に訪れたのは一歩退くようにアドワーズ皇国を挟んで帝国から離れた小国ルバルスの都市へ来ていた。
まだ平和で、人々からゾロモド帝国の侵攻を恐れる不安の声は聞こえるが、かといって瞳から輝きは失われていないし普段通りの暮らしぶりが見て取れる。
「んぐ……。ふう、とても美味かった」
「いや、美味かったじゃなくてね」
「そう言うでない。私とて腹は減るのだ」
「分かるわ、気持ちは。でも食べすぎ」
硬貨の詰まった袋をテーブルにどんと置く。
「いいかしら。これが私たちの全財産。どんな目的を果たすのにもお金が必要になるのが今の時代よ。武力だけでどうにかなるのは昔の話なの」
「ぬう、では武力で金を稼ぐ事は出来んのか」
尋ねられて、困ったように腕を組む。
「うう~ん……。不可能ではないけど、需要があるかどうかよね。傭兵として戦争に加わるならともかく、いまどき用心棒みたいな仕事はちょっと」
エスタの食事量は異常だ。どれだけ食べても腹が膨らんでいる様子もなく、どこへ消えているのか不思議になってくる。今のペースで金を使い続ければ底をつくのは時間の問題で、出来れば即金が欲しい気持ちだった。
「おい、そこの角飾りの嬢ちゃん。腕っぷしに自信があるのかい?」
酒場の主人が興味を湧かせて話しかけた。
「当然だ。私ほど強い者は世界におらぬ」
「ハッハ! 自信家のお嬢ちゃんだな!」
一杯サービスしておく、と樽のカップに注がれたビールをどんっとエスタの前に置く。男はいくらか眉間にしわを寄せて困った顔をする。
「ひとつ頼まれてほしいんだ。ここからアドワーズの国境近くにある小さい村があるんだが、俺の娘が嫁いでっちまってね。あちらさんの国も帝国に惨敗してる状況だなんて随分と物騒な話も聞く。だから様子を見てきちゃくれねえか」
いくつかの村があるのは地図で知っていたが、エスタが都市部に用があるというので寄り付きもしなかった。今から引き返す事になるのなら先に立ち寄っていれば、とフロレントはがっかりする。
「少し遠いわね……。どうしよう、エスタ?」
「引き返しても構わぬ。どのみち戻ってくるのだろ」
「ええ。あなたが此処に用があるって言うから」
食事を終え、追加でもらったビールをひと息に呑み干す。
「……ぷは。よし、ならば承ろう」
フロレントが金を必要としているのなら、稼ぐのはエスタの仕事だ。国境沿いの村というのもあって、何かあったときに助けてもらえるかもしれないと思った男の判断は正しい。事実、既に帝国の魔の手が伸びている可能性は高かった。
支払いを済ませたら、二人は軽い挨拶だけして酒場を後にする。
「もしかして、もう出発するつもりなの?」
「その方が良いだろう。馬が潰れないか心配のようだな」
既に十分すぎるほど酷使しているのに、馬たちが可哀想だとフロレントは言う。いい加減にじっくり休ませてやらなければ死んでしまいそうだ、と。
そこでエスタは名案があると言って、徒歩で都市の外へ出た。馬がなければ到底辿り着けそうもない距離を歩くのかと不安になったが、彼女はしばらく話そうともせず歩き続け、ひと目の付かないところまでやってきてから────。
「せっかくだ、そなたも乗るが良い」
手の中に黒い輝きの球体が創られる。とてつも無い魔力から形成されたそれは、エスタの手を離れると地面に近い距離で大きな音を立てて爆発する。
黒煙が周囲を満たすと同時に、中から一頭の馬が現れた。通常よりも倍以上の大きさがあり、エスタとフロレントの二人が乗っても、まだもう一人くらいは乗れそうな余裕のある体躯を持っていた。
「こ、この馬は何? 魔物なの?」
「アパオーサ。私の魔力によって創られた馬だ」
意思を持たず、エスタの魔力が続くかぎり存在できる黒馬。見目には巨大だが魔力そのもので形作られているため必要に応じて変化させられる。
「これは格の違う駿馬だ、私がそなたを抱えても?」
「えっ、ちょっと……そういうアレなの?」
「すまない、でなければ契約者が飛ばされてしまうのだ」
ひょいっと軽く彼女を抱えて背の高いアパオーサに飛び乗り、翳した手にしっかり手綱を掴む。国境からルバルスの都市まで半日以上も掛けた距離を「ふむ、二時間くらいかな」と軽く見積もって出発させた。
一瞬は聞き間違いだと思ったが、異常な脚力は強引に納得を促す。砲撃の瞬間を思わせる豪快な音を響き渡らせ、遠くに見えていた木々が瞬く間に迫った。駆け抜けるだけで突風を巻き起こし、離れた木々さえしならせる勢いだ。
だが、エスタの膝の上にいるフロレントには何も起きない。彼女はいたって普通に馬に乗っているような気分だった。ぶつかる風も柔らかく、寒さもない。
「これってどうなってるの、エスタ?」
「うん。私の魔力がそなたを守っているだけだ」
アパオーサ自体が魔力の塊なので、エスタが密着して魔力を供給し続けながら自分たちの周囲だけに薄い膜の結界を張っていた。
「いくらそなたがクレールの血を継いでいても、魔法が使えないのではただの人間に過ぎぬ。その脆い肉体ではアパオーサの脚力に耐え切れず、いくら私が抱いていても圧だけでバラバラになってしまいかねないだろう」
想像させられてゾッとする。皇都で見た帝国兵の死体が無惨にも形さえ残っていないのをいくつか見た。自分があれと同じになるのは考えたくなかった。
「私と密着していれば問題ない。だが後ろでずっとしがみつくのは疲れるだろうし、抱いているほうが安全だ。そなたは嫌かもしれぬが、しばし我慢してくれ」
綺麗な顔が優しく微笑むのを見て、フロレントは少し耳を赤くした。
「別に……嫌じゃないわ。ありがとう」
「フフ、愛い奴だ。では、もう少し急がせるとしようか!」