第8話「必ず辿り着ける」
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「────と、いう事情で俺が教育係になった」
突拍子ないが夢のある話で、いきなりシャクラに中庭に呼び出されて何を言われるのかと思っていたが、期待にきらきらと目を輝かせた。
「つまり、私も魔法が使えるようになるのね!」
「きちんと修練を積めばの話だ」
「出来るわ。私、昔から体を動かすのは好きなの」
「皇都の復興にも尽力しながら昼夜問わず?」
「……や、やってみるしか。大変だとは思うけど」
いくら書類仕事をエスタが出来るようになり、ヤオヒメが家事全般を代わってくれたとしても、彼女自身が携わらないわけにはいかず、会いに来る人々から近況の報告や今後の方針のために会議まで開くほど忙しいのだ。その中で時間を縫って修練を積めるのか。無理が祟れば話にもならないときっちり一蹴された。
「書類仕事はエスタに一任しろ。会議はヤオヒメに出てもらえ」
「ええっ……。それって私はこっちに集中するって事?」
自分の国の復興なのに。恨み節が聞こえてきそうな表情を向けられても彼は取り合わない。心底どうでもよさげに耳に指を突っ込んで掻きながら────。
「なら修練は積まなくていい。お前の魔力は小さいから今すぐに影響は出ないだろう。いざというときに臣民を苦しめるのがお前自身になってもいいのなら好きにしろ。俺は頼まれただけで契約などしていないんだ」
大きなあくびをして、ぐっと背伸びする。
フロレントを見つめる瞳が険しかった。
「だが覚えておけ、不完全な器が宿す魔力はやがてお前を蝕む。それは便利な道具ではない。力の扱い方を覚えるのも仕事だ。扱い方次第で傷付ける事も癒す事もできるものを扱えれば、たかが人間の兵士如き相手にもならん。かつて守られて逃げ惑うだけだったお前が、今度は守る事が出来るというのに。いやはや残念だ、覚える気がないとは勿体ない。実に勿体ないが仕方ないな」
頭をくしゃくしゃと撫でて、歩いて立ち去ろうとする。その背中に待ったを掛けて、顔を真っ赤にしたフロレントが「やらないとは言ってないじゃない!」と大きな声を拾い中庭に響かせた。
「ククッ、本当に愉快な奴め。お前の、その負けず嫌いなところがルヴィを思い出すよ。あいつもそうやって嫌そうにしながら、ちょっと焚きつけるとすぐにやる気になってくれたものだ」
寂しそうに微笑んだシャクラの顔を見て、フロレントは胸の中に燃えていた僅かな怒りがすうっと消えていくのを感じた。
「……ルヴィの事、ずっとあなたが育ててたのよね」
「ああ。随分と昔からよく知ってる」
空を見上げる。早い風の流れが暗雲を運んだ。
「知ってるか? アイツの体に仕込まれた猛毒はヤオヒメの秘術によるものだ。いつか俺を超えるために、わざわざ頼ったんだと。だが結局それも俺には通用しなかったがね。最初は相当な苦痛だったらしい、健気な話だよ」
ふうっ、と目を閉じて、言葉を紡ぐのをやめた。
「……よし。下らん話はここまでにして、さっそく修練を始めるとしようか。もっと聞きたそうな顔だが、続きはお前が魔力を完璧に扱えてからだ」
「ええ~っ。仕方ないわね、それならすぐマスターしてみせるわ!」
絶対に続きが聞きたかった。シャクラやルヴィ、仲間たちの過去を彼女は知らない。千年以上をも生きて、祖先であるクレールとの激闘を経てきた彼らだけが知る遠い昔の話は多くの人々が興味の惹かれる内容だ。特に十八年という、彼らにとっては数時間前にも等しい程度の時間しか生きていないフロレントにとって、自分に関わる歴史とは興味深くどこまでも追求したくなるものだった。
「まずは魔力のイメージだ。本来、昔の人間でも魔法を扱う際には魔法陣を描く必要があったが、お前はクレールの血を引いているから、おそらく直感的な行使が可能だろう。目を瞑って流れる水を想像してみろ」
言われたとおりにしてみる。シャクラはフロレントの両手のひらを空に向けさせながら「落ち着いて、その流れる水が丸い容器の中を満たす光景を意識しろ」と次の指示をする。必死に眉間にしわを寄せている姿を笑いそうになりながら、彼は「いいぞ、目を開けても」と告げた。
ゆっくり目を見開いた先で、彼女は目を丸くした。広げられた手のひらの上には、確かに水の球体が浮かんでいるのだ。すぐに崩れてしまったが、シャクラは呑み込みが早いとよく褒めた。
「クレールの魔力の扱い方は俺たち魔族に近い。だがあれは……ハッキリ言って天才の域だった。魔力そのもので魔法陣を描く事さえしてみせた」
かつて封印されたときの事を思い出して、フッ、と笑った。
「お前、以前俺に言ったな。景色が綺麗だったと。俺には人間の言う芸術だのなんだのはちっとも分からんと思っていたが、もしあの言葉を俺なりの解釈で使うのだとしたら────クレールの魔法は実に美しかった」
ぱちんと指を鳴らすと彼女の手の中で崩れて残った水がまた形を創った。
「意識ひとつで魔法を自由自在に扱ってみせた大魔導師。それがクレール・ディア・アドワーズ。そしてお前は奴の血を引く天才だ。必ず同じ領域に辿り着けるだろう。俺が保証してやるとも」
水の球体を摘まみ、きゅっと握りつぶす。
「今はこの程度が出来れば良い。何時間でもいい、とにかく練習してみろ。俺の見立てが正しければ、その小さな魔力が消える事はない」
「うん。じゃあ練習してみるわね。ありがとう、シャクラ」
ふむ、と彼は不思議そうな表情を作った。
「なんともこそばゆい感覚だな。俺もおかしくなったか」
背中をくるっと向けて手を振りながら、腹が減ったと帰っていく。
「今日は様子を見る。さっきの指で摘まめる大きさのものでいい、ひと晩で完璧に維持できるようになれれば、次の段階へ進むとしよう」
フロレントはふんすと鼻を鳴らして『絶対に期待に応えてみせなくちゃ』と意気込んで、さっそく練習に励む事にした。時間を忘れて、日が暮れるまで。