第35話「気持ちを切り替えて」
しん、と静まり返る。最後の一体として配下に加えさせようとしていたゴグマは、既に敵と手を組んだと分かり、エスタは申し訳ない気持ちになった。
「すまぬ、契約者。ああも残虐な行為を厭わぬ者を仲間に加えさせようとしたのがそもそも間違いだった。私がいれば制御できるなど烏滸がましい事を考えていた」
最も強いとされる五体の魔族の中でも、ゴグマはエスタやシャクラを相手に戦う事はなかった。明らかに自分より強いと分かる場合には策を弄するのが基本的で、封印を解放したときにわざわざ敵対的な行動は取らないだろうと高を括っていた。まさか他の誰かに先を越される事など想定しておらず、かなり落胆気味だ。
「気にしてないわ。でも、あれはどうにかしなくちゃね」
服に着いた砂を払い、呆れた顔で息を吐く。
「今はゾロモド帝国に巣食うだけの脅威でしかないけれど、放っておけば被害は大陸全土に広がるはずよ。犠牲者を増やさないためにも戦わなきゃ」
疫病の如く死を蔓延させるであろう、ゴグマの狂気を放っておくわけにはいかない。何としてでも止めるべき敵。エスタも強く同意する。
「ではさっそく帝国に向かうか、契約者」
「そうしたいけど、まずは準備をしましょう。気合を入れなきゃ」
洞窟の外の吹雪もエスタが出て来るだけで避けていく。
「一気に麓まで降りよう、少し寒いが大丈夫だな」
「もちろん。あなたがいればね」
両腕に抱えあげられるのもすっかり慣れたものだ。首に腕を回して振り落とされないようしっかり抱き着く。視界が悪くても関係ない。すうっと息を吸い込んで雪を蹴って飛び、ほんの数秒ほど降りれば麓に着いた。
待っていた馬車の周囲だけは雪がなく、吹雪いてもおらず、むしろ春の日和もかくやの寒さと温かさの混ざった空気が留まっている。
「なんじゃ、早かったのう。俺様の手料理が食いたくなったのかえ」
キセルを咥えているが火はついていない。ヤオヒメが手に熱の帯びたフライパンを持って、肉を焼いている。香辛料の香りが空腹を唆す。
「ぬ……。貴公は料理というのが出来たのか」
「フン、人間の事はよう知っとるんでな」
背後では丸太を切り裂いて、シャクラが大雑把だが平らで高さも程よいテーブルを作っている。皆が器用なのでエスタはとても神妙な顔を浮かべた。
「……なぜ貴公らはそんなに多才なのだ?」
「俺は要らんがテーブルがあった方がフロレントがメシを食いやすい」
魔族には、わざわざそんなものを使う理由は分からないが、慣れ親しんで生きて来たフロレントには地面に座って食べるのは辛かろう、とヤオヒメが提案したと言われて、彼女は「言うなっつっただろデコ助!」と顔を真っ赤に染めた。
「気を遣ってくれたの?」
嫌われていると思っていたフロレントが嬉しそうな顔をする。
「ちげーよ、俺様はただ文化的な人間が普段と違う行動を取るってのは負担が掛かるもんだって話してただけで、こいつらが契約者契約者って尻尾振る犬みてえな事ばっか言うから仕方なくじゃなあ……!」
傍で聞いていたルヴィがくすくす笑う。
「アタシはペットみたいなものって話してたんだけどね~。シャクラはどうか知らないけど。でも、ヒメちゃんだってなんか不安そうな顔してたくせに」
自分の蝙蝠に林檎を餌付けしながら小馬鹿にするような視線をヤオヒメに送る。あの誰よりも長寿で人間嫌いだと有名だったマガツノヤオヒメが、気遣って不安になるところが見られるとは、と。
「ちい……。これだから馬鹿共は。おいガキ、手伝え。せっかくのメシだ、美味いもんでなきゃあ精もつかねえってもんじゃろう」
「当然よ。これから皆に手伝ってもらう事も多いからね」
エスタたちに待っていてもらい、ヤオヒメには「俺様のメニューってもんがある」と言われてフロレントは初めてする料理を手伝いに加わった。
「肉の筋切りを済ませておいたから、てめえはまず、ナイフの背でまんべんなく軽く叩け。それから元の形に整える。分かるかのう?」
渡された包丁の背でとんとん叩いて肉を伸ばす。
「うむ、まあ良かろう。そっちに色々用意した器がある。まずは小麦粉をまぶして、それから溶き卵。最後にパン粉で衣を付けたら……そう、それでいい」
フロレントの作業を監督しながら鍋の油に指を突っ込んで温度を確かめる。常人なら大火傷ものだが、まったく平気そうだった。
「うむ、では後は俺様がやろう。そこの箸を取ってくれ」
「ハシ……? ああ、これの事?」
見た事がなかったので気付いても確信が持てず尋ねてみる。
「おお、それだ。今は無い文化であったのう。そいつは菜箸と言うて、俺様がずうっと昔に滅ぼしちまった小さい島の人間共が使うておったんじゃ」
「じゃあ、これはあなたの私物なのね。どおりで珍しいと」
懐かしく思ったのか、ヤオヒメはパン粉のついたロース肉を油の中に放り込み、じっくり揚げながら「俺様も昔は人間の国で暮らしておった」と、そう小さく呟いて哀しそうな表情を一瞬だけ浮かべた。
「愛していたのね、その国の事を」
「かもしれん。少なくとも当時はのう」
遠い昔。かつて愛した人間。今は憎き人間。言葉を交わすに値しないと思っていた存在。滅ぼしてしまえばいい。いなくなればいい。向き合わなければいい。目に映さなければいい。────また情が湧いてしまうから。
「俺様はよ。人間に救われ人間に殺された。だから期待しない。当然、てめえにも。契約の間は世間話もするし、命懸けで守ってやるが、それより先はない。よく覚えておく事だのう、クレールの子孫よ」
目も合わせないヤオヒメの横顔をジッと見つめ、フロレントはニコッと優しい表情を向ける。決して自分に振り向かずとも構わない、と。
「ええ。それまでで良いから、私と一緒にいてね」
「……フン。がっかりさせるなよ」




