第44話「もう大丈夫だね」
「エスタ! 良かった、あなたが無事で……」
遠くからフロレントが駆け寄って抱き着く。絶対に勝ってくれると信じてはいても、どうやっても拭いきれない不安に圧し潰されそうだった。
「大丈夫だよ、契約者。私は誰にも負けたりはしないさ」
「分かってるわ。でも、それでも怖かったのよ」
ずっと近くにい続けて忘れかけていた。フロレントは一度、家族も友人も全て失っている。いまさら失うものなどないだろうと思っても、彼女にとっては今やエスタたちが掛け替えのない仲間であり、家族同然であった。
「……そなたには心配を掛けたな」
抱き着くのに鎧では体が痛かろうと捨て去り、優しく抱きしめ返す。守りたかったものは守り通せた、と強く安心して。
「ケッ、イチャコラしやがってよお。俺様は不愉快なんじゃが?」
「む。それは失敬、貴公にも世話になったな」
「契約通りにやっとるだけじゃ。……ゴグマは死んだのか?」
「ああ。流石に灰になっても再生するのは貴公くらいだろう」
キセルを揺らしながら自慢げに鼻を鳴らす。
「当然じゃ。てめえとシャクラがいなけりゃあ、未だ魔王の席は俺様が座ってるって事を忘れてんじゃあるまいな?」
「忘れてないよ。さて、そろそろ外の様子も気になるから帰ろう」
ぐらっ、と膝を突く。前のエスタなら考えられなかったが、ゴグマの吸収を上回るために放出した魔力の代償か、無自覚にほとんど使い果たしていた。
「エスタ、大丈夫!?」
「オウオウ、随分無茶したのう」
一本だけ尻尾がふわっと生えてくる。
「使え。今回は特別にてめえを助けてやる」
「……ひとつ借りが出来たな」
「俺様が返してほしいときに返してもらうわいのう」
尻尾を掴もうと手を伸ばした瞬間、結界に罅が入る。彼女の創った領域も魔力を失った影響で維持が出来ず、崩壊も秒読みだ。
「ったく。こんなにも早く結界が消えちまうほどたあ、ゴグマの奴、吸収する能力が以前に比べて随分と強くなってやがったんかいのう」
「帝都の人間を全て喰らったのだ、当然だとも言えるがな」
ヤオヒメの尾ですっかり回復して立ち上がり、ひと息つく。
「あの男も味方に引き入れられれば良かったのだが」
結界の裂け目から揃って外へ出た後、エスタがググッと伸びをする。フロレントは彼女が創った結界の中を振り返った。
「千年前の都市なのよね、この結界は」
「うむ。私が滅ぼして、私が封印された地だ」
優しくぽんとフロレントの頭を撫でた。
「この戦いが全て終わったら話そう。千年前に此処で起きた事を」
「……うん。そうね、是非聞かせてほしいわ」
じっと見つめた結界の先に、フロレントが何かを見つけた。温かく輝く黄金色をした魔力の塊だが、彼女にはそれが何か分からなかった。
「エスタ、あの光は何? あんなもの、さっきは無かったわよね」
「うん? 私の結界の中に何か見つけて────」
口を開けたまま、紡ぐべき言葉を見失った。エスタには見えている。黄金の魔力の塊などではなく、その中にハッキリとした形で。
「オウオウ。ありゃあ、クレールの魔力じゃろう?」
「ああ、なぜ私の結界の中にあれが存在するのか分からんが」
存在するはずのない過去の遺物。だが、確かにそこにあった。ゆっくり動き出したクレールの面影は、結界の外まで来てフロレントの前に立った。
『もう大丈夫だね、エスタ。ありがとう』
黄金の輝きが結界と共に消えて空へ散っていく。心配性なクレールの名残。結界の中で、いつか来る時を待ち続けた魂の片鱗とも言える魔力。ずっと近くにいたのか、と呆れさせられた。
「……そなたらは心配性なところまでそっくりだな。私をなんだと?」
「出来の悪い姉妹みてえなもんじゃろうな。くくっ……」
遠い未来。信じていると言っても必ず思い描いたものになるとは限らない。エスタが結界を使う程の戦いが起きて勝利を収めたときが再会と別れの時。僅かな時間だけ自分の魂を存在させるクレールの仕掛けた魔法だった。
「フ、随分と悔しかったろうな。ずっと私の中で眠り続けていたとしても、感じていたはずだ。この世界の慟哭と人々の嘆きを」
「俺様なら耐えられそうにないのう。もがく事も許されねえとは」
愛した人々が自分の創った未来をも壊しかねない事は、なんとなく分かっていた。それでも必ず自分が築き上げたものは無駄にならないとクレールは信じた。紡がれていく血統と、誓いを立てた仲間なら、きっと。
「もう会えんものだと思っていたが」
空をくるりと舞った黄金の輝きが見えなくなるのを、エスタはフッと笑って見上げながら、傍にいたフロレントの頭にぽんっとまた手を置く。
「契約者。私はこれからもそなたの仲間だぞ」
「うん。……ありがとう」
帝国への復讐心も、魔族への不信感もない。ただそこに争いがあっただけ。奪い、奪われ、そして潰えた。何もかも失って絶望の中に一度は沈みながら、それでも前を向いて歩き、やっとひとつが手に入った気がした。
「てめえらよう。談笑も悪くはないが、そろそろルヴィの戦いぶりも見てやらねば哀れじゃろうて。あっちはあっちで面白い事になっとるようじゃからのう」




