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第16話「今の方が楽しくて」



 朝の陽ざしが宮殿の広大な前庭を照らす。皇都は移住してきた新たな臣民たちによって多少の賑わいがあり、新たな道を歩むアドワーズ皇国の姿は立派なものだ。活気に満ち溢れている。────宮殿にいる者たち以外は。


「……疲れたのう」


 湯船につかって、縁に腕を伸ばして天井を見上げる。ルヴィの生還による再会の喜びも束の間。それはそれとしてヤオヒメは身勝手な行動を咎められて、今朝方までこっぴどくエスタから説教を受け、ようやく解放されたばかりだった。


「あんたも大変ねぇ。良かれと思っての事だったんでしょうけど」


「そりゃそうさ。俺様はてめえより強いんだからよ」


 疲れを癒すのには湯浴みが一番だと勧められて、ルヴィは長い髪を丁寧に洗いながら、くすくすと疲れ気味のヤオヒメを見て思わず笑ってしまった。


 負けた事も腹立たしいが、最初から負けるのを見越してゴグマが待っていた上に、ついでに上半身を吹き飛ばされた事もイライラさせられた。


 助けるための演技に必要だったのか、と聞いたところ『あのヤオヒメに一撃を入れる機会、多分あれきりですから』などと別に必要なかったのを後から知り、今になって悔しさがこみ上げた。


「だから嫌いなんじゃ、あのクソッタレめ」


「綺麗な顔して言葉遣い汚いわねぇ」


「魔族が言葉遣いなんぞを嗜むとでも?」


 振り返った瞬間、投げつけられた石鹸が額にぶつかって湯船に沈む。


「貴公は負けて助けてもらった癖に、相手を悪く言うのは感心せんぞ」


「エスタ、てめえ……! ここへ来てまだ説教しようってのか!」


「御所望なら何時間でも。だが私も今は疲れを癒したい」


 風呂椅子に腰かけ、呆れた目でフロレントはヤオヒメを睨む。


「こっちは昨夜から山積みの書類仕事を済ませ、シャクラから話を聞いた直後に帰って来た負け犬に説教をして、その負け犬の役割だったルバルスの使節団の見送りまで済ませてからここへ来た。むしろ礼を言ってほしいものだ」


 返す言葉もなく、ぶくぶくと自ら沈んでいく。すうっと泳いで会話を拒絶するのに、とてもバツの悪そうな表情を浮かべながら離れていった。


「フッ……。それにしてもルヴィ。貴公が生きていて良かった」


「アハハ、本当にね。アタシも死んだと思ったわ」


 そう言いながら、スッと片目に手を伸ばす。


「フロレントには言ってないけど、右目なんか見えてないのよ。まともな再生すら出来ないほど魔核もズタボロ。……ゴグマがいなきゃ死んでた」


「うむ。アイツは嫌いだが、感謝せねばなるまい」


 ルヴィの華奢な体は傷が完全に癒えておらず、あちこち塞がってはいるものの痕はくっきりだ。いくら吸血鬼といえども酷い戦いの中、クレールの魔力による助力があったとしてもよく最後まで立っていたものだと感心する。


 よく見れば、片腕も肘に縫合の後があった。


「ゴグマも中々に良い仕事をするものだな。魔核だけでなく貴公の体が消えるより前に素早く縫いつけて消滅を防いだのか?」


「元々得意らしいわよ。あんなデカい手でよくやるわよね」


 ざばっと湯を被って体の泡を洗い流し、ホッとひと息つく。


「生きてて良かったわ。……大事な友達は失ったけど、もう殺す以外で助ける方法もなかったから安心しちゃった」


「うむ。なんであれ契約者も泣いて喜んだのだ、私も安心したよ」


 ルヴィがぺたぺたと歩いて広い湯船の中に飛び込み、すいっと泳いでエスタに向かい「あんたも早く来なさいよ、気持ち良いわよ」と楽しそうに声を掛けた。


 生きていなければ味わう事も無かった湯浴みの文化が気に入り、隅っこで関わろうとせず静かにしていたヤオヒメにくっつく。


「こうやって皆にまた会えて嬉しいわ。シャクラには残念そうにされちゃったけど、仕方ないわよね。出来損ないの体になったわけだし」


「そんな事はないさ。あれは喜び方を知らんだけだよ」


 仲間意識など持った事がないシャクラが『生きていたなら構わん』と口にしただけでも大きな変化だと言われて、ルヴィは嬉しそうに足を揺らす。


「そうかなあ。だと良いんだけどなあ」


「俺様もエスタと同じ意見じゃ、あれは随分と変わった気がするのう」


 取り出した盃に満たされた酒をぐいっと飲む。


「魔族だなんだと言って、結局俺様たちはよう……人間ってのが好きなんじゃねえかなぁ。ただ憧れや敬意の裏に張り付いてた嫉妬なんぞを信じて、あれは嫌うべき対象だと言い聞かせてた。でなきゃ姿形まで似せたりするかのう」


 その言葉に、しんと静まり返った。時間が経てば経つほど胸に湧きあがる新しい感情。知らなかっただけで、知ってみればすとんと腑に落ちる。


 理由があって人間を憎んだのは、せいぜいヤオヒメくらいなものだ。しかし、それでもフロレントに期待を寄せて、結局は愛してしまっている。愚かでどうしようもないと自分でも思うほどに。


「アタシも……。こっちの生活の方が楽しいなって今は思う。一緒にご飯食べて、どうでもいい話して笑って……。すごく自由になった気がするから」


 闘争ばかりが生きる目的だと見据えて来たのは、彼女たちが魔界という場所に産み落とされたからに他ならない。生きるか死ぬか。そればかりに支配されてきた。だから、千年を過ぎた今になって新たな生き方を見つけた事に嬉しさと不安を抱えた。どちらが自分にとって正しい生き方なのだろうか、と。


「私も、ずっと悩んでいる。最初は契約者との決別の時が来ると思っていた。だが、今はどちらを選ぶべきか分からない。たとえ人々に怖れられるとしても、共に生きていく道があるのではないかと期待すら……。良くない事なのに」


 また沈黙。誰も正解を持っていない。


「あら、みんなどうしたの?」


 やっと所用を済ませて湯浴みにやってきたフロレントが不思議そうに首を傾げてニッコリ微笑む。三人共が『誰のせいだと思ってる』とジト目を向けた。


「あっ。エスタ、石鹸忘れちゃったから借りていい?」


「……うむ。私は全然構わんよ」


 なんの邪気もない姿にヤオヒメがクッと小さく笑った。


「こりゃあ勝てんわいのう。考える時間が無駄じゃったかな」

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