第48話「我が王の傍に」
最後の仕上げだと二人に各国へ駆けてもらい、フロレントとエスタはアパオーサに跨って、少しだけゆっくりアドワーズ皇国へ帰還する。
長いようで短く、短いようで長かった。何もかも荷が下りた気がして、全身にどっと溜まっていた疲労に襲われた。
「眠たいか、契約者」
うつらうつらと朧げな視界。もう憂う事などない。帝国はまだしも、皇国は既に国としての存続は難しい。だが多くの人々の流入で新しい国を創る事はできるかもしれない。やっと明るい兆しに向かって歩いて行けるのだ。今はただ全てを忘れて休みたいと目をやわに擦った。
「うん、ちょっと。でも平気、帰るまでは起きてる」
「別に私がいるから寝ても良いのだぞ」
「違うわ、起きていたいの。今日の景色を覚えておきたくて」
流れていく景色が美しかった。少し前には戦火に恐怖と絶望を抱き、大切なものを全て失った悲しみに満たされて何もかもがセピアに染まった世界も、気付けば彩りのある姿を取り戻している。
また失うのは怖い。それでも前に進めるように今の景色を忘れない。何もかもを失った先で得た、ひとつの希望。ひとつの辿り着いた場所。過去には戻れない。だが前に進めば得られるものはある。そう信じて、何があっても自分を見失わないと決意するために。
「これからだな、契約者。アドワーズ皇国の再建には、きっと多くの者が力を貸してくれるはずだ。もちろん、そなたを利用しようとする者もいるだろう。だが、そのときは私を頼るがいい。私以上の闇など存在せぬと教えてやろう」
「ふふっ、振り払ってくれるんじゃないんだ?」
指摘を受けると、照れて頬を掻く。
「やはり魔族に希望などという言葉は似合わぬかと思ってな。どちらかといえば恐怖を植え付けてやる方がよほど良い。邪悪には邪悪が最も効果的だ」
クレールのような聖者であれば違っただろうにとエスタが呟いて、フロレントがそんな事はないと否定した。
「魔族だからって邪悪だなんて事はないわ。あなたは私を助けてくれたもの。……あのとき、もうダメだって一度は諦めたのよ。でも、あなたの響く声はどこまでも心強くて、あっという間に希望を抱けた。私自身の運命を賭ける事が出来た」
感謝の言葉しかない。自分の命のみならず、風前の灯火となったアドワーズ皇国を守り抜く事ができた。帝国という巨大な脅威さえ討ち果たしたのだ。そして最後まで────今もなお、彼女はフロレントを守ろうとしている。
「本当に一緒にいて良かったの、あなたは?」
「十分に自由にさせてもらっているさ」
エスタに抱き着く腕に、ぎゅっと力がこもった。
「……あなた、最初から私と契約なんて交わしていなかったんでしょう。なのに、どうして私と契約を結んだようなフリをしていたの?」
「う、むう。気付いていたのか。すまない、騙すような事を」
バツの悪そうな顔を浮かべる。抱き着いて顔をうずめるフロレントが怒っているのではないかと心配したが、彼女は静かに続けた。
「皆の契約書が燃えたとき、あなただけは何もなかった。よく考えれば私も気付くべきだったのよ。全員が封印を解いてから契約書を出していたから」
シャクラのときは問いかけがあって初めて契約書を差し出された。ルヴィのときは力でねじ伏せ、説得してから。ヤオヒメのときは賭けに勝って。振り返れば、エスタもそうだった。封印を解いた後に一度だけ契約書を取り出していた。
「契約書を交わさなかったのに、あなたはずっと私のために動いてくれた。私を守り続けてくれた。どんなときも絶対に裏切らずに。……ねえ、私、どんな表情であなたに礼を言えばいいのか分からないの」
声が震える。ずっと自分の事を守ってくれていた事。それが契約を通したものでなかった事が分かり、どれだけの感謝を伝えればいいのか。ただクレールの血統というだけで守り抜くには自分はあまりにもちっぽけだったはずだ、と。
抱きしめ返すエスタは、彼女を大事そうにしながら────。
「最初はクレールの言葉の意味が分からなかった。だが今なら分かる。……どうか微笑んでいてほしい。そなたの泣き顔を見ると私も悲しいのだ」
フロレントが顔をあげて、目を丸くする。悲しいなどという感情がよく分からなかったエスタのほうが、ずっと悲しそうな表情で笑っていた。
「寂しさも悲しさも遠く理解できぬものだと思っていたが、いまさらになって思うよ。失うのは怖い。千年の退屈よりもずっと。そなたほど理解はできまいが、私にもクレールという大切な者が、たしかにあったのだ」
もう戻らない過去。長く生きすぎて、長く頂きに立ち過ぎて、地に降りて初めて知った。失われた命は遠く輪廻の旅に出てしまう。手を伸ばした時にはもう遅かったのだと知ったのが千年を経た後だった。
「だが今はそなたの方がずっと大切だ。失ったものよりも、今を生きるそなたを守りたい。……これは私の我侭であり、勝手な願いだ。そなたが望まずとも、私は共に在り続けよう。そなたが私を信じてくれる限り」
温かい言葉に、目に浮かんだ涙を指で拭う。申し訳なさを感じる必要はない。大事なのは『嬉しい』と彼女の言葉を心から抱きしめる事だ。
「絶対に傍にいてくれると約束してくれる?」
「もちろんだ、契約者。いや────我が王よ」




