第33話「完全復活」
恐る恐る渡された契約書に名前を書く。字を書くには風変りなペンだなと思いながら終えて渡すと、ヤオヒメは酷いしかめっ面で────。
「なんでえ、汚ねえ字じゃのう」
「なっ……! 使ったことないもん!」
「何を真っ赤になっとるんじゃ」
契約書を丸めて着物の中にすっぽり収める。
「こいつはてめえの願いが全て叶うまで有効だ。そして俺様が裏切る事はねえ、絶対にな。他の連中の事までは知らんが、俺様は決して嘘を吐かんからのう」
マガツノヤオヒメは魔族の中でも対等な関係を望む。裏切ったり裏切られたり、嘘を吐く事も吐かれる事も嫌いだ。だから、たとえ相手が人間という自分が嫌いな種族であれ、契約を交わすと言った以上はフロレントも見下さない。
「願いを言え。そうすりゃあ俺様に出来る事は叶えてやる」
「えっと……うーん、そうね。じゃあ最初は……」
じーっとヤオヒメを見つめる。彼女は嫌そうな顔をした。
「私と仲良くしてくれない?」
「チッ。これだからガキは嫌いなんじゃ」
心の声を聴く耳が拾った声は純粋だった。最初に願うべきは仲間の事だろうか。それとも打ち解けるべきだろうか。話す時間が欲しい。お互いに歩み寄れれば良い関係が築けるかもしれない。そんな感情がいくつもだ。
人間はどうせ醜悪な生き物になっていく。黒い感情はどうあっても膨れあがり、やがて他人を呑み込んでしまう怪物を産む。欲望とはそういうものだ。
フロレントからも当然欲望の声は聞こえた。どす黒い復讐心がある。なのに明るい感情が上から塗りつぶしていく。根っからの善人というわけでもないが、今までヤオヒメが見て来た人間とは違う白銀の心だった。
「……なるほどのう。あの娘の血筋なだけはある」
チッ、と大きめの舌打ちをすると建物や石畳が黒く染まって崩れながら風に消え、島の景色が帰って来る。契約が済んだ以上、結界は必要ない。
「あら! せっかくアタシも来たのにもう終わったの?」
「なんでえ。てめえもいたのか、ルヴィ」
大きな黒い翼を羽ばたかせてゆっくり空から降りて来たルヴィは残念そうに肩を竦めて「あのヒメちゃんが負けてるなんてびっくりだわ」とわざとらしく小馬鹿にするも、相手にもされず頭を柔らかくグリグリと撫でられる。
「てめえが俺様に勝てるようになってからほざけ。誰よりも早くに封印されたくせして偉そうにするんじゃないわいのう」
「あーっ! そういう事言うのずるいっての!」
いくら喧嘩を売られたところでルヴィとヤオヒメでは悲しくなるほどの圧倒的な差がある。相手にもせず、頭をがっちり掴んで締め上げながら────。
「ところでよ。てめえらは俺様に魔力をたかりに来たんじゃろう。なにゆえそんな必要がある? この時代の人間共はあまりに貧弱。今の少ない魔力でも、ただの小娘の復讐劇にしては大仰だってのに」
エスタが剣をふわっと消してから、困ったように頭を掻く。
「どうも我々以外の魔族が関わっているようだ。弱った今の状態で、のんびり魔力を取り戻すのに時間を掛けていては十年は掛かる。敵がハッキリしない以上、我々は万全を期して契約者の願いを叶えたいと思ったのだ」
聞いたヤオヒメの目の色が変わった。
「……俺様の尾が必要ならくれてやる」
フロレントは目を見張った。目の前に立つヤオヒメの禍々しいゆらめく炎のような九本の尾が現れたのだ。身体に入ったシャクラの血の効力が僅かに残っていて、尾から放たれる、凍えるような悍ましい魔力にぞわっとする。
「おう、ガキが中てられちまったか」
「ご、ごめんなさい……。ちょっと驚いちゃって」
「魔力もねえんじゃ仕方ねえのう」
クックッ、と小馬鹿にしつつ尾をエスタたちに向けた。
「ほれ、さっさと取れ。てめえらにくれてやる」
三人に掴まれた尾が彼らの腕に巻きつき、ふわっとやんわり燃え上がって消える。ヤオヒメの魔力の代替として使われる尾は魔族同士であれば取り込む事が出来る優れもので、エスタたちは今、ようやく千年前に立ち戻った。
「うむ、この感覚……。実に素晴らしい」
それぞれが魔力を取り戻した感覚を確かめる。その間に、失われたヤオヒメの尾が三本とも復活してから、すうっと彼女の中に引っ込んでいく。
「状況は分かった。……で、ここにアイツがいねえってのは? 他の魔族なんざ、今ここにいる連中だけでも十分じゃろう。起こすのか?」
問われて全員が口を閉ざす。特にエスタは全員を目覚めさせるつもりであったが、最後の魔族に関しては、いささかの懸念を抱いている。
「あの……。最後の魔族はどんな人なの?」
「うむ。実を言うと、魔族でも少々癖のある厄介者なのだ」
ヤオヒメがウンウンと頷き、キセルがぴこぴこ揺れる。
「アレは裏切者じゃ。俺様とは違って、てめえの喉を掻き切る機会さえありゃあ、いくらでも狙うじゃろう。契約をしておっても変わらねえ。だから嫌いなんだ。元々魔界で何回か起きた戦争でも、味方を平気で裏切るクズだった」
魔族も種族間での争いは絶えない。他種族と共闘する者もいた。だが、その中でもたった一体だけ裏切られても誰も不満をぶつけられない相手が存在する。
魔界でも指折りの実力者なのだから非常にタチが悪い。狡猾で常に自分の欲望と快楽を満たす事ばかり考えている捕食者だ。裏切り行為を心底毛嫌いするヤオヒメとはまったく相容れない。
「のう、小娘。てめえが仲間に加えたいってんなら俺様は止めやしねえが、あまり勧められんぞ。いくらエスタやシャクラがおってもな」
うーん、とフロレントは少しだけ考えてから────。
「でも話してみれば分かり合えるかもしれないわ」
「……かあ~っ、これだからクレールの血ってのはよう!」




