第18話「素顔」
「ねえねえ、そろそろ出ない? 暑くなってきちゃった」
疲れて飽きて来たのかバシャバシャと泳ぎ出すルヴィを見て、フロレントは「そうね、そろそろ出ましょうか」と小動物を愛でるように言った。
脱衣所でヤオヒメに髪を乾かしてもらい、それぞれ用意してもらった服を着る。いつもよりもラフな格好は動きやすく、ルヴィは黒いリボンのフリルシャツとスカートをいたく気に入って鏡の前に立った。
「人間って可愛い服着るのね~! どうどう、アタシも人間っぽい?」
「ええ、とても。あなたって魔族って感じ、どこにもないから」
ふふーん、とルヴィは自慢げに胸を張った。
「吸血鬼とか巨人族は人間に近い種だもの。似合うって最高だわ」
「貴公は良いな。その……こほん。綺麗な体つきだから」
「……あんたはなんていうか、色々と大きいから大変そうよね」
エスタは合うサイズのものが見つからず、ルヴィとは違って男性用の服を着るが、胸がやや苦しそうだ。それをヤオヒメがけらけら笑う。
「てめえも俺様みてえな着物にすりゃいいんじゃ」
「私の好みじゃない。大体、貴公だから似合うのだ」
「おっ、珍しく褒めるじゃねえの。今日はおかずを一品増やしてやろう」
「……! くっ、なんという餌付け……!」
悔しいがヤオヒメの料理は認めざるを得ない腕前で、味を思い出すだけでも垂涎ものだ。魔王ともあろうものが餌付けされるのはどうなのか、と思いつつも抗えない魅力が彼女の料理にはあるのだ。
「ふわあ~。アタシなんか眠くなってきちゃった。ねえ、ヒメちゃん一緒に寝ましょ。アタシ、昔から人形とかペットがいないと落ち着かないのよね」
太陽の陽射しを克服してはいるものの、吸血鬼であるルヴィは昼間が最も眠たい時間で、あまり長時間当たっているのも気怠さを覚えるため活動は控えめだ。ヤオヒメはそんな彼女の事情を汲んで「仕方ねえのう」とフロレントに目配せする。
「今日は他に仕事もないから、もう休んで大丈夫よ」
「オウ、助かるぜ。じゃあ俺様もちょっくら昼寝すっかな」
もらった部屋に帰っていく二人を見送り、フロレントは「姉妹みたいね」と微笑ましく眺める。特にヤオヒメがルヴィを大切にしている風に感じた。
「うむ、確かに元々ヤオヒメは世話焼きでルヴィの事をよく気に掛けていたのは知っているが……魔界にいた頃はあれほど仲睦まじくはなかったな」
どんな心境の変化があったのか、エスタは羨ましく思う。ヤオヒメもルヴィも、何千年と先を共に生きる事ができる。だがフロレントは────。
少し考えて寂しくなり、そっと胸にしまい込む。
「さて。風呂も上がった事だし、ゴグマの所にでも行くか」
「そうね。大事な話を済ませたら私たちも休みましょ」
宮殿の中にいくつかある会議室のうち、一室をゴグマの好きなように改装させた。巨人族である彼の体はエスタやシャクラよりも大きいので、メイドたちにあてがっていた部屋では手狭だし家具も小さくて使い物にならない。
彼には彼の最も好ましい部屋があるはず、とフロレントが気を遣って与えた会議室は、すっかり子供の遊び部屋のように変化を遂げていた。
「ゴグマ、ちょっといいかしら?」
風船がぽよんと転がり、ずんぐりむっくりな道化師のぬいぐるみがぽてぽてと部屋の中を歩き回っている。ゴグマは大きな椅子に腰かけてタオルで顔を拭きながら「ああ、どうかしましたか」と振り返った。
いつもの服は上だけを脱いでいて、思っていたよりもがっちりした身体つきにフロレントは目を丸くする。だがそれ以上に彼女を驚かせたのは────。
「まっ。綺麗な顔してるのね」
綺麗な青灰の瞳。白塗りのメイクはなく、どうやったらと思うほど綺麗な肌をしている。鼻筋の通った整った顔立ちにはフロレントだけでなく、エスタも「貴公、そんな顔をしていたのか……」と意外そうにまじまじと見つめた。
「あんまり見ないでもらえます? メイクしてないときのワタクシはそれほど皆様を愉快にさせてあげられるような気分では御座いませんので」
「……お、おお……すまん。あまりに珍しかったからつい……」
想像よりもずっと冷たい眼差しに、エスタは思わず委縮した。
「それより、何か御用がおありなんでしょう」
風船をひとつ掴んでぽいっと投げると破裂して、テーブルと椅子が用意される。茶菓子も準備され、可愛らしい太っちょな道化師のぬいぐるみが、どこからともなくやってきて二人が座りやすいように椅子を動かす。
「あの。ゴグマってメイクは自分でやってるの?」
「ええ、全部。こればかりは魔法に頼るのはナンセンスな気がして」
鏡の前で肌を白く塗りながら彼は答えた。
「昔、クレールが現れるよりも前の人間界に、ちょっと暇潰しに足を運んだ事がございましてね。当時は大して人間に興味もなかったので手なんか出さなかったんですが、ひとつだけ魅了されたのが道化師という奴でした」
おどけた仕草で周囲に小馬鹿にされながらも、愉快に舞ってみせる姿。表情の読めない独特なメイク。何より度肝を抜いたのが奇抜な服装。特に気に入っているのが真っ赤で丸い艶やかな鼻だと言う。
「まあ、アナタには似合いそうにないですねえ」
「あはは……。私もちょっと似合う気はしないかな……」
いつもの道化の姿を取り戻したゴグマがニコッと優しく笑った。
「滑稽な方だとは思いますがね。さ、本題の話でもしましょうか?」




