第4話「皇都奪還」
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フロレントはアドワーズ皇国の城壁を見あげた。壁で取り囲んだ城塞都市は、内部からの崩壊が起きるまでは難攻不落とされてきた。それが今や無惨に見張りも立てず、門は開きっぱなしで帝国の兵士たちがうろつく支配された数ある国のひとつになった。
「中の状況はどうだった、エスタ?」
「なに、私には大した問題はない」
どこからともなくフロレントの背後に立ったエスタは既に返り血を浴びていて、城壁の周囲を哨戒中だった帝国兵たちを音もなく仕留めた帰りだ。
「小さい都市ゆえ、投入した兵力も微々たるものらしい。軽く城壁の上から眺めてきたが、生存者には期待しないほうがいい。連中が死体の山をあちこちの広場で燃やして処分しているのが見えた」
手始めに皇国を取り戻す。それがエスタの提案だった。わざわざ敵に自らの存在を知らせるようなものだが、まさか相手も人外が相手とは思うまい、と。
既に制圧された地で駐屯していた大勢の帝国兵までもが一人残らず死んでいたとなれば、状況を整理して調査するのにも時間が掛かる。人員を割けば他の地域への侵攻も抑制できる狙いがあった。
「ねえ、エスタ。魔族っていうのは人間があまり好きじゃないんでしょう? どうして私だけじゃなくて、他の人たちまで気遣うような事を?」
どこから来たのかも分からない。どうして存在しているのかさえ不思議な人間と争った『魔族』と呼ばれる者が、契約しているのを理由にそこまで考えるのか。
「ふむ。そうさな、私もにも分からんが、これが悲しいという奴なのやもしれぬ。そなたと契約した日から幾日を経てアドワーズ皇国が小さな村から都市までも全てが潰えたのを目の当たりにして……クレールが守りたかったものが、千年先まで守った未来が、こうも容易く焼き尽くされていくのは中々に苦痛だ」
剣を握る手に力が籠められた。人類とは不甲斐なし、守られた事も忘れ、当たり前のように奪い合う。魔族と変わらない。否、それ以上に野蛮で原始的だ。複雑な気持ちがエスタの胸に渦巻く。
「……馬鹿者め。何が未来の平和のためだ、たった千年しか続いておらんではないか。なんのために我らを封印したというのだ、あの小娘は」
悪態をつく。クレールに対する強い感情が込み上げてきたがエスタにはよく分からなかった。腹立たしいのか、悲しいのか。あるいは悔しいのか。
いずれにせよ自分たちを打ち破った好敵手の守りたかった未来が、当人のいないところで解体されていく様を見て穏やかでいられるはずがない。
「ご先祖様はどんな人だったの?」
「そなたらが受け継いだ意志の始祖である」
エスタは首をゆっくり横に振った。
「我々は愚かだと断じた。平和など見る間に崩れゆくものだと。……だが奴はそれでも信じ続けて戦った。片腕を落としてやったときでさえ気丈に笑ってみせたのを覚えている。ま、そこまで追い詰めておいて私は負けたのだが」
さて、と昔話を終えて剣に付いた血を振り払う。
「では一仕事済ませるとしよう。連中が滅ぼした事を死んでなお後悔する程の絶望を刻んでやる。来世すら恐れる程の記憶を植え付けてやる。そこで待て、我が契約者よ。たかが数千の兵など即刻片を付けてくれるわ」
フッと姿が掻き消える瞬間、突風が起きてフロレントは屈む。無遠慮な破壊行為が入り口を警備していた兵士数人を城壁ごとふっ飛ばし、開戦の合図となった。
怪物の突然の出現は帝国の兵士たちを怯えさせ、絶叫を引きずり出す。外で待っているだけでも遠方まで響いてくる悲鳴がフロレントの体を震わす。砲撃でもあったかと思うような爆裂音はエスタによるもので、時折に巨大な瓦礫が宙を舞うのを城壁の外からでも目視できた。
たった数分が十分にも二十分にも感じる緊迫感。静けさがやってきたとき、堂々と敵の馬を奪ってゆったり戻ってきたエスタの姿を見て、安堵と同時に恐怖も芽生えた。自分が目覚めさせた存在の強大さを思い知ったのだ。
「フッ、怯えているな。……それで良い、契約者。少なくとも私だけは何があってもそなたを守ろう。この首落ちようとも誓いは必ず果たす」
馬を降りた彼女を見てハッとする。背中に矢が刺さっていた。
「そんな、待って……! あなた、怪我を!?」
「ああ、私の体も解放されたばかりで完全ではないゆえ」
大きな力には大きな代償が伴う。彼女の持つ剣も鎧も魔力によって造られた特別なものだ。力を使い続ければ、そのうち弱まって来るのは必定。偶然出来た隙に射られた矢が突き刺さった。
彼女には大した事のない怪我でもフロレントには大怪我にしか見えない。背中にまっすぐ突き刺さっているのだから。
「魔力不足で鎧を貫通したようだ。大して痛くもないし、抜いている時間も惜しかったのだ。契約者には心配をさせてしまったかな?」
「何を笑顔で言ってるの、あなたに死なれたら悲しいわ」
泣きながら怒る顔にエスタは頬を掻く。
「ううむ……。すまない、契約者が望むのであれば慎重になろう。今回の事は大目に見てくれ、説教は怪我よりも体に響く」