第12話「形勢逆転」
事態が良くない方向へ向かっていると察したのはマンセマットだけだ。ただの結界ではなく、周囲の景色が変わったのを見て『異空間の中に閉じ込められている』と察した。集団を相手取ったヤオヒメの最強の結界魔法。《天邪鬼大結界》は自身が数的不利であればあるほど強さを増す。
「メイデス、油断しないように。ただの結界じゃない」
「わかってるって、旦那。アイツが強い事くらいさ」
忠告を大して理解していないのだろう、とマンセマットは心底呆れる。扱いやすそうな種族でも彼女ほど単純な奴はいないと引き入れたものの、目の前の敵が如何ほどの強さを持っているかなど気にも留めていないのだ。
「やれやれ……。せっかく用意した死体共だが意味がなさそうだな」
予感は的中する。仕方なくメイデスが戦う前に死体を操って襲い掛からせてみると、ヤオヒメが一歩たりとも────否、ぴくりともしていないのに次々と破壊されて動かなくなっていく。そもそも近付く事さえ間違っているのではないかと思う状況をマンセマットも流石に危険だと撤退の意思を示した。
「メイデス、この結界内でアレと戦うのはマズい。仕留めたい気持ちはあるが、どうも魔力の流れを見るに数が多い方が不利に働くようだ」
杖の石突でコンと足下を叩く。黒い渦が小さく広がった。
「機が熟すまでは下がれ。ここで計画を足踏みにされるのは面倒だ」
「何言ってんだい? 相手はたかが一匹、アタシらでどうにかなるだろ」
「……まあ、無理だとは言わないがリスクはあるぞ」
「そんなもんは魔族同士の戦いならいくらでもある話さね!」
オーガの最も得意とする戦いは肉弾戦だが、個体によって異なった能力を発揮する。高い魔力を持てば持つほどより強力になり、ユピトラが破壊力に特化するならメイデスは防御力に特化した。
銀色に染まった腕は鋼鉄の如き硬さを誇り、ましてオーガのような元々から強靭な肉体によって放たれる彼女の拳や蹴りの一撃は大砲を思わせる。
「遅いガキじゃのう」
高揚から一転、動揺が顔色に滲む。正面から殴り飛ばしてやろうとして、たった指一本でヤオヒメに受け止められたのだ。
「俺様の結界の中で死体共がいなくなれば元通りとでも思うたなら残念じゃったのう。────格がちげぇんだよ、小娘」
つうっ、と拳を指が這った瞬間、きらっと光って大爆発を起こす。片腕を爆弾の如く炸裂させられたメイデスが吹っ飛ぶのを、マンセマットは横目に見てため息が漏れそうになるのを堪えた。
「やはり野蛮なだけが取り柄のオーガ風情ではお嬢さんには軽すぎたか」
「てめえにお嬢さんなんて呼ばれる歳じゃねえよ、小僧」
「私にとっては興味の惹かれる女性は皆がお嬢さんだよ、禍津八鬼姫」
杖を差し向け、そっと帽子を押さえる。
「これが良いかな。……《拙悪の刻印》」
杖の先に小さな紫紺の光が灯って、一瞬強い風が舞うと消えた。
「……? なんじゃ、てめえ一体何を────」
殺気に気付く。音もなく背後に迫ったゴグマの姿。普段ならばもっと早くに察せたはずが、反応が大きく遅れてほぼ無抵抗に至近距離からボール爆弾の直撃を受けて上半身が吹き飛んだ。
即座に再生して距離を取り、心臓がバクバクと警鐘を鳴らすのを聴きながら隠せない動揺の中で敵の数を正確に捉える。
(三体、それも上位の魔族じゃ。有象無象とは違うゆえに《天邪鬼大結界》ならば、俺様の方が圧倒的優位にあるはず……何が起きておる?)
いや、そもそも。どう見積もっても、マンセマットをはじめ、立ちはだかった者たちの個々の強さなど高が知れている。魔力の量も質も何千年を生きてきた禍津八鬼姫を超えられる者はいない。彼女には理解ができなかった。自分が後れを取るなど信じられない状況が。
「よそ見ばっかしてんじゃないよ、女狐さん!」
まただ、とヤオヒメは自分の反応速度が大きく遅れる奇妙な感覚に苛立った。たかだかオーガの、それも頂点に立つに相応しくない者の拳が躱せない。腕で庇い、圧し折れる鈍い音がした。
殴り飛ばされる久方ぶりの痛みの感触に、ギリッと歯を軋ませる。
「やってくれたな、鳥頭野郎ォォォ……!」
胸元に浮かぶ、紫紺に輝く山羊の頭骨を模った紋様。触れれば分かる呪いの類。それもヤオヒメでさえ簡単には解けないほどの技術だった。
「残念だったね。君がいかに無敵の再生力を持とうとも、私の刻印は君の器としての能力を大幅に低下させる。分かるだろう、自分が最底辺の魔族もかくやの脆弱に身を落としているか……。まあ、囮に片腕を使わせてしまったがね」
メイデスが失った片腕を見ながら不愉快に唇をかむ。
「後で新しいの作ってくれよ、旦那」
「もちろんピッタリのモノを用意するとも」
マンセマットは少しだけ高揚した声を発して、ブーツのかかとを鳴らす。
「結界がいかに不利を覆すためのモノだとしても、それは個体の強さによって〝一定の魔力が上乗せされる〟程度。今の弱まった君では我々には勝てない」
膝を突くヤオヒメの前に立ち、杖の先で顎を持ち上げ────。
「形勢逆転という奴だよ、お嬢さん」