第41話「ショウタイム!」
千年の隔たりは確かにある。空白の期間が僅かに腕を鈍らせているような気さえしたが、それでもなお他の追随を許さぬ圧倒的なまでの強さを見せつけ、魔王の座を健在と証明した。
目ではとても捉えきれないフロレントも、触れたルヴィの魔力を通じて砂煙の中に感じる強大な気配が、他の二つの気配を紙でも握りつぶすくらいの軽さで捻じ伏せたのに息を呑む。自分が目覚めさせた存在が力を取り戻した事で、既に人間の世界など葬るに容易いだろうと理解できた。
だが当の本人はと言えば砂煙が晴れてフロレントに振り返って、ニコニコ嬉しそうに「かっこよかっただろう!」と手をあげる。
魔王も形無しの姿をゴグマがげらげら可笑しそうにした。
「あっひゃっひゃ……! そうですか、そうですか。やはり愛されておられますね、元々人間に興味津々なのは存じ上げておりましたが」
骨ばった手で、唇を何度も指ではねる。
「残念ですねえ、そんな表情を頂ける光栄がワタクシも欲しかった。いくらこっちが愉快な演劇を用意しても、あなたはくすりともしてくれなかったのに」
「貴公の悪趣味を私が喜ぶとでも? 空気も読めぬ道化めが」
細められた目を快感のようにぞくりと感じて「それがまた良い……!」と身を抱きながらくねくねと動く姿を、エスタが気持ち悪い奴だと顔を顰める。
「しかし残念ながら、ワタクシも遊んでばかりはいられない。あなた方と対峙するにはあまりに戦力に差がありすぎますしねェ」
大きな手で影を作り、空から降り注ぐ光の雨が結界に弾かれるのを眺めて、少し残念そうな声がふらりと風に乗った。
「あらら、ワタクシの用意した玩具が。これだから嫌いなんですよォ、シャクラは。余興というものをまるで理解できていない。あれだけの数の玩具をすぐ壊してどうするんです、予定がズレてしまうではありませんか」
おおげさに手をだらんと垂らしてがっかりするフリをして、パッと手を広げながら顔をあげた。「まあまあ、それもまたイイ!」と大きな声を張って。
一人で勝手に騒ぐのをエスタが睨む。
「戦うのならさっさとしろ。貴公が先ほどの犬共とは訳が違う事くらい理解している。あまりだらだらと引き延ばされるのも面倒だ」
「イッヒッヒ、そう言わずに! ただ戦うだけでは面白くない! やはり物事には正しく必要な順序というものがあるのです! 例えば────」
ぱんっ、と手を叩く軽快な音が広く響く。それを合図に、彼の背後にあった巨大な宮殿が跡形もなく地面から空へ向かって吹き飛ぶ。昇った赤黒い輝きは間欠泉の如き勢いを持ち、全身を衝くような重い魔力が周囲を満たす。
「さあ、開演の時間です!」
何かしらのゴグマの持つ能力なのだとフロレントは思ったが、エスタとルヴィは顔つきが一変する。空を覆う暗雲が渦を描き、中央から黒い巨大な球体がゆったりとした動作で現われた。
「……なんという事だ。貴公、魔界の門を開いたか!」
「ええ、急ごしらえですがね」
やれやれと肩を竦めながら彼は言った。
「本当は帝都全域に描くつもりだったんですよォ? でも時間がなかった。帝都の人間たちを私の魔力源に換え、あなた方を飽きさせまいと人形の準備に勤しんでいたら、千年ぶりなせいか手間取っちゃいましてねェ。宮殿を吹き飛ばす派手な演出にも凝ってたら、もう辿り着いてしまった!」
ですが、と彼は指を立ててにんまりと笑いながら────。
「馬鹿犬たちを唆して時間稼ぎに使ってみたら、無事に演出の準備も間に合いましてひと安心でしたよォ。お披露目が出来て、このゴグマ、感無量でございます!」
大きな手。まっすぐ伸びた人差し指が空に浮かぶ球体を指差す。
「豪華絢爛、目を逸らす事なかれ! 我が愛しき舞台の幕はこれよりあがる! 生涯にただ一度の舞台をご覧あれ!────《狂気の炯眼》!」
黒い球体が、うっすらと開く。巨大な虹色の瞳がぎょろりと大地を見下ろした。時間を掛けて構築されたゴグマの最大級の魔法。
「マズイわね。フロレント、ちょっとごめんね!」
突然、視界を奪われた。身体が抱きあげられる感覚がある。
「判断が早くて助かる、ルヴィ! 貴公はフロレントを連れて逃げろ!」
「当たり前! 後はあんたに任せて────ッ!?」
背中に広げた大きな二枚の翼で羽ばたこうとした瞬間、どこかから投げられた大きな肉切り包丁──ゆうに人間ほどある──が彼女の翼を切り落とす。
不意打ちを受けて転んだが、フロレントには衝撃を与えないよう即座に自分の蝙蝠を使って体を浮かせ、体勢を整えて駆け寄った。
「……チッ、最悪。アタシに不意打ちできる奴がいるなんてね」
振り返り、地面に食い込んだ肉切り包丁の柄頭に乗った、鹿らしき頭骨を頭にかぶった民族的な恰好の何者かが息荒くルヴィたちを見つめる。
「エスタ、アタシちょっと逃げるの無理かも!」
呼びかけられて、魔法陣から続々と姿を現す魔物たちを前にしたエスタが、小さく振り返って状況を確かめる。
「……仕方あるまい。ならば他の者に頼もう」
空から番傘を担いで振って来る九尾の姿。やってきたヤオヒメが苦々しい顔つきをして下駄を鳴らしながら歩く。
「オウオウ、門を開くたあ下らねえ事してやがるぜ」
魔法陣を門として、噴き出す魔力のうねりの中を次々と魔物たちが我先に飛び出してくる。その度に必ず上空に浮かぶ《狂気の炯眼》によって正気を失い、元来より本能的な魔物たちがより活発で凶暴化した。
ゴグマの魔力までも分配され、波のように押し寄せ、エスタたちには目もくれず帝都へと放たれた獣たちはシャクラが完全にトドメを刺した死体を餌に食い荒らし始めながら、さらには他の生命のにおいまでも嗅ぎつける。
「こりゃあマズいのう。ゴグマの魔力まで受けちゃあ、今の人間共に太刀打ちする手段はねえ。俺様の結界も空までは捕まえきれんぜ」
「問題はない。シャクラがいれば一匹も逃さんだろう」
憎悪と怒りの眼差しでゴグマを射抜く。
「おのれ、帝都の人間のみならず、たかが余興だのなんだのと下らん理由をつけて大勢の人間を意味もなく殺そうなどとは」
その瞬間、初めてゴグマが声を低くした。
「はあ? 何を言っているんだ、魔王ともあろうものが?」
慌ててゴホッと咳払いをする。
「……失敬。ですが聞き捨てなりませんね。まるで人間のようなセリフだ、とても虫唾が走る。クレールなどという下らない幻想に取り憑かれてしまったのか、我が魔王よ。あの血気盛んなあなただからこそワタクシは敬意を抱いたのに!」
ギリッと歯を軋ませて、頭をがりがり掻きながら叫ぶ。
「……ヤオヒメ。ルヴィは手が離せなくなった、貴公がフロレントを守ってやってくれないか。ゴグマとの決着は私がつけよう」




