第9話「許可はもらえない」
魔法を使えるという嬉しさ。過信はなかったが、もし自分にシャクラが認めてくれるほどの才能があるのなら。いつかはエスタに頼るばかりではなく何かひとつでも──どんなに小さな事であっても──役に立てる事があるかもしれない事が、彼女に時間も忘れさせるほど夢中にさせた。
やっと手を止めて休憩に入ったのが、月の昇りそうな頃。
「精が出るのう、あの短時間でようやっておる」
「ヤオヒメ! 見に来てくれたの?」
「てめえがメシも食わずに忙しそうだったんでのう」
ひょいと何かが投げられて受け取る。温かい米が三角形になっていて「差し入れじゃ」と彼女はニカッと笑った。すっかり元気になって、ホッとする。
「ありがとう。ねえ、これって?」
「おにぎりという。昔はよう喰うたもんじゃ」
一緒に食べるために自分の分も持っていて、真っ二つに割った。
「ほれ、中に具も入っておる。梅干しと言ってな? 少々酸っぱいが疲れに良いんじゃ。最初は苦手かもしれんが、そのうち癖になる」
言われる前に食べて、フロレントは小声で「しゅっぱい……」と泣きそうな顔で口を窄めた。きちんと話を最後まで聞けば良かったと後悔する。
「ぎゃっはっは! なんと愛い奴よ、馬鹿よのお!」
「もうっ。本当に酸っぱくて泣きそう」
「慣れじゃ、慣れ。恋しくなってくるんじゃこれが」
まったく平気そうな顔でヤオヒメはぺろりと平らげた。
「それよりも。てめえ、あの短い時間でシャクラの言った事を鵜呑みにして練習するたあ、中々やるもんじゃな。しかも本当に出来るとはのう」
「……? 待って、それってどういう事?」
ヤオヒメが自分の指先に大きな水の球体を作ってみせる。
「俺様たち魔族が使う魔力の扱いってのは単純じゃが楽でもねえ。たとえ指でつまめる程度の大きさだとしても、昨日や今日の努力で出来る人間なんぞは昔の魔導師共にもいない。だから修練ってのを積むんじゃ」
水が弾けると今度は指先に炎の球体が現れた。
「クレールを除くすべての魔導師は、魔法陣を描いて『決まり切った形』を再現する。てめえの想像力だけで球体を作るってのは簡単じゃねえのさ」
炎がフッと消えると今度は土の塊。最後には光が球体を作った。
「魔族の扱いに似てるからっつって実際にやってのけるなんぞ、まともな人間に出来る業じゃねえ。……シャクラに任せて正解だった。きっとクレールに並ぶ大魔導師になれる。いや、むしろ────」
フロレントの魔力が増えている事に気付き、少し悲しそうな顔をする。
「……クレールの遺した千年を越えた希望か。てめえは大物になるぜ、フロレント」
月が昇り、夜の闇が静けさを連れて来る。
「さ、メシも食うたし、そろそろ終いにしておけ。初日から急くなとは言わぬが、歩幅は調節した方が良い。この後は会議があるが俺様に任せろ」
「本当に大丈夫? 不機嫌になったりしないわよね?」
心配そうに見つめられて、けらけら笑った。
「てめえ、大事な事忘れちゃいるまいな。甘い汁に集って来るハエ共を放り出すのに、俺様ほど有能な奴はいねえと思うんじゃがのう?」
すっと髪を指ですくい、自分の耳を見せた。頭にある獣の耳だけでなく人間の耳も持ち、心の声を聞く事が出来るヤオヒメは、これ以上ない適任だ。
これから皇都の復興を進めていく中で必ず現れる厄介者たちがいる。魔族などよりよほど狡猾な存在。平和な世界を生きる人間にとって最も難解で苦しめられる敵は同じ人間に他ならない。それを心を読める彼女が追い払おうと言う。
「う~ん。でも、やっぱり私も会議には出るわ」
「なぜ? そんなにも疲れた顔をしておきながら?」
「だって今日はハシスも来ているでしょう」
ルバルスでは多少ひと悶着あったものの、今の関係は良好だ。帝都でゴグマたち魔族の討伐が済んだ後、どの国よりも早く皇都へやってきて彼女たちの無事を確かめ、『私たちに出来る事があれば』と惜しみない支援を約束し、復興までの計画も共に深く話し合った。ヤオヒメも信じて問題ないと言うほど彼の中には熱意があり、その礼に報いるのがアドワーズ皇国で先頭に立つ者の務めだとフロレントは熱く話しながら譲ろうとしない。
「後でエスタに叱られて困るのはてめえじゃろうに」
「そっ、そこはほら! エスタも許してくれるわ、多分ね?」
聞く耳を持たないヤオヒメがくすくす笑いながら歩きだすのを追いかけて必死になんとか一緒にエスタを説得してもらおうとする。
「ね、お願い。ヤオヒメがいてくれたらエスタもそんなに怒らないと思うんだけど。今度代わりに何か頼み事聞いてあげるから!」
「どうしようかのう。俺様は別にしてほしい事ぁねえからなァ」
仲睦まじい光景。ルヴィがいなくなった傷は欠片ほども癒えてはいないが、フロレントと言う支えがまだ残っている。少しは明るさも戻ったみたいだと表情を見て察せる穏やかさ。温かい空気が流れて────吹き飛んだ。
「ほう。私を説得して済む話とはぜひ聞かせてもらいたいものだな」
明らかに怒っている声色に、フロレントはヒヤリと背筋を凍り付かせる。剣を地面に突き立てて、じろりと冷めた瞳でエスタが『どうせそんな事だろうと思った』と待ち構えていた。
「会議には出させんぞ。その疲れた青白い顔で許可などするわけがないだろう。────それとも納得いくまで私と話でもしようか、朝まで」




