第5話「失う苦しみ」
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「……あれから二ヶ月。なんの手掛かりもないの?」
宮殿の執務室で窓の外に皇都の復旧作業が続くのを眺めながら、フロレントは書類の束と格闘しつつ尋ねる。エスタの表情も浮かない。
「うむ。既に魔界でシャクラも痕跡を探しているが、敵はこちらが思っているより巧妙に気配を隠しているようだ。おそらく特化した能力を持つのだろう」
彼女たちの元にルヴィ・ドラクレアが戦死した報が届いてから、敵は戦力差を考えてか、行方を晦ましたまま現れず、シャクラの超広範囲の探知能力を以てしても特定する事は出来なかった。
ひとつだけ進展があった事はといえば、魔界で漂う残り香のように何体かの魔族が健在である事を示す気配だけ。複数体いるうち、ひとつがマンセマットであった点のみ。残念ながら追跡には至らなかった。
「今後も調査は続けておく。……それにしても皇都も随分と活気を得て来たな。かつてがどうであったかまで知らぬから大した事は言えんが」
「ええ、そうね。ヤオヒメのおかげで移住者の受け入れも早まったから」
皇都は酷い有様だった。火災にで焼失したり倒壊して使い物にならなくなった建物も、ヤオヒメの能力によって投入された疲れ知らずの木偶人形たちが昼夜問わずの清掃や復旧を行い、二ヶ月も経たないうちから他国の移住希望者の受け入れを始める事ができた。その多くがアドワーズ皇国から旅立っていった者たちや嫁いでいった者たちで埋まっており、皇国はかつて栄えていたときほどではなくとも確かに、徐々にだが明るさを取り戻している。
「アドワーズ皇国が如何に愛されているかが分かるよ。皆がこうして戻って来てくれるのだから。そなたの国は素晴らしいな、私も誇りに思う」
血が流れてるからというだけで国の窮地にやってきた者もいる。都市は慣れないので小さな村を作りたいと言えば、派遣された木偶人形たちと共に新たな地を築き始めた人々もいる。時が経てばまた美しいアドワーズ皇国が蘇るだろう、と流れる時間に確かな手応えがあった。
「あなたたちがいてくれたおかげよ。一人では何もできなかった」
「うむ、そう言われるとむず痒い。……あ、ところでなんだが」
腕を組み、指をとんとん動かしながら、また浮かない表情に戻った。
「あの日からヤオヒメが部屋から出て来ないのだ。相変わらずの仕事ぶりではあるが、ルヴィの戦死で精神的に参ってしまっているようでな。私がいくら呼びかけてみても返事がないんだ。どうにかしてやれないだろうか?」
ヤオヒメがどうしてルヴィをそこまで愛していたのかを誰も知らない。ゆえに言葉の掛けようもなく、感情への理解はあってもまだまだ成長途中と言えるエスタでは、彼女の心を揺り動かすほどの能力を持ち合わせていない。
頼るならばフロレント以外にいないだろう、とダメもとで頼んだ。
「う~ん……。そっとしておいてあげたいけれど、そうも行かないわよね。いつまでも塞ぎ込んだままになってしまうのは良くない事だから」
長い髪を紐で縛って気合を入れ、書類と戦うのは中断した。彼女が想像しているよりずっとエスタも呑み込みが早く頼り甲斐があり、後の処理を任せて急ぎ気味にヤオヒメの部屋へ向かう。
宮殿の中には隅の方にメイドたちに与えていた部屋がある。複数人が寝泊まりするため、それなりに広いので今はヤオヒメが改装して使っていた。
(……ああ、扉を叩くのが緊張する)
誰もが最初はヤオヒメが怒り狂うのだと思っていたが、実際には逆だった。ひどく落ち込んで、ときどき食事をするときや与えられた仕事をする以外では部屋からまったく出てこようとしなかった。
「ヤオヒメ、入ってもいいかしら」
返事はない。だが、扉がひとりでにぎいっと開く。
中は真っ暗だ。カーテンを閉め切り、僅かに差す陽射しが部屋の視界をいくらか確保してくれているだけ。空気は重たく息が詰まりそうだ。
「ごめんなさい。あなたが塞ぎ込んでいるって聞いて、少し話がしたくなったの。迷惑だったら出て行くから、遠慮なく言ってくれれば……」
「構わぬ。迷惑であれば最初から扉など開けなかった」
沈んだ声。カーテンが閉まっているというのに、窓の前に立って彼女は背を向けたまま。手が拳を握って、小さく震えていた。
「俺様はいつも孤独じゃった。奪われるのは己自身で、だからこそ怒りを覚えた。幾度となく豊作をもたらしてやったのに、俺様を裏切って殺した連中が憎かった。……じゃがのう、今回は違う。奪われたのは友の命なんじゃ」
俯いて、声を必死に絞って嘆きを吐き出す。
「てめえは強い。俺様なんかよりずっと。この胸の痛みが、心の苦しみが、耐えられぬのじゃ。友を失う辛さがこれほどのものじゃと俺様は知らなんだ」
振り返った途端、ヤオヒメは両手で顔を覆って泣き崩れてしまう。
大切な友。大切な家族とさえ思っていた。共に未来を見届けると約束した相手が、誰とも知らぬ敵の手によって奪われた。自らが殺されるのは分かる。自らが殺すのも分かる。だが、初めての経験に戸惑い、苦しみ、嘆き悲しんだ。
「こんなにも奴らが憎いのに、俺様はこんなにもルヴィを失った現実を受け入れられない。立ち上がる気力も奪われてしもうた。なあ、どうすればいい? どうすれば俺様は以前のように振舞える? この感情はなんじゃ、燃え盛っておるというのに扱い方が分からぬ。苦しいよ、フロレント……」
そっと傍に寄り添い、優しく抱きしめて頭を撫でた。家族を失ったフロレントには彼女の心の痛みが分かる。可哀想にと単純な言葉では慰めきれない、とてつもなく深い闇の中に落ちてしまう苦しみが。
「私も辛いわ。あなたは休んでてもいい。だけど、必ず仇は取ってみせる。エスタやシャクラも力を貸してくれてるから大丈夫。傷は深ければ深いほど癒えるのに時間が掛かるものよ。……今はただルヴィのために祈ってあげて」




