第40話「怪物」
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────ヤオヒメがシャクラと合流する少し前。
「静かだが警戒しておけよ、契約者」
多くの動き回る死者たちは宮殿の大きな門を潜ると追いかけて来なくなった。殆ど意思を持たず近くの魔力に反応して襲撃する程度の質の悪い道具でしかなく、エスタには彼らが宮殿に入らないよう結界に認識を阻害されていると分かった。
「アタシは何してたらいいの?」
「……貴公は契約者の傍から離れるな」
「特に思いつかなかったって顔してない?」
「無駄口を叩いている暇はないぞ」
足を踏んづけてやろうかと思ったが、拳を握るだけで我慢する。実際、戦いが始まればフロレントを守る盾が必要だ。
ゴグマもいるとなれば油断はできなかった。
「おいおい、アレが千年前の魔族様かァ!」
「見た目は弱そうにしか見えねえなァ!」
よく響く遠吠えのような声。見た目は人間に近いが、獣の耳を持つ、やや体格の良い男が二人。外見がそっくりで、違うのは髪の色が赤と青でそれぞれ違う事。鋭い牙を持った獣人種の魔族だ。
「……アタシがやる?」
「いや、結構。私が出よう」
十分にルヴィでも勝てる。だが力を取り戻したついでに、運動不足の解消も兼ねてのつもりでエスタが剣を手に一歩前へ出た。
「おいおい、ゴグマの兄貴よォ! あんなのが本当に強いのかァ!?」
赤い髪が吼えると青い髪がけらけら笑った。
「弱っちそうな女だぜ、大した魔力も感じやしねェ!」
二人の背後で宙に浮かんだ虹色の球体がぼんっと破裂してゴグマが現れる。彼は一人楽しそうに手に持った柔らかい小さなボールをいくつも投げて弄びながら「そうかもしれませんねえ」とくすくす笑う。
彼の視線が、緩やかにエスタを捉えた。
「────まあ、愉しませて頂きましょう。どちらが強いかなど一目瞭然の戦いですからねぇ」
言葉の真意に、見つめられた魔王がフッと笑みを浮かべた。
「良かろう、貴公の思わせぶりな言い回しは嫌いではない」
気に入らない相手ではある。同じ魔族として誇りなど持って生きていないゴグマは、ヤオヒメでなくとも敬遠する。だが争いを好むのに違いはなく、どちらが強いか明確な差がある事を彼が理解していて求められたのならば、応えるのもまた魔王の努めだと彼女は期待を蔑ろにはしなかった。
「いいぜ、いいぜェ! 近頃は魔物ばっかり喰って、魔族同士の争いってのも少なかったからよォ! なあ、セイガン! 俺たちのコンビプレイってのを見せてやろうぜ、この甘ったれた人間の味方をする阿呆をよォ!」
赤い髪が声を張った。セイガンと呼ばれた青い髪も同様に返す。
「おお、シャクガン! 骨までしゃぶってやろう、この哀れな雌の喉を引き裂いて、命乞いすら許さねぇようにしてやろう! 絶対に面白い!」
二人の姿が一瞬で消える。砂煙を舞わせて視界を遮った。────と、いうふうにフロレントには見えている。だがエスタとルヴィは違った。
「ふうむ。なるほど、貴公らは知らぬようだな」
高速移動と太い腕から繰り出される鋭い爪の連撃。エスタは二人を正確に捉え、構えもせず最小限の動きだけで受け流していく。
「あれってアタシでもキツいのよね」
ぽつりとルヴィが呆れた息を吐く。
「……? エスタにはルヴィでも相手にならないって事?」
「そうよ。あんたは人間だし、知識もないから分かんないだろうけど」
念のため槍を手にフロレントにぴったりくっつきながら、まったく攻めに転じないエスタを見つめて話を続けた。
「魔族の中でも本当の怪物って奴はね、実力の近い奴以外には強さが分かんないのよ。馬鹿でかい魔力の一端しか感じ取れなくて、一見したらただの雑魚にしか見えないもんなの。アタシでさえエスタの本気、知らないのよ」
魔王エスタ・グラム。吸血姫と呼ばれるほど歴代最強の吸血鬼の名を冠するルヴィが生を受けた時から既に彼女は最強の地位に座していた。挑もうにも、違いがハッキリし過ぎていて、その都度軽くあしらわれた。
本気で戦った姿を知るのは、ルヴィ以外の魔族でもエスタが現れる以前にそれぞれの時代で魔王の名を冠したヤオヒメとシャクラだけだ。
「まあ、あの犬っころ共も決して弱くはないのよ。それでもエスタがどれほどの怪物か、魔力を取り戻したアイツの強さを目に焼きつけなさい」
ルヴィが指を差す。決着の瞬間。後方で眺めていたゴグマもまた、ジャグリングをして遊ぶのをやめ、浮かんで宙に胡坐を組んで見届ける姿勢に入る。
「セイガン! コイツ案外粘ってきやがるし、めんどくせえからさっさと決めちまおうぜ! 二人揃って千八百年、息の合った獣人の牙の鋭さって奴でな!」
「あたぼうよ、シャクガン! 爪よりも切れ味が良いんだ、さっきから目障りな剣ごとバラバラにしてやる!────《ペネトレイト・バイト》!」
二匹同時にあごを大きく開いて、上下四本────二人合わせて八本の牙がエスタを襲う。どんなものでも貫き、引き裂き、食い千切る牙。それが自慢だ。たとえ相手が分厚い鉄の壁であろうとも。
「────下らぬ。権能を使うまでもない」
一歩。小さく見えた。一歩。しかして巨大。ひと振りの円を描く刃が、確かに振るわれた。牙は彼女を傷付けず、二人がハッとしたときには遅かった。
「う……あ……!?」
「なん、で、俺たちが……!」
斬られた牙が宙で灰と化して消え、喰らいつこうと突進した二人の体がぴたりと彼女の前で動きを止めた。頭から股まで真っ二つに切り裂かれ、どちらもが息ぴったりに、せめてひと傷でもと伸ばした腕が指先から黒ずんで崩れていく。
「我が刃にて葬られる事を誇るが良い。貴公らの前に立つのは千年前、魔王として頂きに立った者。その細き刃如きで我が首を獲れると思うな」




