第38話「最高の眺めを」
過度な期待はしない。契約が終われば紡がれていく物語を遠くから眺めるのも興が乗る。フロレントが特別なだけで、多くの人間がそうでない事は理解しているから、わざわざ深く関わるつもりはなかった。
ひとまず近場の川で気持ちをやり直すつもりで顔を洗って、ルヴィと一緒に帰った。ちょうどフロレントがエスタに呼びに行ってもらおうとしていた所で、片付けは済んで馬車に全て積んだ後だ。
「契約者よ、馬車は要るのか?」
「う~ん。やっぱり邪魔になるかしら」
置いていくのは勿体ない。せっかく手に入れた食料や毛布など他の道具に関しても捨てるのは残念だ。僅かな間だったが、思い入れもそれなりにある。
「なら俺様が預かっておこう」
ヤオヒメの影が伸びてずぶずぶと沼に沈めるように馬車を呑み込む。彼女の魔力によって創られる異空間は広く時間も進まない特殊な空間なので、とりあえず困ったときには放り込んでおけばいいと倉庫の代わりによく使われた。
「よし、では帝国へ向けて出発するとしようかのう」
「ねえねえ、フロレントは誰が運ぶのよ?」
「うむ。そうだな、我らの中で一番早いのは……」
三人が話し合ってからフロレントをジッと見て、エスタとルヴィは迷いなくヤオヒメを選んだ。アパオーサとそれほど変わるわけではないが、僅かに彼女の方が速かった。そのうえ誰よりも安全な手段を持っている。
「ん~、仕方ないのう。おい、こっち来い」
「どうやって連れて行くの?」
まさかさっきの異空間に放り込まれるのではと身構える。聞くかぎりでは真っ暗闇で何も見えず聞こえず、時間も止まっているのだから不安になって当然だ。臆病ならないはずがない。
しかし、ヤオヒメは手の中に小さな家をつくって────。
「ここに入っておれ。最高の眺めをくれてやる」
瞬きする間もなく、フロレントは気付けば家の中にいた。素っ気なさのある、ゆっくり過ごすのには十分そうなログハウス。何が起きたのかと窓の外を見ると、家はヤオヒメの手の上だった。
「よう、小さくなった気分はどうじゃ?」
「びっくりしたわ! でも凄い、こんな事も出来るのね!」
「魔物を飼うのに凝っておった頃があってのう」
ログハウスは屋根に紐を通すための金具が付いていて、ヤオヒメは首飾りにしてぶら提げた。どんなに荒れた環境の中でも微塵の傷もつかず、固定された空間は外部からの影響を受けない。揺らそうが、叩きつけようが、中のフロレントは何を気にする事もなく普段通りに過ごせるのだ。
「これで問題ねえじゃろう、エスタ?」
「ああ。貴公ならば安心して任せられる」
フンババ山は帝都から離れていない。全力で移動すれば、彼女たちならば数分で到着できる。それぞれが自分たちの得意な方法で目的地を目指す。
ルヴィは大きな蝙蝠となって空を飛び、エスタはアパオーサに跨って大地を駆け抜けた。走ったのはヤオヒメだけだ。彼女の九本の青白く燃える尾が伸びると彼女の履く下駄は走りにくそうに見えたが誰よりも速かった。
数分の短い時間、フロレントは異様な速さで流れていく景色を窓の外に観た。感慨も何もあったものではない。あらゆる色が混ざっては減ってを繰り返し、気付けば帝都だ。急いでいたとはいえ、もう少しゆっくり景色を楽しんでも良かったかもしれない、と思った事を胸の中にそっと隠す。
遥か高い城塞都市とも呼べる壁に囲まれた帝都の門は開いたままだ。解放されたフロレントを中心に置き、守るように囲んで潜った。
「……誰もいないわ。本当に此処が、あの帝都なの?」
「うむ。少し前までは生きていたようだが」
エスタが警戒して剣を握った。
「どうやら全て、あの短い間に喰い尽くされたらしい。……死と恐怖の臭いが鼻につく。全員戦闘準備────出てくるぞ、ただの死体を超えたものが」
建物の中や積まれたゴミの中から帝都の民と思しき影がいくらも現れる。フンババ山で襲って来た兵士たちと同じ動く死体だ。ひとつ違うのは個々に魔力が宿っており、通常よりもずっと高い身体能力を持つ。そのうえ帝都には数十万の兵士や民が暮らしていた。それが全て襲い掛かろうとしている。
「全て処理していては時間の無駄だ。おそらくは宮殿にいるだろう本体になるゴグマを叩けば、おのずと全てが沈黙する。ひと息に突破するぞ!」
ただ操られているだけの死体では魔王の権能の効果はない。そもそも、本体であるゴグマが簡単に捻じ伏せられる相手ではないのだから当然だ。
フロレントを抱きかかえたエスタは小さな結界で彼女を守り、一帯の敵を灰にしながら進む。高く跳びあがって、剣で周囲を指しながら────。
「ヤオヒメ、集団相手は得意であろう! 帝都全域を制圧せよ!」
「俺様に指図するんじゃねえ、ボケ。今回だけだからのう」
チッと舌打ちをしてヤオヒメが木偶人形たちを召喚する。際限なく増えていく人形は次々に死体を圧し潰していく。
「ルヴィ、てめえは二人についていけ。ゴグマの事だ、罠を張って待ってる可能性も高いからよ。凡夫共は俺様だけで十分片付けてやるわいのう」
「オッケー。じゃあ、また後でね!」
三人と別れ、雑魚処理として木偶人形をさらに召喚していく。楽な仕事だな、と退屈そうにキセルを咥え、火でもつけようかとした瞬間────。
「んむ……? 死体に紛れて俺様を狙う馬鹿がいるみたいじゃのう」
からん、と下駄が鳴る。地のひと踏みで死体を吹き飛ばす颶風によって隠れていた何者かの姿が露わになった。
『────驚いた。俺の気配を察知する魔族がいるとは』
「なんじゃあ、てめえ。骸骨野郎が俺様に偉そうに」
波打った剣を両手に持つ骸骨は一枚の赤黒い血に染まったぼろを纏っている。空洞の頭蓋に紫紺の鈍い輝きを宿した双眸がヤオヒメを睨む。
『我が名はエスクラヴ。我が半身をお前たちに討たれたはずだが、どうやらお前は何も知らないようだな。残念だ、これではスレイヴの弔いにならん』
キセルを離して、ぷかあと煙を吐き出す。
「下らねえ戯言を囀るな、耳障りじゃ。────来い、小僧」
赤黒い尾が九本。威圧では済まない強大な魔力が放たれる。
「俺様は禍津八鬼姫。覚えておけ、てめえが最後に聞く名前じゃからのう」




