第20話「ただの道化ですとも」
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フンババ山・洞窟内部
「……いけませんねえ、ワタクシの領域に土足で侵入とは」
ゴグマの封印していた魔法陣のあった地面が粉々に砕かれている。その上に立つのは、彼によって腕を引き千切られたメイデスだ。マンセマット手製の新たな腕──元々の彼女の腕を再現した──の感触を確かめながら、彼女は明らかに腹を立てた様子でゴグマを睨みつけた。
「待ってたよ、アンタの事をね。クソムカつく道化師が」
「なんですゥ? そんな怖い顔しちゃって」
「うっせえ! こっちは旦那の命令で嫌々来てんだよ!」
「……嫌々って事はなんですか、ひょっとして再勧誘的な?」
顎をさすりながら、わざとらしく首を傾げる。
「そうさ。旦那はアンタをいたく気に入ってる。愉快な事が好きなんだろ。『ぜひお気に召す話があるのだが』ってさ。アタシは反対したけどね」
「あ、そうですか。全然興味アリマセン、残念ながら」
肩を竦めてお手上げのボーズを取ってけらけら笑う。
「存じ上げておりますよォ。人間界と魔界、ふたつの世界に分断した人間と魔族。敗北を切っ掛けに、その力を取り戻すため撤退を選んだ『テュポーン』の復活。マンセマットが彼を復活させて世界を支配する計画でしょう?」
手に持ったキャンディの詰まった袋をメイデスに投げて渡す。
「それ、お土産です。持って帰ってください。それから二度とワタクシにそんな退屈な話を持ってこないように伝えて頂ければ幸いですゥ」
「……! つまり交渉決裂って話だね?」
嬉しそうに拳を構え、臨戦態勢を取る。腕が鉄の色を帯びた。
「安心したよ。これで心置きなくアンタをぶん殴れる口実が出来たってわけだ。マンセマットの旦那には伝えておいてやるよ。ゴミを片付けたってね!」
不意打ちによって腕を引き千切られた恨みをここで晴らすと息巻く姿に、ゴグマはとても不愉快そうにチッと舌を鳴らす。
「シャクラの足下にも及ばない雑魚が……おっと、口が滑った」
「このッ……! 言わせておけば偉そうに、アンタも同じだろうが!」
ゴグマ・ファリがシャクラと争ったのはただの一度だけ。そして、その結果はゴグマの敗北。しかし彼は生き延びた。シャクラという圧倒的な強さを誇るオーガを相手にしながら。
それ以降、彼が正面切っての戦いを挑んだ事はない。また負けるのが恐ろしいのだろうと誰もが思っていた。当時を知っているメイデスにしてみれば、彼もまた自分と同じ。いくら名を連ねる魔族の強者といえども、たかが知れている。
彼が眠った千年の間にメイデスは自身が何度も何度も修練を積み重ねて、さらに強くなったという自負がある。今更、千年前の魔族に負ける理由はない。ずっと眠っていた者が、日々の修練を積み続けた者に勝る道理はない、と。
「なァるほど、確かに同じですとも。ワタクシとアナタは同じ敗北者。その観点で言えば共通していて変わりない。────ワタクシより強ければね」
オーガの基本的な身体能力は他の魔族とは比べ物にならない。魔族の中でも特に接近戦という概念においては秀でた種族だ。動体視力も優れ、あらゆる敵の指先ひとつの動作すら見逃さない。────はずだった。
顔を覆う巨大な白い手に捕まり、理解すら追いつかない速さで背にしていた遠く離れた壁に叩きつけられる。
(何……? アタシに何が起きた?)
思考が纏まらない。ゴグマの動き彼女の想像を遥かに超えた、紛れもない強者のそれだった。油断はしていなかったし、彼の能力も最大限警戒して見逃さないようにしていたつもりだ。なのに追えなかった、とメイデスは動揺する。
「おやおやァ。どうも状況が理解できてないようだ」
頭を掴んだまま手を引き、もう一度壁に叩きつけた。
「確かに注目度が高いからとわざわざシャクラとの争いを嗅ぎつけて見物にやってきた者たちは、ワタクシが負けた瞬間を目に捉えた事でしょう。ですが、ひとつ勘違いをされているので訂正させて頂きますと────ワタクシ、彼程度ならば捻り潰せるくらいには強いつもりですよ?」
またしても壁に叩きつける。メイデスが必死に抵抗しようと腕を掴んだが、びくともしない。そうして何度も壁に叩きつけられ、どんどん痛みは蓄積されていく。
「ありもしない勝機を抱いて挑む姿は滑稽でしたねえ、メイデス。才能なき哀れなオーガの娘。せめて名誉の死は与えてさしあげましょう」
何度も叩きつけられて意識も半ば朦朧とするメイデスの口に、キャンディを放り込む。甘ったるい味が血の味に混ざって広がった。
「……ア……アンタ、いったい……何者……?」
ゴグマも自分の分の飴を口に放り込み、ころころ舌で転がす。
「そうですねえ……何者かと問われますか。答えられるとするなら、魔族の未来を祈る者。あるいは滑稽な己を嗤う道化師。ただのゴグマ・ファリという巨人族ですとも。────それでは、ごきげんよう」
大きい独特な形をしたつま先の靴が、メイデスの頭をゆっくり踏みつける。骨の罅割れる音。最後にはくしゃりと洞窟の中を小さく響いた。




